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物体があるからこそ影がある。物体に光が当たることで影ができる。そして、その影は光が強いほど濃いものとなる。

希望があるからこそ絶望があるし、恋愛があるからこそ失恋があるし、幸福があるからこそ不幸があり、生があるからこそ死がある。しかし、それは希望、恋愛、幸福、生に光が当たってるからである。

私達は、暗いものから目を逸らしたいがために、より明るいものを見たがる。希望、恋愛、幸福、生。それらのものをより明るく見るにはどうするか。光を強くすればいいのである。

しかし、それと同時に影の部分も濃くなっていることに、光に当たった物体のみを何となく見ている私たちは気づかない。

そしてしばらくすると、変わらない物体を「注意して見なくてもいいもの」と捉え、当たり前に思うようになる。

しかし、私たちが物体から目を離さざるを得なくなってしまった時、物体が恋しくなったり、物体の影の濃さに気づく。そして物体と影の落差に苦しむのである。

しかし、影はずっとそこにあり、ただ私たちが見ていなかっただけである。崖が目の前にあるのに気づかずに呆然と歩いて落ちるようなものである。

この落差による苦しみを改善する方法としては、事前に影の部分を把握しておくか、光を当てすぎないか、落ちても何とも思わないようになるか、であると私は思う。

影を把握していれば事前に何らかの対応ができる。つまり日頃から影から目を反らさないようにすれば良いということである。

光を当てすぎない。これは過度な希望、行き過ぎた恋愛…(以下略)をすることで、その影である絶望、失恋の影響が大きくなるから、過度は避けようということである。

落ちても何にも思わないようになる。これはよろしくないけど、1つの手段ではある。つまり、全てどうでもいいと思うようになるということである。どうでも良ければどんな事でも気にしなくて済む。

まとめると

明るいものと対称的な「影」の日常的な把握、「影」が濃くならないように「光の当てすぎ」を避けることが「影」による苦しみを抑えるための有効的な手段と私は考える。

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