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15.わたしから見た1166さん(その1) 長野ゲストハウスヘルパー体験記

 長野市のゲストハウス1166バックパッカーズでのヘルパー業務は、スタッフ4人のインタビューだと、この体験記でも何度か書いてきた。アルバイトスタッフ3名のインタビューは記事になり現在公開されているが、オーナーの飯室織絵さんの記事はない。
 当初はやる気満々だったが、織絵さんもわたしもちょっと業務が立て込んでおり、調整が難しかったためなしになった。織絵さんからは「やり残したことがあるため、またヘルパーしに来ますってことにしよう」とコメントをもらい、それはいい考えだと思ったのでそんなことになった。(楽しみにしていた方は申し訳ございません。)
 インタビューはまたそのうち、になったがこの1ヶ月で感じた1166(いいむろ)さん=飯室織絵さんの姿を前回の滞在も合わせて、わたし目線で書きたい。

 飯室織絵さんは兵庫県に生まれ、大学時代は大阪の水族館でアルバイトをし、卒業してからはカナダで観光ガイドを経験、その後オーストラリアで雑誌のライター、編集をしていた。日本に帰国後は上高地の旅館に勤め、30歳の時に長野市にゲストハウス1166バックパッカーズを開業し、今年で11年目になる。

 少し長くなるが、織絵さんとわたしの出会いについて書きたい。きっかけは8年前の2013年にさかのぼる。当時、わたしは出身地である仙台のNPO法人で働いていた。その法人は東日本大震災後の地域復興の調整機関を担っており、復興現場に入っている団体や地域住民の方々との関わりがあった。わたしは後方支援要員だったのでいつも直接現場に入っていたわけではないが、日々地域の情報に接していたので、全然知らない土地に行って気分転換がしたかった。
 ランチでよく行っていたお店の方が長野県出身だったこと、同僚が旅好きで「長野であれば1166バックパッカーズというゲストハウスが良いと聞いた」と教えてくれたことで、お盆の長期休みにひとりで泊まりに行くことにした。(ちなみに初ひとり旅、初ゲストハウスだった。)

 仙台〜東京〜長野を高速バスで乗り継ぎ、10時間かけて長野市に降り立った。スーツケースをガラガラさせて宿にたどり着く。玄関を入ると出迎えてくれたのは織絵さん…ではなく、若いメガネの男性だった(当時のアルバイトスタッフだと今回聞いた)。織絵さんはちょっと離れたところから、その男性のチェックイン対応を「うんうん、そうそう」という感じで見守っていたのだった。
 3泊4日の滞在中、織絵さんと交わした会話は多くはない。「お酒は飲みます?ひとりで行けるごはん屋さんは…」「この辺を回るならこの冊子持って行ってみてください」「小布施でガレット?ヴァンベールさんだ、並んでませんでした?」「松本への電車は、左側に座ると景色がきれいですよ」「松本駅のコインロッカーは空いてないことが多いから、駅ビルの方に行ってみてください」…覚えている範囲でこんな感じだ。

 お盆ということもありほぼ満床で、ラウンジはいつも10名前後のゲストで“ぎゅうぎゅう”だった。織絵さんはそんな中、ひとりでいる方には声をかけ、グループにも声をかけ、観光相談に乗り、困り事には具体的かつ的確な案内をしていた(これを外国の方には英語で)。写真撮影にもバシバシ応じ、忙しいはずなのにまったく焦りは見せず、むしろ楽しんでいる様子だった。もちろん、ひとりでいたい方には程よい距離を保っていた。
 しかしたくさんのゲスト対応の中でも、わたしがラウンジでどのように過ごせばいいのか分からない時、周りが盛り上がっていてなんとなく居心地が悪い時、織絵さんは見逃さず必ず声をかけてくれた。さらに言うと「詩乃さんは人と話すのが苦にならなそうだから、これからも旅をしそうだ」との言葉もかけてもらい、“なんかこの人すごいぞ……”と畏敬の念を持って旅を終えたのだった。

 その後8年間、SNSで宿の情報や織絵さんのライフイベント等はなんとなく把握していたが、自分の生活を過ごすのに精一杯、そして長野は東北からはなんだかんだ距離があるので、対面での接点を持つことはなかった。
(ちなみに旅の目的だった“違う土地での気分転換”は、織絵さんの観光案内や、ゲストとの会話、ひとりで遠出してゲストハウスに泊まることそれ自体で大いに達成されたのだった。)

<続きます>


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