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短編小説を読もう

 毎日noteを書いていて気が付いたことは、昔に比べると書くスピードが格段に遅くなったということと、助詞(てにをは)が怪しいってこと。やはり毎日ある程度の長さのものを書くのがいいんですね…。少しずつだけど、昔の仕事の感じが甦る(っていうのは言い過ぎです…)ような気がします。
 Xのポストでもいいんですけど140字です。100字前後っていうのは、どちらかというと詩とかネタとかオチの要素が強くなるんじゃないかな。  
 twitter=さえずり=ひとりごと ですし。
 そんなわけで、noteを投稿し終えてから「あ、これ違う」と気が付いて、カチャカチャ書き直す毎日です。

 20年以上前、あるライターズスクールで学んでおりました。正確に言うと通信講座を1年以上、実際の講義を1年間受講しました。
 そこで一緒だったSさんという週刊誌のライターの方から
「文章は短い方が読みやすいよ」と言われて、それから文章の長さを気にかけるようになりました。
 楽待コラムの時がそうでしたが、うっかりすると長い文章を書いちゃうんですよね。あの物件を建ててしまったという、悔いの気持ちがズラズラ長く引きずっているんでしょうね…(笑)
 自分の気持ちをズラズラ書き並べるのと、人様に読んでいただく文章を書くのは違うんですよ。昔はかなり意識していました。文章でどのように表現する対象に目を向けさせるか、そのシーンを脳裏に浮かべさせるか。
 人様に読んでいただくのは、人に文章を提供するという、サービス業的な要素が大なり小なりありますね。

 短編小説を読むように言われたのは、もっと若い時に詩作の教室に行っていたのです。作詞の才能は私にあるかって言われると、かなり無いんですけど(汗)
 行ってよかったです。とにかく文章を書きたかった。
 そこでは詩を書くよりも短編小説を読むことを勧められました。
 前にも書いたと思いますが「ちくま文学の森」です。恋愛や人生や悪事などテーマごとに1冊ずつまとめられた短編集です。選者が豪華なんだ。みんな亡くなってしまいましたが。


 正確に言うと、当時私が買ったのは「新ちくま文学の森」です。Amazonなんてない時代の話です。刊行された時に近所の本屋さんで注文して買いました。「ちくま文学の森」も「新ちくま文学の森」も今は古本しかないです。
 その時は、仕事だの、なんだかんだで積読になりました。詩作の教室からもフェードアウトしてしまいました…全部読み上げたのは、切迫流産で入院したり、家でほぼ寝て過ごしていたり、自分の身体が思うようにならなかった頃です。
 あとから考えたら、その時の読書が貯金になりました。
 自分で選べないような作家の文章に出会えたことも大きいです。文章の構成…起承転結とか序破急ってこんなものかな…ということもなんとなくわかりました。心地良い文章のリズムというのでしょうか…短編だからこそ、波を打つように、印象的な文章が綴られるのです。
 
 こんなことを書いているうちに、読み返してみたくなりました。
 

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