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口内炎だと思ったら「がん」だった話(6)〜 HCU入室

先日、人生で初めて内視鏡検査をしました。
詳細は、目次「おまけ」に記載しましたので割愛させていただきます。
帰り道に食べた餃子定食が美味しかったー!10個もお皿にのってお得でした!
検査の看護師さんからは指定された時間以降に消化の良いものを食べるよう説明されましたが…苦笑。


前回までのあらすじ

無事に手術を終えて、ICUに入室しました。
しかし、その日の夜、たんを吸引するとき私は吐いてしまいました。申し訳なさそうに、ケアをする看護師さんに私は「自分が悪いのにな」と自己嫌悪に。声が出ない分、なおさらそう感じました。

★過去の記事はこちらから読めます!

2月23日(金)

ICU入室2日目&HCU入室初日

午前2時ごろ、再び事件が起きました。
呼吸が苦しく目が覚めたところに看護師さんが来ました。そしてたんの吸引をしてくれることに。さっき吐いてしまったので、またオエっとなってしまうのだろうかと吸引されることが嫌でした。
仕方なく、やってもらうことにしました。
やはり、想定どおりオエっとなりました。
吐くというより、胃に何もないから唾液やたんの一部を「出す」という表現が正しいです。

しかも、またパジャマを汚してしまいました。
夜勤で大変なのにこんな面倒なことまで巻き込んでほんと、ごめんなさい。

ということで、たんの吸引はやんわりと処置されました。(ほんとはよくないと思いますが、喉の奥に絡むぐらいたんが残っている状態です。)

朝を迎えました。(といっても、地下だから陽が見えません。笑)
夜中にカテーテルを入れたら吐いてしまった経緯のため、吸引する前に「ジェット式のネブライザー」を使用することになりました。(私が寝た後に協議したのだと思います。)

細かい霧状にした液体の吸入薬でたんを柔らかくさせてからカテーテルで取る作戦 ー 1回戦。カテーテルを奥まで入れずに済んだので夜中よりマシになりました。

しかし、喉元のカニューレに入れる行為は変わりません。
HCUに移動しお昼の栄養剤を投与した後(午後2時ごろ)に吐いてしまいました。

とある強豪な看護師さんは
「吐くこともリハビリのうち。腹筋が強くなるから」と無理やりカテーテルを喉に突っ込みました。そして案の定、吐きそうになる私でした。
それからたんを吸引するときは、必ずガーグルベース(プラスチックの器)を手に持って吐いてもいいように準備していました。(器はICU、HCUそれぞれから借りてテーブルの上に常時置きました。)

この日も歩行補助器具を使って歩く練習をしました。HCUのフロアを2周。移植で削ぎ落とされた右ふくらはぎが少し痛む程度ですが、歩く際に問題はありませんでした。

HCUの病室は私ともう1人患者さんがいましたが、カーテンに囲われているので医師や看護師さんとやり取りしている声しかわかりませんでした。

この日の夜、向かいのベッドに新たな患者さんが入ってきました。

「おかあさーん」
「おねえさーん」
「おばあちゃーん」

寝言、というより独り言。それも、ものすごいはっきり大きな声で独り言を発していたので、目が覚めてしまいました。
寝よう、寝ようと思っても向かいの患者さんの独り言と私自身の頭頸部の痛さでなかなか寝つけませんでした。2時間おきに目を覚ましては寝てを繰り返し、起床時刻を迎えました。

2月24日(土)

HCU入室2日目

昨夜の寝言(独り言)が申し送りで共有されたようで、私は別の部屋に移ることになりました。

10時過ぎ、歩行の練習兼処置。
担当医師2名に付き添われて、HCUがある4階から担当科の病棟に行きました。

部屋を出て廊下を歩くと、胃がムカムカしました。
一度立ち止まり、気を取り直そうとしたら本当に吐いてしまいました。
幸い、ビニール袋を被せたガーグルベース(プラスチックの器)を持っていましたので、難を逃れました。(廊下を汚さなかったという意味。)
歩いて向かうのは一旦中止。車椅子で処置室に向かいました。

処置室では、気管に挿入されている「カニューレ」を交換しました。
以前のものは呼吸が苦しく声が出ないタイプでしたが、のどで呼吸しやすいタイプに切り替えました。声はまだ出ません。

処置室から病室に戻るときも車椅子でした。
術後3日ではまだまだ体調が不安定なんだなと感じました。

カニューレを交換してもたんの吸引は変わらず苦しいです。

午後、看護師さん2人が体を拭きに来ました。
最後にシャワーを浴びたのは手術前日。それ以降、からだも髪も洗っていません。(ICUでも濡れタオルでからだを拭いてもらっていました。)
右耳がなんかカサカサするのでウエットシートで拭くと、茶色の塊がポロリ!
ベテランの看護師さんが

あー、それ、イソジン、消毒液だね
先生、そのままにしちゃったんだ

手術した際に垂れてそのままの状態だったのではと想像しました。
変なものじゃないと分かったので別にいいのですが、付いたままだと不潔な感じがしたので私は耳のふち、裏側を念入りに拭きました。
それにしてもイソジンとは。うがい薬なんてチープで、身近すぎないか。

髪もボサボサ。
そういえば、術後から髪をとかしてなかったかも。
みかねたベテランの看護師さん(再び登場)は

よし!おさげにしてあげよう!

と私のからまった髪の毛をヘアブラシでほどき始めました。
時間がかかるので、その看護師さんは愚痴と憧れを込めて話しました。

太くてまっすぐな髪質でいいなー
私の髪は猫っ毛で、くるくるしちゃうの

誰しもないものねだりなんだなーと。

とかした髪をふたつに分けてそれぞれ三つ編みをしていただきました。
私はヘアゴムを2本持っていませんでしたので、看護師さんの知恵でメッシュの包帯ガーゼを巻きつけました。さすが、ベテラン!と感心しちゃいました。笑

人生で(たぶん)2度目のおさげ。(1度目は幼稚園の夏祭りで浴衣を着たとき。)
かわいいと言われて少し嬉しくなった31歳です。

2月25日(日)

HCU入室3日目

この日は雨。週末になると普通病棟に移る患者さんが増えるので、フロアが静かでした。

カニューレに挿入されている栓を「スポンジ」タイプに切り替えました。
昨日カニューレそのものを交換したばかりなのに!
ですが、スポンジ栓にしたことで、鼻と口で呼吸ができるようになりました!
これである程度、声が出るようになります。
(※構造はワインボトルの栓と同じだそうです。フタを外すとポンっと空気が抜ける音がします。舌がん患者にお酒に例えて説明するとは。笑)
(おそらくこの日は気分も悪くならず、歩いて処置室に行ったと思います。)

14時過ぎ、母と父が頼んだ物品を持ってきてくれました。

・綿棒
・ヘアゴム
・水なしシャンプー
・郵便物

こういうとき、家族がいてよかったと思いました。

夕方は4階から14階まで歩行の練習をしました。
もちろん、看護師さんが付き添いました。(私と歳が近かったです。)
最上階でたくさんおしゃべりをしてくれましたが、私はその話をただ聴くだけ。話すことができない状態だったことが心苦しかったです。

つづく。

追記

いまさらですが、思い出したことを書きます。

このHCU入室時にレントゲンを撮りました。
検査室まで歩けないため、簡易的な装置を2人がかりで病室に持って来ました。

1人は白い板を、もう1人はレントゲンのカメラ。

ベッドで上体を起こしただけで、こんなラクに撮ってもらえるのかと感心しました。(息を吸うのは変わりありませんが。)
あと、手術の日から下着(ブラジャー)をつけていないのでそのまま撮れることがラクでした。(検査技師も確認しませんでした。)


おまけ - 内視鏡検査 

2024年4月16日
初めての内視鏡検査。

受付を済ませたら、事前に胃をきれいにする液体の薬(ポカリスエットに似た味)を飲みました。

荷物をロッカーにしまい、
麻酔を入れるため腕に注射針を刺しました。

いったん待合室に戻りイスに座っていると
だんだん体が温かくなってきました。
朝から何も食べてないので
頭がぼっーとしてテレビ(NHKしか映らない)を観ていました。

何も食べてないときに限って
食事系の内容が流れるんですよね。
(たまたまか。それを観ちゃう私も私だが。笑)

診察室に呼ばれ、台で左向きに横になったら、鎮静剤(静脈麻酔)を投与しました。
まだ意識があるうちに、口にマウスピース(エンドリーダー)をくわえ、布のマスクをしました。
そして、そこから記憶がなくなり次に目が覚めたら、検査が終わっていました。
初めての内視鏡検査はあっという間に終わってしまいました。

オエっとすることを覚悟していたのですが、なくてよかったです。ただ、検査後は唇が痺れていたり、ぼーっとした感覚が残ったり、違和感はありました。