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世界観。

東京女子大の先生の言葉
「これからの社会では
価値観や
世界観の異なる人との
出会いや交流が
いっそう増える」
「相手に
賛同はできなくても
それでも
受け入れていくための
現実的な知恵が
求められている」

という記事を目にした
まったく同意だ

賛同するかどうか
個人では違う

しかし争うのではなく
受け入れてゆくために
どう考えるか

できない理由探しではなく
どう取り組めば
できるのかを考えたい

それが
人として生まれた意味だ
「人生」だ

考えの異なる人々との
友好連結は
世界平和には必要だ

互いを尊重することを
馬鹿にする方がは
「平和」を
どう捉えてるのか

地位や名誉が
あったとて
悩みが
なくなることは無い
病気をしないわけでもない
まして
老いない
死なないわけじゃない

悪ぶったり
おちょけたり
馬鹿にしたり
そういう人は
かなり頭がいい
理解力もある

その悪心を
邪心をどう解いて
傷の手当てすることが
いいのか

どうやったら
救えるのか

どれほど
「頭脳明晰」であっても
同じ人間を
人を見下す
「侮辱」行為は「驕り」

人を大切に
尊重し慈しめない者は
成功しない

教育を受けて無くても
社会において
立場も無くても

大切なひとり
大尊敬のひとり
ひとりひとりの方々から
学ぶことは多い

ひとりひとりは
神様や仏様と同じ

大切な命をもって
生まれた意味のある人々

その方々と接することにも
意味がある
教えられることは多い

「無意味な命など無い」

神の教え
仏の教え
なのだと感じる

どこまでも哲学
人間によりそう
宗教観

なのかもしれない

人と人を結びつけることは
どうしたらうまくいくのか

相手の心の疑いや
自分の中の疑いを
どうやって昇華させるのか

相手の罠に
身を投じることが
あった

イジメの仕掛けは
何度も体験して
わかってたが

先に回避することより
素直に信じ

嗤われることを
選択した

理由はたった1つ

イジメてる方も
わかってるからだ

「回避」するだろう
「自分のことなど
信頼してない」だろうと
たかをくくってる


ボクは敢えて
飛込む
どこまでも
信頼しようじゃないか

そんなボクをみて
「嗤い」
本心で楽しいはずがない

結果は仲良くなれなかった

しかし
イジメを辞め解散した

良かった
キミが
もう誰も
イジメなくて
すむならそれでいい

キミはダイヤモンドだ
輝いてないというなら
原石だ

どん底のドブの中
輝くキミ

ボクはキミの
すぐ隣にいる













読了ありがとうございます 世界の片隅にいるキミに届くよう ボクの想いが次から次へと伝播していくこと願う 昨年のサポートは書籍と寄付に使用しています 心から感謝いたします たくさんのサポートありがとうございました