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自分の使命と出逢えるまで マイストーリー①

自分の人生を生きている

初めまして、排毒師のめぐみです。

2020年、現在 

毎日幸せだなぁ・・・感謝だなぁ・・・

と感じます。

なぜなら、「自分の人生を生きられている」からです。

自分のやりたいことをやれる人は一握りなんだから!

小さい頃に聞いた言葉です。

そうか、私はその中には入っていないのかと思い

諦めて生きていました。

途中までは!!!

諦めかけて、腐ってしまったOLから

今は5000年の歴史ある

予防医学のアーユルヴェーダを

日常的に「お家で出来る毒出し」

として取り入れられるように

セルフケアを皆様へお伝えしております。

それが使命!!

気がついていませんが現代人は毒だらけです

(私もだった・笑)

毒素を出せば身体が変わり

身体が変わると心が変わり

心が変わると人間関係が変わり

人間関係が変わると

人生が変わります♡

そこまでに至るまでを

マイストーリーとしてまとめました。

お付き合い頂けますと嬉しいです。

無だった学生時代 

1977年〜1997年 0歳〜20歳

1977年中野で生まれ、武蔵五日市、東村山市で

のんびり育ちました。

父はスーパーを営み、母はそこで働いていました。

年子の妹が一人います。

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何かにハマることが本当に無かった学生時代。

好きな芸能人も、好きな音楽も

好きなスポーツもないので

なんとな〜く遊んで過ごしていました。

何も頑張りきった経験が無いため

自分に自信が全くありません。

空っぽな自分にどうにか「価値」を持たせようと

一生懸命ブランド物を身につけていた学生時代。

外見を綺麗にすることばかりを考えていました。


モヤモヤOL時代

1997年〜2000年 20歳〜23歳

何もやりたいことが無かったので

事務職に付こうと就職活動をしましたが

やる気が無いのは見抜かれます。

それに気付かない私は

ことごとく落ちて挫折を味わいました。

勉強ではなく、面接で落とされる就職活動は

人間として「要らないです」

と言われているようでした。

そんな私を拾い上げてくれたのが

上場会社の某リース会社。(ラッキーすぎる!!)

ここで私は社会人としての常識を学ばせて頂きました。

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彼氏と別れたと言って泣きながら机拭きをしたり

何百万の入金を違う会社へ送金してしまったり

営業の方が苦労してとってきた契約の契約書を

シュレッダーしてしまったり(←なぜ?謎です)

そんなことをしても重大さがわからず

テヘペロな私を根気強く指導してくださった

上司や先輩に今でも本当に感謝しています。

その当時、私はいつも人に助けられる・・・

これでいいの?私?これをずっとやっていくの?

と不甲斐無い自分に悩み始めます。


価値観が変わったイギリス

2000年 23歳

留学した友人の影響を受けて

会社を辞めてイギリスへ3ヶ月の

短期留学を決めました。

自分を全く知らない国でどうやって過ごすのか?

初めてのチャレンジでした。

語学学校では一番下のクラス(笑)

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ところが!!

イギリスへ行っても人にめちゃくちゃ助けられる

現実を目の当たりにして落ち込んでいると

「皆、誰でも助けるわけじゃ無いよ!めぐだから

助けるんだよ」この一言で意識が変わりました。

助けられることに「感謝」を忘れず受け入れて

いつか私も人を助けられる人になる!!

そう考えが変わったイギリス留学。

言葉が通じないところでのチャレンジは大変で

言葉が通じる日本で何を私は

恐れていたのだろうか?

何も一人で出来なかった私はここを境に

自分で何かをどんどん出来るようになりました。


モヤモヤOL時代・アゲイン

2001年〜 24歳〜

イギリスで気付きが沢山あったものの

「やりたいこと」にまで気がつけなかった私は

留学をした手前、外資系の会社に入らねば!という

カッコつけが出ました。

前職の時に謎にとっていた「簿記2級」を武器に

外資系化粧品会社の経理部の募集に応募しました。

TOEICはまだとっていないが英語は出来る!

と嘘を言い(入ったら頑張れば嘘じゃないと)

部長さんに気に入ってもらえたおかげで無事に入社。

しかし、私以外は早稲田や慶應と

高学歴で優秀な人ばかり。

ミーティングも英語が入るので

私だけ連絡事項が入っていなかったり

真面目にやったプレゼンでなぜか大爆笑されたり

売上を桁違いに間違え社長が来て(外人さん!)

ひたすらソーリーソーリー謝ったりしていました。

そんな状態ですので、同期がどんどん昇進する中

私は変わらないままでした・・・

悩んでいた時の上司面談で

部長が私にこう言いました。

「君の仕事は元気がない人を

元気付けてあげることだから」

今は、私のことを部長はよく見ていてくれて

役目を与えて入れてくれたんだな・・・

と理解して感謝が出来ます。

でも、当時の私はガーーーンとなりました。

私・・・やっぱり必要とされていない!

全く期待されていないんだ!

そこからは社内の飲み会幹事や

アフターファイブに力を入れました。

お洒落なお店に行って飲んで、愚痴を言っての日々・・・

いつも自分が負のオーラを

纏っているように感じていました。

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お給料は良いし、休みも沢山取れる。

でも、本当にこれで良いの?

そんな時、転換となる事件が起こったのです。


父の倒産は私へのギフト

2004年 27歳

この時期、大型のスーパーが相次いで出店し始め

父の小さなスーパーは大打撃を受け始めていました。

社員やアルバイトがどんどん辞めていき

母と妹と父でやっていたのは知っていましたが

辛い顔や愚痴を一切言わずだったので

大丈夫なんだと思い、心配していませんでした。

ある日の早朝、築地に仕入れにいく前の父に

「めぐ!めぐ!」と起こされて

「まとまったお金を貸してくれないか?」

と頼まれたのです。

家にお金を入れなくて良いから

結婚資金は自分でね!

と言われていたので数百万の貯金はありました。

来月には友人がドイツで結婚式をするのに

出席予定だったのも知っているしなと思い

安心して通帳毎渡しました。

戻ってきてびっくり!!!

よ、4万?!(笑)

家は今、とても大変な状況になっている!!

気がついた私は妹を収集。

私の貯金も無くなった今、倒産したら・・・

と心配になり

手っ取り早くお金を稼ぐ為に

友人がバイトをしていた

キャバクラに入れてもらうことにしました。

月から金はOL、金曜〜日曜はキャバクラ

休みの無い日々です。

スーパーのレジやファミレスでの

接客経験はありましたが

個々への接客業は初めてです。

出来るでしょ?と舐めてかかっていた私。

きちんとお客様一人一人のここに来る目的や

何の話をするのが楽しいとかなど

把握して接客しないと満足してファンに

なってもらえないことが気がつきました。

指名を沢山もらえるようになり

売上もどんどん上がり

女の子たちからはどうやったらお客様に

指名してもらえるの?と聞かれたり

売上がいいので食事に連れて行って

もらえたり、感謝されたり

OLの仕事では経験の無いことばかり。

成果を出して、褒められたり認められたり

それを初めてしてもらえたのです。

この仕事は父に貸した金額を取り戻して

家に必要なお金をあげて

両親が新たに仕事を見つけるまでと

決めていたので約1年くらいで終了。

そんなに苦なく、楽しくこの仕事を出来たので

私はサービス業が向いているのかな?

苦なく出来る向いていること

気がつけた瞬間でした。

ほどなくして、父のスーパーは倒産しました。

夜逃げをするようにその場を去りました。

父の倒産は悲しかったですが

私にとって大変貴重な経験となり

ここで頑張り切ったことが

私の初めての「自信」となったので

今でもとても感謝しています。

うまくいっている時も

失敗した姿も見せてくれた父と

それをいつも笑って支えていた母を

心から尊敬しています。


伯母の病気が私を変えた

2007年 30歳

サービス業が向いているかも

と気がついた後でも

サービス業は休みも少なければ

給料も少ない!のイメージに踏み出せず

グズグズして時が過ぎました。

そんな時、衝撃的な事がありました。

元気でいつも周りを幸せにしていた

大好きな伯母が

「くも膜下出血」で倒れたのです。


手術は成功と言われましたが、合併症を引き起こし

意識が無い状態がずっと続いたのです。

目を覚まして・・・毎日、毎日病院へ通いました。

伯母は目を覚まし、命は助かりましたが

失語症といって言葉が出てこなくなり

半身が付随となる後遺症が残ってしまいました。

この時、2度目の転換がありました。

外見ばかり(服やメイクやダイエット)

気にしていた私は気がついたのです。

「健康って当たり前じゃ無いんだ」

健康な身体が土台にあってこそ

外見を気にする事が出来る。

伯母はシングルマザーでした

2人の男の子を公務員になって育てあげ

定年後に本当にやりたかったことをやるんだ!

と楽しそうに私に話していたのです。

リフレの学校に通い、有言実行

サロンを友人とオープンしたばかり。

そんな時に病気で倒れてしまいました。

泣く泣くサロンもクローズ。

健康じゃ無いと何も出来ない!

反対を言えば

健康だったら何でも出来る!!

私は身体のことを学びたくなりました。

人を健康に出来る手技を身につけたい・・・

そんな思いが強くなったのです。


結婚そしてサービス業へ

2008年 31歳

友人は30歳前にほとんどが結婚しました。

私は結婚がピンときていませんでした。

逆に結婚したら人生終わりだ・・・

そんな男性的な気持ちを持っていたのです(笑)

「愛って何だろう?」

よくわかっていませんでした。

当時お付き合いしていた人は

そんなに好きでも無い気がする

でも、別れるほど嫌では無い・・・・

感覚的には「違う」と感じていました。

プロポーズされないように、されないようにと

気をつけていましたが←え?笑

遂にその日が来てしまいました。

「わからない」プロポーズの返事です。

口から出た返事が全てだったのに

もういい歳だしな!

もう好きな人なんて出来ないか!

結婚って妥協とかいってたな!

そんな風に自分を納得させ結婚しました。

でも、そのおかげで私は

新たなスタートを切れました。

なぜなら、生活が結婚で保証されるのならば

ずっと気になっていた「サービス業」に

チャレンジしよう!と思ったからです。


7年間勤めた会社を辞めて

当時、ご縁のあった

「O脚矯正・骨盤矯正の専門院」(株)ブラスト

でリンパドレナージュの仕事をしました。

ボスは1つ上でしたがかなりの切れ者でしたので

経営のノウハウをここで学ばせて頂きました。

そして、ボスやここで知り合った仲間は

第2の家族で今でもお付き合いがあります。

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リンパドレナージュの手技はとても良かったのですが

不調の原因を突き止め、根本を改善しないと

身体は変わらない・・・

モヤモヤした気持ちが抑えられませんでした。

何か学びたい・・・・

働き先は人気店で勉強する時間もなかった為

退職して、根本を改善する手技はないかと

色々なトリートメントを受けました。


その中で1回のトリートメントで

嘘でしょ?と思う位に変わったのが

「アーユルヴェーダ 」だったのです!!!!

何なんだ?これは?と思い調べていくと

インドやスリランカでは「医療」

5000年の歴史のある「予防医学」

だということが判明。

だからこんなに変化があったのか!

もっと知りたい、学びたい!

の気持ちが抑えられず気が付いた時には

「アーユルヴェーダ の本場、南インドで

アーユルヴェーダを学ぶ」

スクールを見つけ

誰にも相談せずに申し込みをしていました。

理由はわからないけど、これだ!と感じる。

頭で考えずに直感で選ぶ事は

大抵うまくいくものです。

結婚したら、子供を作って家を建てること

を目標にしていた旦那様はため息です。

何でそんなことをするの?

親やボスたちも呆れ顔。

でも、私は自分の直感を信じて

インドへ行きました。

そこで大転換をするのです・・・・

自分の使命と出逢えるまで マイストーリー②へ続きます。

長い文章お読み頂きありがとうございました。








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