アンドレアス・フォンダーラッハ『人種の脱構築: 生物学に反する社会科学』③

 引き続いて一九七〇年代までアメリカの人類学を支配したボアズの弟子としては、ルート・ベネディクト(一八八七-一九四八)、マーガレット・ミード(一九〇一-一九七八)、アルフレッド・L・クレーバー(一八七六-一九六〇)、アシュリー・モンタグ(一九〇五-一九九九)、アブラム・カーディナー(一八九一-一九八一)、ジェフリー・ゴーラー(一九〇五-一九八五年)などがいる。ボアズ学派は、文化とは学習によって刻みこまれるであると考えた。人間の行動は文化によって条件づけられ、だからこそ最高度に変容可能なものなのである。「一つの文化は、多かれ少なかれ程度問題として、一貫した思考や行動の基準をもっているような一人の個人と類比的に考えることができる」、こうルート・ベネディクトは記している。その際には、あらゆる文化は原理的に他の文化と同じなのである。だからこそ、私たち自身の文化だけを好むことは、非常に視野が狭く、帝国主義的で、「人種的偏見」を基礎とするのである(ルート・ベネディクト)。
 あらゆる面において——ボアズ自身がそうであったように——エスニックや性におけるマイノリティに属していた(多くがヨーロッパからのユダヤ人の移民を出自とし、ルート・ベネディクトとマーガレット・ミードはレズビアンのカップルであった)ボアズ学派の代表者たちにとっては、自分に固有の文化などというものは、自身のアイデンティティの肯定的な構成要素ではなく、自分たちを脅かす窮屈なものであり、またひとがそこから解放されなければならない、しかもそれができるような何ものかであった。ボアズの考えるところでは、〈伝統の軛〉から脱皮することができてはじめて、自由な社会が可能となるのであった。彼はこう書いている。「社会的生活について私の思考のすべては、実際に以下の問いを基礎としている。どのような過去が私たちを鎖に縛りつけているか、いかにしてひとはそれを認識できるのだろうか。私たちがそれを認識すれば、私たちはそれを打ち破ることができるのである」。私たちに固有の文化に対する左翼の心情的敵意の原因の一つはここにあるのである。
 この文化-人格学派によるメッセージは、政治の領域におさまるものではなく、以下のように理解された。すなわち文化とは人間によって作為されたものであり、だからこそ変えられるのだ、と。このユダヤ人の学者たちは、しばしば内的な闘争によって、自らのユダヤ人的な起源の文化を棄てると同時に、またユダヤ人ではない多数派の文化を、自分にとっての圧迫と考えていた。さらにそこに加わるのは、伝統的なユダヤ人の選民意識的感情とメシアニズムであり、それはいまや世俗化された人類のユートピアに仮託されたのである。彼らは「人種差別」というとまずは反ユダヤ主義と理解し、またそれを自分への個人攻撃とみなすのである。これは、彼らの敵たちにあまり意識されていない側面ではあるが。アメリカ・ユダヤ人協会のような数多くのユダヤ人の組織が、一九三〇年代において、フランツ・ボアズとその弟子たちの研究を財政的に援助していた。
 もしひとが社会の制度や信念を変えることができるならば、人格もまた変えることができるし、また新たな解放されて(「自由になった」)人間を造りだすことができるだろう。ボアズ主義者たちは、グローバルな人種の平等性を社会技術によって生産する可能性を信じていたのだ。この全能感の妄想は、今日にいたるまで、多くの左翼的な政治のイメージの背後に隠れている。つまり、あらゆる人種的偏見が撤廃されて、身体的な区別がいかなる役割も果たさなくなれば、普遍的な平等には、何の障害もなくなるというのだ。このことが同時に、彼らがそれを保護しなければならないと称している(ただし自分自身の文化は除く)伝統的な文化や民族的なものの解体を意味することを、ひとはほとんど意識していない。結局のところ、ボアズ主義者たちの信念は科学的認識などではなく、思弁を根拠としてイデオロギー的な命題なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?