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無理に心を開かなくても、急がず「ちょっとずつ」でいい。

こないだの日曜日に、

半ばヤケクソ気味に

「疲れちゃったよ…」

を吐露してから、気づきが深まっています…

ほんとうに、人間というのは不思議なものです。

「疲れたよ」

と言葉にしてみただけで、

ぼく自身がすごくラクになっただけでなく、

「スッと心がラクになりました」

などのコメントやDMを20以上もいただきました。

そんな経験から

「マイナスの言葉は使わない」
「天国言葉を使う」
「ことばが感情を作るから、愚痴は言わない」

などの「よくある教え」が

「ウソ」

であることが証明されました。

だから、ホント世にある

「法則」

なんて90%くらいマユツバものだと思う。

「ただの経験談」
「思い込みのスピリチュアル」
「偶然の産物」

そんなものが

「法則」

として出回っていたりする。

今日のテーマである

「絶対的に自分を肯定する」

というのは、

そういった

「それっぽい法則を捨てる」

ことから始まるんだと思う。

「法則」は、あくまで「参考・参照・リファレンス」にすぎない。

それよりも「体感」を大事にしていく。

「これイヤだな」
「これ嫌いだな」

「これ好きだな」
「なんか気になるな」

そういった感覚・感情を大事にしていく。

そこにはネガティブもたくさんあるわけです。

「イヤだ」「つらい」「くるしい」
「さみしい」「かなしい」「ムカつく」
「死んでほしい」「死にたい」
「自分が嫌い」「自分が許せない」
「自分を認められない」
「痛み」「違和感」

ぜんぶ、「今ここにある感情・感覚」です。

で、「今ここにある」んだから、

「今ここにあることは、仕方ないじゃない」

というのがホンネ哲学の基本になってきます。

「ある」ものを「ないことにする」のが苦しいのよね。

だから「ある」ということを、認めちゃう。

その「認めちゃう」というのが

「ことばにする」

ってことなんです。

なんかモヤモヤしている「エネルギー」状態は、

「ことば」にすることで

「固定」されて「見える化」される。

ぼくが一人でつらさを抱えていたら

他人には分からない。

けれどもぼくが

「つらいよ、くるしいよ」

と言葉にすれば他の人にも「見える」わけです。

そこで「分かち合い」が起こる。

それが「ことばの効用」です。

ただし、この世ではその「ことば」を

「受け入れてもらえない」

ということがよく起こります。

その最たるものが、「アドバイス」ですね。

「もっとプラスに考えなよ」
「イヤな気分をぶつけてこないでよ」
「そんなつらさ、知らないよ」

なんて否定されると、

「つらさ」は2倍にも3倍にもなってしまいます。

だからこそ。

「受け入れてもらえる場」
「受け止めてもらえる雰囲気」
「否定されない空気」

っていうのが、すごく大事なんです。

とくに生まれた環境が複雑だった方などは

周囲の空気を読む
相手の気分を害さないように
じぶんが迷惑にならないように

を基準に生きていらしたりするので、

「否定しませんよ」

と言われても、

「ええ、でも分からないじゃん…」
「それでも受け止めてもらないかもしれないじゃん」
「言ってみて否定されたら、余計傷つくじゃん…」

って怖くなってしまうものです。

でもね、それはそれでいいんです。

「怖い」

っていう感情があって当然です。

ただし「そのうえで」です。

そのうえで、ちょっとだけ勇気を出して、

いつもは言っていないことを

「ちょっとだけ」言ってみる。

いきなり全部、暴露しなくていいんです。

「ちょっとずつ」でいい。

「先っぽだけ」みたいな感覚でいい。

いきなりドアを全部開けなくても、
扉のスキマから覗く感じでいい。

「ちょっとずつ」「ことばにしてみる」

ぼくだって「もう疲れました…」なんて

以前はメルマガに書けなかった。

カッコつけたかったし、

弱いと思われたくなかったし、

スゴイ人だと思われたかった。

だから、とりつくろっていた。

「ホンネで生きる」とか標榜している僕でさえ、

そんなものです。

だから、家庭環境が複雑だったり、

もともと繊細な人は、

そうそうホンネなど話せないものです。

だから、それでいいんです。

何なら話せないままでもいい。

ホンネを隠して死んでいったって、別にいいんです。

でもね、もし生きているあいだに

「誰かにホンネを分かち合いたい」

と思うのなら、

「ちょっとずつ」

チャレンジしてみてもいいかもしれない。

たしかに

「もうこれ以上、傷つきたくない」

っていう気持ちもわかるんです。

何度も裏切られ、
受け容れてもらえず、
「被害」にあってきたなら、

心を閉ざしてしまうのも無理はありません。

けれども、「分かり合える」ことの喜びは、

その「つらさ」を上書きしてくれます。

ぼくもね、いまだに

「分かってもらえないなぁ」

って悲しくなることがたくさんあります。

でもだからこそ「分かり合える」人と出会えたときには、

望外の喜びがあるのです。

だからね、まだ1%でも望みがあるのなら

「ちょっとずつ」

でも心を開いてみてもいいかもしれないと思う。

怖かったら、また扉を閉じてもいい。

蓋をしてもいい。

そしてまた、「ちょっとずつ」スキマから覗いてみる。

そうやって相手をチェックしながら、

すこしずつ、心を開いてみる。

ホンネをことばにしてみる。

そんな中で、

「ああ、分かり合える人がいた」

と、そんな出会いがあったのなら、

「いのち」は、

今よりもっともっと喜ぶんじゃないかなと思うのです。

そして僕としては、

そんな出会いのチャンスをご提供できたら、

これ以上ない、幸せと充実感を感じるのです。

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「ホンネ」を、「ちょっとずつ」ことばにしてみる。
お互いに、受け止め、理解していく。
「否定されない」体験をする。

そんなことを半年間、繰り返すのが「ホンネ道場」です。

そのホンネ道場で行う「ホンネ対話」をお試し体験できるのが

「どんなネガティブでも話していいホンネ対話会」です。

ちょっと参加するのに勇気がいると思いますが、

「ちょっとずつ」

をやってみたい方には、ピッタリの「場」かなと思います。

もちろんはじめは怖いのでホンネを隠してもいいし、
話したくないことは無理に話さなくていし
上手く話せないのが当然なので、それでOKです。

アドバイスなく、否定なく
無駄に褒めることもなく、

ただただ「受け止めあ合う時間」。

そんな場を、ぜひご体験いただければと思います。


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★ホンネ道場 第5期 募集中
https://03auto.biz/clk/archives/nvnnho.html

「自分を好きになる」
「自分を愛する」
「自分を受け容れる」

の「誤解」をといて、「らしさ」を活かす。

ついでに、それでビジネスもやっちゃう?

という半年間の講座です。
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残席2名。次回予定未定です。

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