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優しさってなんだろう?

こんにちは。えめです。

今日はどこかちょっと辛辣な感じがあるかもしれません…

特に目的はないのですが、
思ったことを出したくなって、
つれづれと失礼します。


私は、いろんな経験から、
たまにボーッと、優しいってなんだろーって、
考えます。

優しいっていろいろあって、

優しい言葉を使うけど、
なんかなし冷たい距離を取る人、

優しい考えで誰かのために動くんだけど、
いわゆる「よかれと思って」で「おせっかい」になっている人、

優しいんだけど、
相手の都合で理解されていない人、

適切な言葉、適当な距離感で、
一見冷たいようにも見えるけど、
優しいが成り立っている人

いろいろあるなぁと思うのです。


つまるところ、
私の結論は、“優しい”って“理解”のことだと思っています。

だから、
優しい言葉を使うけど冷たい距離の人は、
「優しい感じ」なだけで、
相手にとっては「理解する気がない」
つまり「優しくない」。
けど、自分への理解はあって、
自分には「優しい」んだと思います。

優しい考えでおせっかいになってしまう人は、
いろいろだけど、
「理解が中途半端」で「中途半端な優しさ」
そんな感じでもったいないって感じかな?
途中までの優しさは伝わってると思いますが…


優しいんだけど理解されていない人、
これは「優しい」けど「優しいが成り立っていない」。


なぜか?

「優しさ」は「理解」が「相互」にないと
成り立たないんだと思うのです。

だから、
理解されていない人は、
「理解」されていない、
つまり、相手が「優しく」なかった。
だから、「優しい」が成り立たなかったんだと思います。

たまにお見かけします。
よく理解できる人。
だけど、それに気づかれない人。
多分頭がいいんだと思うのですが…

例えば、アスペルガーの方。
彼らは大体頭が良くて、
人より合理的な優しさに気がつく。
理系の優しさなんだと思うのです。
優しさって文系な話なので理系な優しさは否定されがちですが、
ある意味では「優しい」の部類だと思います。

ただ、理系すぎて相手の感情を「理解」できない部分があるので、
「理解」できなくて、
相手にとって「優しくない」になってしまう。
結論としての「優しいかどうか」には言及しませんが、実態はこうかなぁ?と。


例えば、HSPの方。
こちらは「気づき」が高く「理解するきっかけが多い」方だと思うのですが、
他の人はそこまで気がつかないので、
「理解」されないことも多いと思います。
気づきがあっても、知識や経験が足りていなければ「理解不足」で「おせっかい」であることもありますが…

そして私が言及したいのが、
気づく上に、文系にも頭がいい人。
めっちゃ頭いい人。?
自分だけ、いろんなことに理解してて、
人には理解してもらえない。
人によりなんかしらの病名なりついてるけど、
名前のない障害?を抱えている人が多分いる。

彼らはいつも人より先にいろんなことを理解してしまう。
だから、みんな気づかない危機を早くに理解して、タイミングとしては適切な時にそれを伝えている。
しかし、みんなは実際に危機が来ないと理解できないため、嫌なことを言う奴だな、と理解されない。
知らないうちにヒーローになっているが、
結論としては悪役にされている人。
いると思うんです。

そう、だから、
「理解」がマッチングしないと、
「優しさ」って存在しない。


逆に、冷たいような言動でも、
「理解」がマッチングされていれば、
「優しさ」になる。


…ただ、ひっくり返すようだけど、
理解するって、
すんごいエネルギー使う。

だから、2者で理解しているより、
3者以上で理解した方がいい。

私の育児も、1人じゃずっと息子に優しくできない。
夫が私の取り組みを理解してサポートしてくれるから、やってられる。
私は夫のサポートがどんな努力で成り立っているか理解してて、夫に適宜、受け取って大丈夫か声かけをしており、それがあるから夫は優しくできると言う。
息子も私たちを理解してくれているから受け取ってくれる。

SDGsじゃないけど、持続可能なのがいい。


じゃあ、国と国民の「優しさ」は?
「優しい」し合えるかな?
持続可能かな?


おしまい。


面白みもなくつれづれな話を、
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇🏻‍♀️

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