[ベトナム233日目]ベトナム人と日本人のたった2つの感覚的に巨大な差異
オフショア開発の担当をしていると、報連相やコミュニケーションの問題が発生すると思います。
評価項目を詳細化して、「できている」or「できていない」で評価するようにしないと、全員が「頑張っている」と主張してくることがあるとは思います。
計画・スケジュールが粗らく、指摘をすることが多い方もいるのではないでしょうか。
対策とか検討のスキルが不足していると感じる方もいらっしゃるかと思います。
今回は、3つの観点を理解して、日本人が譲歩して対応してあげる方が、翻って上手くいくと考えています。
対策施策を日本人が検討し、ベトナム人の方々に運用していただくのが良いのではないでしょうか?
感覚差①未来思考の不足
過去に対する分析は、満点の回答でなくても、相談するたたき台レベルで提供されることがあります。
規程のルールを頑張って運用しようとします。
重要なことは、以下の2つです。
計画や検討などは、リスクを具体的に検討できません。
過去の実績を元に、見込みを計画することができません。
どうやら、小学生からの作文に「将来の夢」などはないようです。
原因:時間間隔の差異
インフラ発展などに紐づいた時間が守られる国と、そうでない国で時間厳守の感覚が異なるようです。
日本やドイツ、スイス、デンマーク、スウェーデンは、時間厳守を好む傾向にあります。
逆に、イタリア、ロシア、ベトナム、中国などは、時間厳守の感覚が低い傾向にあります。
日本は常識で、ベトナムでは非常識な感覚であることを理解しましょう。
感覚差②自責感覚の不足
ハノイ工科大学で授業をしている優秀な知人に、人生相談ノリでオフショア開発の監視コントロールの相談をしていたことがあります。
その時にお聞きした「公園の子どもと石」の話です。
もし、「あなたの子どもが公園を走っていて、転んだとしたら、どのように声を掛けますか?」という質問の答えが、文化を分けます。
日本人の我々は、「大丈夫?」とか「気を付けてね」と声を掛けます。
ベトナム人の方々は、「この石!」と石に怒るそうです。
ジェスチャーというか、リアクションとしてそうするようですが、本人が気を付けることで改善を積み重ねるという感覚が日本人と異なるようです。
原因:日本人が改善(KAIZEN)が得意過ぎること
ベトナムでは、長らく不安定な社会経済でした。
南北が歴史的に別国であったのにも関わらず統一し、近現代にかけて再度冷戦に巻き込まれて分断し、再度統一されたかと思いきや、当時最先端の政治思想であった共産主義を前提とした社会主義でした。
社会主義国の多くは、共産党の権力がとにかく強く、アンダーテーブルが多く存在する状況を生み出しました。
ただ、西暦1000年代頃まで、中国そのものであったベトナムは、科挙の合格者が多くいるような優秀な人物を輩出する国でした。
現在でもフォーブスU30の人員を輩出しています。
その方は、数学オリンピックで準優勝しているような方です。
その一部の優秀な人を輩出するからこそ、アジア圏内で日本とビジネスをする企業が多く登場しているようです。
本題に戻ると、短絡的な思考になるのは、朝令暮改の社会に起因しているようです。
気にしていると生きては行けず、柔軟に対応するしかないということの方が常識になっているようです。
日本では、計画と実績、ふりかえり、改善を継続することが常識で、得意なようです。
「改善」という言葉は世界に類似の言葉がなく、「KAIZEN」で知られるほどになりました。
日本が改善が得意過ぎる、かつ、ベトナム人が改善する習慣がないということが差異を生んでいます。
副次的な問題:思い遣り感覚の欠如
自分の思い遣りで、こういう行動をしてあげよう。という感覚がありません。
「報告をしてあげることで、相手の安心に繋がる。」という価値観はありません。
業務上で必要だから、報告をする。
要求事項で、「計画を超過する進捗が発覚した場合には、30分以内に報告し、2時間以内に整理し、見込みを報告する。」とあるから、連絡・相談をする。という状況に過ぎません。
油断するとベトナム人は、打ち合わせ中に別件の話をしますし、当日に遅れる旨の報告も対策もなくしてきます。
しかし、そういうことが発生することを踏まえた対応を取ることで、日本が煽りを受ける前に対策を検討して、ベトナムチームに運用してもらうことができると考えています。
画像提供:pixabay
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