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80年代プログレシーンのアイコン、Marillion『独り芝居の道化師』を徹底解析〜失われた時代の音楽を今聴く理由

■Marillion / Script for a Jesters Tear
■収録曲 Side 1 - 1.Script for a Jester's Tear(8:44) 2.He Knows You Know(5:23) 3.The Web(8:52) // Side 2 - 1."Garden Party(7:19) 2.Chelsea Monday(8:17) 3.Forgotten Sons(8:23)
■パーソネル:Fish(vo) Mick Pointer(dr) Steve Rothery(g) Mark Kelly(key) Pete Trewavas(b)
■リリース:1983年3月
■カバー・アート:Mark Wilkinson


1983年にリリースされたマリリオンのファーストアルバム、Script for a Jesters Tear、邦題「独り芝居の道化師」です。

ネオ・プログレッシヴorポンプ

 80年代初期、雑誌等ではネオ・プログレッシヴと当時呼ばれていた記憶があるのですが、後にポンプと呼ばれることとなるムーブメントが起こりました。マリリオンはポンプの旗手的な存在であったとともに、そこそこのセールスを記録し、以降長年続いたグループの一つです。ポンプといえば、Pendragon,Deyss,Castanarcといったところが思い出されますが、現在どのくらいのバンドが現存してるのでしょうか。

アルバムScript for a Jesters Tearについて

 さて、このアルバムですが、発売当初、メジャーであった、ミュージックライフとか音楽専科とかいった雑誌の評ではジェネシスもどきのように書かれていた記憶があります。・・・確かに、と当時は納得していたし、フィッシュの声が微妙に肌に合わなかったのですが、その後、レコード棚の隅で何十年間に渡って眠りつづけた彼らのアルバムをとあるきっかけで取り出して聴いてみたところ、かなりハマれることに改めて気付きました。

 Script for a Jesters Tearは、強弱が極端につけられているので、かなり大音量で聴かないと小音量部分が耳に入って来ないところが微妙に難点ですが、ちゃんと聴くと、場面展開がかなり計算されていて、なかなか面白い楽曲です。

 このバンドは各楽器の音がよく練られていますね。今聞いてみても、残響がぽよんぽよん跳ねるドラムスと伸びやかで微妙に歪みのあるギターの音色がいい感じです。もちろん各種鍵盤の音色の良さは論を待たないところ。

 さて、2曲目He Knows You Knowを聴いて思い出したのですが、当時、フィッシュのこうしたヒステリックなボーカル・スタイルが大嫌いだったんですよ。メロディーに乗れてなくてせっかくのいい演奏にパンクみたいに汚い音を混ぜている気がして。でも、まぁ、何十年も経て聴いてみると、まぁ判らないわけでもないなぁと。

 ピーター・ガブリエルさんになろうとして極端に強弱付けすぎちゃいました。若気の至り。みたいな、そんな感じだったんでしょうかね。今となっては微笑ましく聴けたりしますので、私の耳も大分丸くなったものだなぁと・・・。

 Webも展開が大きいいい曲です。中間部のギターソロの後短いボーカルパートを経て様々な鍵盤を駆使した煌びやかな演奏は圧巻。サルマシス的だけどハード・プログレに通じるダイナミックな展開がめっちゃツボです!ほか端折りますがどの曲も8分前後で全6曲という構成も聞きやすくって、なぜか今頃どハマり中です!

 マーク・ウィルキンソンの絵がまた良いですね。プチ・ホラーが入っていますが、偏執的に緻密でプログレのジャケット以外考えられない絵。部屋に飾るにはちょっと恐いけど、時々取り出して眺めたくなります。このジャケットの裏側に描かれた部屋の床にはピンク・フロイドの神秘のジャケットも何気なく置かれています。枕の端が髑髏になってたりとか、そういう細部の拘りが良いのですよ~(^^)

ふとしたきっかけ

長い間、ちゃんとは聴いていなかったマリリオンですが、電車の中で、たまたま、iPhoneにダウンロードしていたScript for a Jesters Tearがかかり、歌詞を追いつつじっくりと聴いてしまいました。

すごく深い歌詞で、それをミュージカルを演じているように切々と歌い上げていたんですね。

Script for a Jesters Tearの歌詞の秘密に迫ってみる

歌詞では、失恋と失望に苦しむ一人の人物の感情が描かれています。過去の失敗と感情的な痛みを反省しながら、愛の表現が遅すぎたとの後悔が語られています。主人公は、人生というゲームで繰り返し敗北を経験し、最終的には過去を手放し、独りで立ち向かう決意を示しています。感情的な自己犠牲とプライドの過剰摂取が彼の苦悩の原因として描かれており、最終的には過去の愛に別れを告げる過程が描かれています。

この歌詞の中で「ブランコ」と「メリーゴーランド」は、人生の不確実性と挑戦を象徴する比喩として使われています。ブランコは前後に動くことから、人生の進退や感情の揺れを表しており、物事が常に一定の方向に進まないことを示唆しています。一方で、メリーゴーランドは回転することから、同じ問題や状況が繰り返し現れる様子、つまり変化のない繰り返しや停滞を表しています。これらの遊具を用いることで、主人公が感情的なサイクルや人生のループから脱却できずに苦しんでいる状況が強調され、彼の孤独と挫折を効果的に伝えています。

「ゲームでソロになる」という表現は、歌詞の中で人物が自己の旅を孤独に進むことを示しています。ここでの「ゲーム」とは、人生や恋愛などの比喩的な表現であり、通常、他人との関係性や相互作用を通じて進行するものです。しかし、このフレーズでは、主人公が他の人々との関わりを避け、自己の問題や挑戦に一人で向き合う選択をしたことを表しています。この孤独な旅の選択は、彼が自己反省や成長を求めていることを示唆しており、周囲からの支援や影響を受けずに自らの問題に立ち向かう決意を反映しています。これは自立と自己責任の強調であり、人生のゲームを一人でプレイすることの重みと孤独を象徴しているようです。

端的にいうと、ひどい人生であったが、自立して生きていくという意思表明です。この歌詞は、過去の失恋や失敗を乗り越え、それに伴う感情的な苦痛を経ても、独立し自己決定の道を歩む決意を描いています。歌詞の中の主人公は、人生の困難(比喩的にブランコやメリーゴーランドと表現されている)に翻弄された経験を持つものの、これらの経験を乗り越えて一人で前進しようとする強い意志を示しています。これは、自立というテーマを強調し、たとえ辛い状況でも自分自身の力で生きていくことの重要性を訴えている歌詞です。

最後に出てくる「But the game is over. Can you still say you love me」というフレーズは、歌詞の中で感情的なクライマックスを表しています。ここでの「ゲームが終わった」という表現は、人生や恋愛におけるある段階やサイクルが終了したことを意味し、もはや以前と同じ状況には戻れないことを示しています。この終了は失敗や終焉、あるいは変革の時を迎えたことを表している可能性があります。「まだ愛してると言えますか?」という問いは、そのような変化や終了した状況の中で、相手が依然として愛情を保持しているかどうかを問うものです。これは、関係の本質を試す質問でもあり、変わりゆく状況の中での愛の持続性に対する不安や疑問を表しています。このフレーズは、失われたかもしれない愛を確かめ、または再確認する試みとして解釈することができます。

この歌詞の文脈では、「you」という言葉は、おそらく語り手がかつて深い感情的な関係にあった相手、つまり恋愛関係の相手または非常に重要な人物を指しています。この「you」への言及は、語り手がその人物に対してまだ感情的なつながりや期待を持っていることを示唆しており、過去の愛や関係が終わった後でもその人が自分を愛しているかどうかを問い掛けています。このような問い掛けは、終わったとされる関係の中で未解決の感情や、未だに解消されていない愛情の確認を求めるものです。語り手は、変化し終わったとされる「ゲーム」(人生や関係の比喩)の中で、相手の愛情が継続しているかどうかを知りたいと願っています。

歌詞の途中で、曲のタイトル「涙のための脚本を見せた道化師」という表現が実に劇的に現れます。

「道化師」は、歌詞の中で非常に象徴的な意味を持ちます。ここでの「道化師」は、通常の意味での道化師、つまりコメディアンや芸人とは異なり、もっと深い役割を果たしている人物を指しています。この「道化師」は、人々に笑いや楽しみを提供する一方で、彼自身の内面的な悲しみや葛藤を隠しているかもしれません。「涙のための脚本」という言葉は、この道化師が人々に見せるパフォーマンスの裏に隠された悲しみや苦痛を暗示しています。つまり、彼は外向的には楽しませる役割を担いながらも、内面では悲しみや苦悩を抱えており、それを隠し通すための「脚本」、すなわち計画的に振る舞っていることを示唆しています。

この比喩は、人々が見せる外面と内面のギャップ、特に公の場で強がりを見せることの背後にある心の痛みや本当の感情を表現しています。この道化師は、自分の感情を隠しながら他人を慰める役割を担っていることで、複雑な人間性と感情の表現を深く掘り下げています。

この歌詞の文脈において「道化師(jester)」は、語り手自身を指しているのではないかと思います。語り手が自分自身を「道化師」と称することで、自らの役割や自己認識を表現しています。この自称は、語り手が他人を楽しませる一方で、自身の内面的な苦悩や悲しみを隠しているという矛盾を示しているかもしれません。

歌詞の中で語り手が「涙のための脚本を見せた道化師」と自己を描くことにより、表面的には楽しいまたは滑稽な外面を保ちつつ、実際には深い感情的な痛みや葛藤を内に秘めていることを暗示しています。このように自己を表現することで、語り手は自分の多面性や複雑な内面世界を明らかにしているのです。

かなり断定的に書きましたが、当たっているのではないでしょうかね?

まとめ

とにかく、Script for a Jesters Tearに半世紀ぶりにピントが合ったみたいで、久々に感動しまくっています!なので、思わずダラダラと長文を書いてしまいました!

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