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綿毛のように飛び立つ

自分の人生とは何か?
どうやったら後悔がなく死ねるか。
最近、すごく真剣にこんな事を考えていた。
息子も巣立ち1年が経った。
両親と3人の暮らしになり、福祉施設の事務員に就いてから6ヶ月以上が過ぎた。
最初の6ヶ月は仕事をこなすのに精一杯で、このままの人生で良いのかとかあまり真剣に考えなかった。
安いが安定して給料やボーナスはもらえるし、年休も他の会社より取りやすかった。
そして人間関係も良かった。
建物は新しいし、今まで色々仕事をした中でも環境は良かった。
ただ、毎日パソコンに向かう時間がかなり多く、目や頭、腰に少なくない疲労を感じていた。
一日中パソコンに向かい数字とにらめっこしているのが自分らしいとは全く思えなかった。
毎日同じ日々の繰り返しで月日が流れていった。
出勤し自分の仕事をこなし時間になったら退勤し、家で夕飯を済ませて寝る。
仕事中は他の職員と楽しい会話もあるが、それは少しの時間だった。
みな、自分の仕事が山のようにあり、ゆっくり話す時間は長くは取れなかった。
休日に知り合いとランチなどに行くこともあったが、どこか人生に物足りなさを感じていた。
人生の大半を過ごす"仕事の時間"が充実していないからであろう事は、予想がついた。
穏やかだが刺激もない日々を送っているうちに、何のために生きているんだろう…と思うようになっていった。
このまま今の職場に何年も勤めるとしたら、平凡な日々を過ごし、そのうち年老いた両親を看取り、この田舎で生涯を閉じる、という映画のラストシーンがもう分かっているように未来が見えた気がした。
私はそれでは死ぬときに後悔するかもしれない、と思った。
安定を求めるのが人生なら、人生とはなんとつまらないものか。
このままではいけない、という気持ちが日に日に強くなっていった。
安定しているからといって気がそれほど乗らない仕事に日々通うのは、人生の時間とエネルギーを無駄にしている気がした。
私の中ではそのような結論に至った。

辞める2週間前に言えばよいのだが、次の人の事や事務員の仕事がたくさん残っていることを考えると、2週間後に辞めますというふうには出来なかった。
結果、6月末ではなく7月末の退職となった。
今までの職場に感謝し次に進むことにした。
アラフィフで退職なんて周りには何と思われるのだろうか?
この世の常識ではもったいない、とか、老後の心配をしないのかな、とか思われるだろう。
そんな心配は無用である。
自分らしく生きないことがもったいないのである。

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