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本音は、いつだって温かい  


母と私には、昔から確執があって、私の心を一番乱す人は母だった。

怒り、苛立ち、諦め、もやもや。その感情を抱く先はいつだって、母。一番身近にいる存在の人が、いつだって私の心の敵だった。そのことを、あえて言う場もなく30年以上過ごしてきた。旦那は結婚してから、私と母の関係に、少し驚いたと思う。

4年前に恩師と出会って、心の取り扱いを学んでいくうちに、少しずつ少しずつ自分が変わっていき。自分とたくさん和解してきた。母への苦しい思いを、一つ一つ、手放してきた。だから今、私が新しいチャレンジをしているときに、母を頼れる私がいる。でもね、完全にわだかまりがなくなった訳では、ない。

夏休み。夫の会社には夏休みの休暇がないので、2人の子どもを連れて、没頭する時間をもらうために時々実家に行っている。30分で行ける距離。集中する時間がもらえるだけで、本当にありがたい。感謝して感謝して、そのエネルギーで良いものができる。

でも、先日行った時、また私の心がモヤモヤと騒ぎ出した。
母は料理を作ることが好きではない。食卓の風景、食事の時間に関心がない。
母は、私や孫が遊びに行っても、いつも外食にしたり、出前をとる。作ってくれたとしても、冷凍のものが出てくる。「おばあちゃん」って、食べたいと言話なくても、孫が好きなものを買ってせっせと美味しいものをこしらえてくれるものだって、私はずっと思っていた。自分だけなら我慢できるけど、私の子どもにもそれを出すのが辛くなって、あの日その折角出してくれた夕ご飯を私は無言で食べた。

「せめて炊き立てのご飯や、お味噌汁を作って欲しかった」
「子どもたちの好きなメニューをせめて出してあげて欲しかった」

口に出してはいけない。それをひたすら我慢して、無言になった。

その日の夜家に帰り、メールで「お母さん、本当はね。」って本音を伝えようと思った。でも、なんだかまだ私は本音に辿り着けていないと思って、その日は寝ることにした。


「よく、考えてみて。」と新しい朝、自分に問いかける。


私は、母に心をこめた料理を作ってもらえなくて、大事にされてないって思ったんだね。だけど、それって、本当? 母は私を大事に思ってるから、孫の面倒を見て私に時間をくれたんだよね。私が困っている時に、いつも助けてくれるよね。たとえ料理がどんなものでも、母は私たちを大事に思ってくれてるんじゃない? 母は「料理」に関心がないだけ。ただそれだけ。
大事にされていないと勝手に思い込んだのは、わたし。

そして私は、食事を大事に思ってるんだよね。
温かいご飯や、温かいお味噌汁を大事にしてるよね。好きなんだよね。
母と私は違っていい。母のことも、私のことも、責めなくていい。

ふぅーっと深く呼吸した。そこまでたどり着いたら、私は今、どうしたい?もう一度自分に投げかける。

私はその日の朝、炊き立てのご飯とお味噌汁とぬか漬けと卵焼き、子どもたちには好きなたらこをご飯にのせて、たらふくみんなで食べた。幸せだった。満たされた。これでいいんだ。少し涙も出そうになった。

そして食べ終わって、母にメールした。

「おかあさん、昨日はありがとう。夕飯の時に嫌な気持ちにさせていたらごめん。今度行く時には、夕飯の材料を私が選んで買っていくから。安心してね。いつもありがとう。」

昨晩モヤモヤしたまま打とうとしたメールの下書きがまだ残っていた。
あぁよかった、あれを送らなくて。
あの時、「本音を伝えよう」って思っていたけど、あれって本音じゃなかった。
本音ってさ、温かい。

本音を言おうとして、温かくなかったら、それはね、本音じゃないかも。

本音はいつだって、いつだって、いつだって、温かいよ。





おわり

エッセイ「本音はいつだって温かい」
本音って、まるで子どもみたい。純粋で、弱くて、まっすぐで。でも、何より温かい。言おうとすると、目の奥が熱くなるもの。恥ずかしくなるもの。そんな本音にたどりつけた日の、私の話をお届けします。

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