CHANGEと素直さ

こんにちは。雪墨です。

大学生になってから、人と関わる機会が増えました。高校までは似たもの同士で固まって遊ぶことが多かったのですが、今関わっている人は価値観も年齢もバラバラです。

このような環境では、意見の対立や喧嘩が起こりやすい。

では、どのようにしたら、対立ではなく対話することができるのか。何を意識すれば相手からの意見や助言を受け止めることができるのか。

これについて私の考えを書こうと思います。
また、これに関連してCHANGEというドラマの台詞を紹介しようと思います。

(この記事は昨日投稿したnoteの一部として書いたものなのですが、文が長くなりすぎたので二つの記事に分割しました。)

成長に必要不可欠な素直さ

成長するためには知的好奇心や素直さが必要だという言葉を本などでよく目にします。

知的好奇心は自分の内側から出てくる意欲です。
そのため、自分が学びたいと思った分野しか伸びず、聞きたいと思った話だけに集中することになります。

それに対して素直さがあれば、自分だけでは学ぶことができない分野、気づくことができない面を成長させることができます。

ここで言う素直さとは、他人の話を素直に聞き入れることを指します。

しかし、人からのアドバイスは致命的であればあるほど心が痛みます。そして、心が痛めば人は防衛するため殻に閉じこもります。

「人の性格に善し悪しもない。否定してくるな」「そんなことは言われなくてもわかっている」と。

自分が学びたくもない、変えたくない部分に対して他人からアドバイスをもらう。人によっては強い口調で元々の自分の考え方を否定してくる。これらはあまり良い気分がしないでしょう。

しかし、もしも相手から何か学びたい、成長したいという思いがあるのであれば、このような他者からの意見を受け入れる力が必要です。

これを受け入れるために大切なのは、素直さ踏み出す勇気だと思っています。

就活でも「この会社に入って成長したい」という人がいますが、その場合の成長とはどちらを指すのでしょう。

私も就活の序盤で成長したいと考えていましたが、私にとっての成長とは知的好奇心からくるものだけを指していました。

しかし、自分の外側から、自分の内面を注意される。これ以上の成長の機会は無いのかもしれません。

もちろん全てのアドバイスが正しいわけではないでしょう。そのため、素直に聞いた後、それを実践するかどうかは自分次第です。

そして、助言を受け入れるかどうか迷った際には、対話が大事だと私は思います。

相手の助言を素直にきき、感謝しつつ、その助言に対する自分の意見を伝える。そしてお互いにお互いの意見の異なる部分を模索し、全体像を理解する。

すると、お互いに相手の意見と自分の意見の共通点や異なる点、互いの意見が両立可能なものなのかが見えてくることがあります。

そして、相手の立場,価値観が分かれば、伝え方を工夫することもできます。

次の章からはその全体像とはどのようなものなのか、私の考えや学んだことを書こうと思います。

その前に、次の章への導入として、CHANGE というドラマの主人公、元小学校教師の内閣総理大臣である朝倉 啓太のセリフを紹介します。

アメリカ合衆国通商代表に対して、朝倉の考えを話すシーンです。

朝倉「小学校でいじめなどの問題があったとき、ぼく(先生)はこういう風に言っていました。「考えようって」自分の言いたいことはちゃんと相手に言って、相手の言うことはちゃんと聞いて、それでお互いにとことん考えようって。そうすれば…」
朝倉の秘書官「分かり合える。」 
朝倉「いえ…」
「相手と自分は違うんだということに気づくんです」
「同じ人間だと思っているから、ちょっと否定されただけでむかついたり、誰かが一人別行動をとったら、なんだアイツって。そこから喧嘩とかいじめが始まるんです。」
「自分と相手は違う。そのうえで子供たちには、どういう言葉を使えば、自分の気持ちが相手に伝わるのか。どうすれば相手を説得できるのか。そこを考えろと言ってきました。外交も同じだと思うんですよ…。」

ここでの「考える」とは、伝える側の話です。それに対し、私が言う素直さとは、聞き手の話。
そして、少し先の章で書く「踏み出す勇気」とは、その両方に求められる姿勢を指します。

自分と相手の全体図

私は、自分と相手との関係性をベン図のイメージでとらえることが多いです。そして、ベン図が重ならない部分を私はあえて大きく見積もります。

恐らく、図の重なっていない部分にお互いの核となる価値観が存在し、それがぶつかり合ったときに大きな衝突がおこるのだと思います。

このベン図を使った考え方は、以下の記事を読んだことがきっかけで身に付きました。

以下のブログ記事には、自分と相手の心を表すベン図全体をありのまま受け入れることが相互依存だと書いてあります。私はこの考え方が好きで、最近はこの図を自然と意識するようになりました。https://nemotohiroyuki.jp/everyday-psychology/247

また、この人自分と似ているな…と感じた時こそ危険です。相手と自分は共通点もあるけど、異なる部分も沢山あるだろうと考えることが重要だと思います。

少し脱線しますが、9/3のこの記事を目にした方は多いのではないでしょうか。https://twitter.com/mainichi/status/1301436015370936321?s=20

芦田愛菜さんの、「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ」という言葉。

これは、今までベン図の重なり合った部分を意識して見ていた状態から、相手の異なる部分を認識し始めたことを表していると思います。

ここで、相手の自分と異なる部分を理解しようと努めるのか、受け入れないのかは個人の自由ですが、上記のベン図をまるごと愛するという理想の形を実現するためには、越えなければいけない壁だと思います。

踏み出す勇気

最初の話に戻ります。

いままで成長するために必要なのは、知的好奇心と素直な心であると書いてきました。

そしてその素直な心とは、相手と自分は違う人であり、価値観が違って当然だと認識するところが出発点だと思います。

相手と自分は違うからこそ、真に相手を知るためには一歩相手側に踏み出す必要があります。

以下はなぜその考えに至ったのか、そのきっかけとなった私の実体験です。

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私のような年齢的にも精神的にも未熟な学生には学ぶ機会が沢山あります。

大学生への教員からのアドバイス。新入社員への先輩社員からのアドバイス。などなど、これらは無視するにはもったいない成長の機会です。

私はつい最近まで相手の話を素直に聞くことができませんでした。性格は個性であり、誰からも指図できない領域にあると考えていたからです。

また、相手のアドバイスが本当に正しいのか確かめようがないといのも理由の一つでした。(神様からのアドバイスなら聞き入れるけど…と)

この考え方が変わったきっかけが就活でした。

<就職活動の話>

私は就活の進め方や内定先について大学の先生からメールで何回も注意された時期があります。「その内定先で本当に大丈夫なの?」「過信しすぎでは」「こだわりすぎている」と。

最初私は「キャリアに正解なんてないから、自分の考えを否定されるのはおかしい」と考え、耳(心)を傾けませんでした…。

私が心を開いたのは先生から約7通目の注意メール(line)が届いたときです。

そのメール通知を見て、ふと思いました。

今先生は、先生側から私との異なる部分(ベン図の重ならない領域)に足を踏み込んできている。それはとても勇気がいることではないだろうか?と。

また、今私は自分と先生の間の、ベン図の重なる部分にしか目を向けられていない。このまま先生の意見を受け入れなければ、未熟な精神のまま社会人になるのではないか?と。

そこで私は考えを改め、行動を変えました。

まず、文面で自分の間違っていた部分を素直に謝罪するとともに、先生の意見も自分には理解できない旨を伝えました。そして、先生の考え方を真に理解するために直接会って話がしたいと伝えました。

そのメールを送信した後、急いで現時点での私の考えや価値観をノートにまとめました。これは、もし私の考え方が先生の色で染まったとしても、元々の自分を思い出せるようにするためです。

これにより、先生の就活論で就活を再開する覚悟と準備ができました。

この日は私や先生にとって記念すべき日だったかもしれません。

先生は私とのLINEのトークルームで、この日送った文章をアナウンスに登録しています

このように、お互いの意見がぶつかった時などは、それぞれ相手の立場、考えを理解しようとすることが大事だと学びました。

そして、お互いの価値観の異なる領域を、互いに理解するためには対話が効果的だと考えます。

その対話には、相手の領域に踏み出す勇気と、自分の既存の考え方に対するプライドを一度捨てて、素直に聞き入れる力が必要だと思います。

まとめ

成長には、知的好奇心からくる自発的なものと、他人が気づかせてくれるものがある。

他者からの言葉を素直に受け取る力が無ければ、その気づきを得ることは難しく、相手ともお互いに理解し合えないままになる可能性がある。

そうならないためには、互いに相手に歩み寄る勇気と工夫が必要。

まず相手と自分は違うんだということを認識する。
そして、お互いに、互いの考えの異なる部分を理解し受け入れようとする。
自分の意見を伝える際は、伝え方を工夫し、それを聞く側は素直に聞きとる努力をする。

これらを実行することで、互いを真に理解することができると考えています。

この話は決して全員と仲良くなろうという話ではありません。相手をもっと知りたい(そのうえでどうしても伝えたいことがある)、相手からもっと学びたい、と思った際の具体的な方法について書いたつもりです。

最後に

この記事のテーマである「素直に聞く」ということ。

これには聞き手の姿勢の話だけではなく、相手の立場で、相手の基準で話を聞き、ありのまま素直に理解しようとするという意味も含まれています。

現在テレビや新聞でよく取り上げられるアメリカの人種差別問題。

これに関して、どこで生まれようと、どんな人種であっても全員が同じ「人間」だ。なぜ差別するんだ。という意見をよく耳にします。

これもとても大切な考え方です。

しかし、私には「自分と相手は同じだ」と考えること自体が争いを生んでいるのではないかと感じる時があります。

この問題に関して私は、正確には、人種に優劣はないが、違いはあると思っています。

歩んできた歴史や文化などの違いを理解しつつ、今目の前にいる相手と自分の間には優劣なんてないと考える。人をはかるものさしなど存在しないことを意識する。

そして、互いの異なる部分と共通点を知り、尊重し合う。

今こそ、そのための対話が必要不可欠だと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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