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「順位」というギフト


運動会のかけっこの順位には、
どんな意味があるのだろう。

息子の小学校の運動会の日に
私の頭を駆け巡ったおはなし。


一つ目、息子(2年生)のはなし。

彼は走ることが好きだ。
私の体から産まれたとは思えないような
走り方をする。
だから、自分の子という理由でなく、
一人の人として、
自分の体と心を丸ごと使って
いつも見せない猛烈な形相で
どんどん人を追い越していく彼の姿をみると、
私は毎回泣いてしまうのだ。

彼がもらった順位は「 2番 」。

練習の時からどうしても追い抜かせないライバルがいた。おそらく学年で一番速い。
身長も10センチ以上違うその子に、
練習で勝てたことがなかった。
だけど本番、2人は全く同時に、テープを切った。
息子はしばらく判定の時間を経て「2番」の旗の下へ連れて行かれた。その時彼は、笑いながらパチンと手を叩いて、何やらニヤニヤうなづいているように見えた。

帰宅した彼を私は「おめでとう!」と抱きしめて
「悔しかった?」と聞いた。
すると彼はこう言った。


「そりゃ悔しかったけど、楽しんだもんがち、
 でしょ?だから勝ったような気分だったよ!」

そして「今度は1位をとってみたい」
と声を弾ませたのだった。


そっか。

「2番」っていう順位はさ、
悔しい番号だと思っていたよ。

本気を出したら、
自分の力が思っていた以上だったという驚きに
気がつくことができたんだね。

ライバルが前を走ってくれていなかったら、
彼はそれを味わうことができなかったはずだ。

それは「2番」でゴールした子への
神様からのプレゼントだと、私は思った。


2つめは、友達のAくんのお話。

かけっこがずっと苦手だ。
競走と聞いただけで逃げ出したくなる。
「どうせビリだ」と母親に話していたそうだ。

本番も、やっぱりビリだった。
その子のお母さんは、私とすれ違いざまに、
「なんて声をかけてあげて良いか悩む」と呟いた。
私は一度別れたけど、
また走って彼女の元に駆け寄って、
とっさにこう伝えていた。

「Aくん、すごくかっこよかった。
自分史上最速でゴールしたんじゃない?」

これは想像だけれど、
きっとA君みたいな子は、普段全力で走っていない。
どうせ自分は足が遅いし、
走ることが気持ちよくないから。

だけど、運動会の日のかけっこの時だけは、
何かの力に押されて
自分の力を出し切って走れるのだと思う。
小さい時の私がそうだった。

自分は人に比べたら遅いけど、
自分は全力で走れるんだ、
全力で走るとこう言う気分なんだ、
人から応援されるとこんな気持ちで走れるんだ、
全力で走る。その感覚。

それを感じることができたら、
それは何よりのメダルだと思う。


最後の話は、B君のお話。

彼は明るいキャラクターでクラスの中心的な存在。
だけど運動は苦手だ。
彼は練習中からこんな風に言ってみんなを笑わせていた。
「今日の練習も、ぶっちぎりでビリだった!」

でも、そんな彼も本番前は緊張した面持ちで、
苦しいほどに必死の顔で走る姿を見て
私は猛烈に感動していた。

運動会の帰り道に彼はこんなことを言ったそうだ。
「かけっこではどうにも勝てないけど、
 俺は車のことだったら誰にも負けない!」

本当にその通りだ。
あなたはやっぱり、みんなの真ん中にいる人だ。
きっと、帰ったらあなたはクヨクヨしてない。
車の世界に戻って、ワクワクするのだと思う。
自分の強さを誰よりもわかっている君に、
みんな惹かれているんだよ。



そんな子どもたちのストーリーに
あの日私はたくさん触れて、
〈順位は何のため?〉
と考える宿題をもらった。

順位は、何のため?
その数字を、どう受け止める?

どんな子にも必ず、意味があるはずだ。
どんな子にも必ず何かギフトされている。

子どもたちは
まだその答えを導き出すのは難しいかもしれない。

そのギフトの橋渡しをしてあげるのが
大人たちの役目、なのかもしれない。

今日一日考えてみて
多分鍵は〈一歩遠くから見ること〉。
俯瞰してみてみたら、数字よりも大切な、
その子しか見えていないものがあるはずだ。
目がキラっと光ったその瞬間、
何を見たのだろう。

数字の後ろにある景色を、
子どもたちと一緒に想像できる大人でありたい。

全力で走るって、どんな気持ち?

小さい頃の自分にも聞いてみよう。

おわり



↓ 息子と校長先生の話も是非読んでください^^



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