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【読書感想】#1「葉桜の季節に君を想うということ」(歌野晶午)

はじめに

私の読書感想は,読んだ本の紹介的な感想というより,小説の中で出会った文章に感じた想いや,使いたい憧れる言い回しなんかをメインに書き溜めていく形にしたいと思っています.ネタバレとかは気にせずに書きますので,未読の方はご注意を.

あらすじ

自称探偵の成瀬将虎が,日常で出会う様々な人から依頼を受け,詐欺集団を調査したり,生き別れた娘を探したり,時にはヤクザの事務所に潜入したりと,なんでも屋として活動する.
日常生活で起こるような小さな事件や恋愛など,ありきたりな青春恋愛小説のように読み進めることができるのだが...

感想

まず,触れておきたいのがタイトルですね.
「葉桜の季節に君を想うということ」なんとも詩的でロマンチックです.
美しい青春ラブストーリーを期待してページを捲ると,想像とは全く異なる衝撃の書き始めにびっくりします笑

この作品は,いわゆる叙述トリックを用いた作品になっています.
騙されないよう警戒しながら読み進めるのも良いと思いますが,私の場合,気づいたら警戒心なんか忘れて,普通に読み進めてしまいました.(まんまと罠にハマってしまいましたね笑)

時系列がごちゃごちゃになっていたり,登場人物が多かったりと,しっかりと話を追いながら読むのが若干大変ではありますが,事件やハプニングがところどころ起きるので中弛みせずに読み切ることができます.

トリックは最後に明かされるわけなのですが,普通に騙されましたね.
騙されると言っても「うわぁ,騙された!」と言った感じではなく,「なるほど,そういうことだったか」と,今までの話を思い返し,納得するような衝撃だと思います.
主人公の言い回しとか,違和感は感じてはいたんですけどね...
↑まんまと騙されると言いたくなるセリフですね笑

心に残った文章

そのとき俺はどう思う。親しくなってしまうと、死なれた時の悲しみが深くなる。

歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」文藝春秋,2007年,230頁

自殺を図ろうとしたさくらという女性を助けたことから親しくなり,二人きりで食事をしたり映画を見たり,彼女のことを好きになってきている時の主人公の気持ち.
子供の頃は未来のことなんか考えず,人を大好きになって,お別れの日にいっぱい泣いて.思い出した夜にはみんなを思ってしばらくボーッとしてしまうことがよくあったのに,大人になるにつれて,そんな機会も少なくなっていることに気づかされました.
いずれさようならになって悲しくなるのなら,いっそ割り切った関係でいた方がいいのではないか,と考えてしまうことがあります.
これが大人になるということなのでしょうか.

我々は子供の頃、決して嘘をついてはいけませんと、家庭や学校で耳にタコができるほど聞かされてきたが、その教えを大人になっても律儀に守っている人間がいたとしたら、そいつは正直者とは呼ばれない。ただのバカである。

歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」文藝春秋,2007年,290頁

笑顔の素敵な安さんという老人に,別れた娘に会ってきて欲しいと頼まれ調査をします.主人公は,ついにその娘を見つけますが,未成年にして風俗で働いていることを知り,そのことを安さんに正直に伝えるか迷う.その時の文章.
その後,主人公は安さんに本当のことを伝えることにしますが,それは安さんのことを友達だと思っているからでした.
事実を知った安さんは,人が変わったように人懐っこさが消えてしまい.その姿を見て,バカ正直であった自分が問違っていたのだろうか,と考えてしまいます.
私も友達であれば正直に伝えてしまいそうです.きっと自分が安さんだったら事実を知りたいと思うし.
でも,その後の安さんの無駄死にを考えると難しい問題だと思いました.相手が傷つかないように嘘をつくことも.友情を信じて正直に話すことも,どっちにしても地獄だったのではないかと思ってしまいます.


俺は安さんのことも友達だと思っている、しかし友達は安さんだけではない.仕事も複数持っている.安さんにばかりかまっているわけにはいかないのだ-自分に対する言い訳としてはそんなところか。

歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」文藝春秋,2007年,292頁

安さんと疎遠になった後の主人公の言い訳.
良かれと思って自分のしたことで友達と疎遠になってしまう経験は,多くの人にもあるだろうと思います.
なかなかドライに思えますが,主人公が人一倍心が優しい人物だからこそ言い聞かせたセリフだと思います.

花を見たいやつは花を見て愉快に騒げばいい。一生のうちにそういう季節もある。葉を見る気がないのなら見なくていい。しかし今も桜は生きていると俺は知っている。赤と黄に色づいた桜の葉は、木枯らしが吹いても、そう簡単に散りはしない。

歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」文藝春秋,2007年,469頁

小説最後の文章.年齢によって色々なことを諦めるのは違う.老いとは,新しいことに挑戦できなくなった精神のことを言うのだと思う.
葉桜になっても見かたによっては満開なのだ.そういう年のとりかたをしたいと思いました.


人生の黄金時代は老いて行く将来にあり、過ぎ去った若年無知の時代にあるにあらず。

林語堂

中国の文学者・林語堂からの引用.作品の最後に紹介されています.
この言葉が,作品全体で伝えたいことを凝縮している様に思えます.

昔は良かったなと過去に思い馳せるのではなく,黄金時代である未来に目を向け生きていこうということですかね.
一瞬を生きるか一生を生きるか,人生は一生でありたいですね.


最後に

小説の書き出しからもわかる独特な文章故か,賛否が分かれる作品のようですが,私は好きな作品でした.
話の合間にあるモヤモヤしたまま解決となってしまった話も,最後にきっちりと回収してくれているので,モヤモヤが残らない良い作品だったと思います.

最後の主人公の言葉は,これからの自身の生き方に力をくてるとても心に響くものでした.なんだか,伊坂幸太郎先生の「砂漠」の学長の言葉を思い出してしまいました.未来に目を向けろというメッセージは似たものを感じますよね.
綺麗な終わり方をする物語ですし,特にリタイア世代の方にお勧めしたい小説だと思いました.






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