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野球教室を始めた経緯

こんばんは。

愛知県尾張旭市、瀬戸市、春日井市、長久手市、守山区、名東区、千種区を中心にマンツーマン、少人数制、英語での野球教室を行っているPACベースボールです。

本日は自身の半生とこの野球教室を始めたきっかけについて書いていきます。


思い返せば、私が中学3年生の時に、アメリカの野球への興味は始まっていたのかもしれません。

現在のようにフライボール革命だの世間では何も言われていない中学3年生15歳の冬に当時日本ハムファイターズのコーチの方から指導を頂く機会があり、それまでとは180度違った理論に驚いたのを今でも覚えています。


その日から私のメジャー打法への取り組みが始まりました。

当時の監督、コーチからもそんな打ち方では打てないと言われ続けましたが、野球強豪高校でもなかったため、自分を突き通すことができ、その甲斐も有り、ホームランを打てるようになり、高校2年生の夏の大会ではホームランを打つことができました。
そんな高校時代、3年間を通じて夏の大会で1勝しかできませんでしたが、当時指導に来てくださっていた慶應義塾大学でベストナインを3回も取られたコーチから“上のレベルでできる、上を目指せ”というお言葉を頂き、大学でも野球をしたいと思い始めました。3年生の夏に名古屋で4年に1度行われるオール早慶戦で、後にプロ野球選手になる大学のスター選手たちを見て、東京六大学の早稲田で野球をしたいと思い、なんとか早稲田大学に入学することができました。

大学4年間個人として大きな結果を残すことはできませんでしたが、チームとして二度の日本一を経験し、”勝つチーム”、”プロ野球に行って活躍する選手”はこういうこと、人なんだというのを肌で感じることができた、そんな4年間でした。
個人的には2年の時、新人戦でヒットを打ったり、3年の時には一軍のオープン戦に出して頂いたりしましたが、最後までリーグ戦に出場することはできませんでした。高校3年生の時にみた名古屋でのオール早慶戦にも代打で出して頂き、現在中日で活躍する福谷投手から見事、空振り三振したことは良い思い出です。


その後、サラリーマンとして、社会人を経験した後、中学校3年生からの憧れ、アメリカへ野球の勉強をしたいと渡米を決意しました。アメリカの高校でコーチをさせてもらったり、ロイヤルズで日本人選手の通訳という仕事を通して、メジャーリーグの練習法やドリル、コーチング、トレーニングを学ぶ中で、一つひとつが新鮮、充実した日々を過ごし、やっぱり現場が好きなんだなと改めて感じた瞬間でした。


ふと時間があった時に、アリゾナにあるRAS(Rotational Athlete Solutions)という野球施設で興味本位で野球の指導を受けてみました。結局それがこうやって野球教室をやろうと思ったきっかけになったのですが、“自分がまだ選手の時にこんなコーチや環境の元で野球、トレーニングをできていたら、どうなっていたのだろう”と心が震えたのを覚えています。
そこで将来コーチを目指していると伝えてみると、、“いつでも勉強に来い”と言って頂けたので、ずうずうしくも毎日通い詰めました。その経験が現在の原点になっています。


ここまで長々と書いてきましたが、結局何が言いたいかといいますと、このようにいつも素晴らしい人達との出会いによって、背中を押され、道が開けていきました。


自分を導いてくれた監督やコーチのように、

メジャー流の新しいドリルや練習法、色々な国から来た子供たちとのコミュニケーションから様々なことに興味を持つこと、また練習を通してうまくなる、できるようになる喜び、感動を与えること、で一人でも多くの選手・子供たちのサポートをしたいとこのような野球指導を始めました。

まだまだ若輩者でございますが、この野球指導を通して、自分自身もどんどん感動を味わっていきます。

それでは、野球教室で会いましょう!



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