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意図して揺れて自然に止まるハズだった

6,7年前に左右揺振という言葉を知った。それから私は意図して揺れるようになった。


左右揺振: 曹洞宗において、坐禅の準備段階で行ういわば作法の一つ。

足を組んだまま、上体を左右へ、はじめ大きく徐々に小さく揺らし、振り子が止まるように、中心で静止することで、身体の中心位置を確認する。https://www.sotozen-net.or.jp/propagation/zazentop/saho


座禅を組んだことが数回ある。
親戚の家の近くの寺。

そこでは必ず左右に揺れ、身体の中心を確認してから座禅に入っていた。

私はそれが好きだった。

一度やってみてほしい。
これをすると、本当に身体の中心、つまり安定する位置がつかめるのだ。

「これだ」

ある時ピンときた。

その頃の私は今よりもっと「軸がない」人間で、それ故に少し自己嫌悪に陥っていた。

だからこそ、この左右揺振の考え方は正に救いの手だった。

私のブレた生き方を肯定してくれているような気がしたからだ。

「ブレていて良い。寧ろ初めは右に左に大きく揺れなさい。いつか自分の軸、安定する位置がつかめてくるから。」

それからというもの、私は揺れに揺れた。

友人から勧められたものは殆ど手を付け、映画やアニメからも影響を受け、機会があれば全て掴もうとした。

高校、大学とそれは続いた。

辛いことがあったとしても、これも左右の揺れの一つであり、かけ替えのない軸の材料だと思えるようになっていた。

そんな私の前に、最初に立ちはだかった壁は「就活」だった。

企業選びの「軸」は?
あなたを「一言で」表すと?

これはまずい
大学二年次の模擬面接でそう感じた私は、人より早めに就活を初めた。

そして色々な企業を見学し、相変わらず左右揺振によって「軸」を探し続けた。

IT、コンサル、メーカー、不動産、エンタメ……。

「自分の落ち着く位置はどこにある?」

こう振り返ると、私は案外感覚的に生きているらしい。

賢い友人は、早々に自分の軸と目標を定めそこに一点集中することで、効率的に就活をしていた。

それに比べると私は大きく遠回りして、今の会社に就職した。


次に立ちはだかった壁
いや、今立ちはだかっている壁が、会社であり仕事である。

就活で求められたことが、会社で要求されないハズもなく、今まさに「軸」が求められているのだ。

「君」は何がしたいの?
「君」はどんな人なの?

直接そのように聞かれることはないが、様々な場面でこれに対する答えが要求される。

毎回私は困惑する。

今はまだ研修で、物凄く困っているわけでもないが、この先本格的に働くとになれば、「軸」が強く求められる。

軸は主体性に大きく影響するからだ。
自分がなければ主体的に動くことも勿論難しい……。

「ん?待てよ。」

「左右揺振は軸を見つける手段ではなかったか?」

「それなのに、未だに全く見つからないではないか!」

その時ハッとした。
手段の目的化というやつだ。

軸を探す方法が左右揺振であるのに対し、私はひたすら左右に揺れることを考えていた。

これでは見つかるハズもない。

さて、どうするか。

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エッセイとしてはここまでです。

ただ、ここで終わると歯切れが悪いので、この先は現時点の私の考えを書いておきます。

左右に揺れる。つまり様々な物事を経験して、自分の軸や価値観を模索する。

正にそれこそが私の軸。

というのは、確かに実際そうなのですが、社会では応用が効きにくい。

そこで考えました。

今、現時点の私の考え(哲学)を分野ごとに書き残してみてはどうだろう。と

人間関係、お金、仕事、上司、友人、家族、遊びなど

つまりは哲学書を作ってみようと思います。


おわりに。

左右揺振という曖昧な生き方は決して間違ってはいないと思います。

ただ、資本主義社会、そして会社の中では通用させにくいところがあります。

資本主義は競争の社会です。
生きるか死ぬか。
白か黒か。

そんな環境下では、曖昧さや判断の遅さが命取りになることも多いでしょう。

だからこそ、私は両方用意することを提案します。

つまり、社会のルールや風潮から外れた、自分だけの休憩所を持ちつつ、社会の中でうまくやっていくだけの技術と考えを用意しておくのです。

これはまだ仮説にすぎないので、今後私が実践しながら効果を試していこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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