「仕事・お金・依存」について考えた話

緊急事態宣言、外出自粛、経済活動の低下。新型コロナウイルスは私たちの社会活動に今も大きく影響を与えています。
私が住んでいる北海道も感染者数増加の傾向が見られたため、この土日は外出を控えるようにという鈴木知事からの要請があり、第2波、第3波と続くことがないように自らの行動に責任と警戒をより強く持とうと思いました。
「まわりの人に感染させない」「医療従事者の方に負担をかけない」この2つの意識が多くの人にあれば感染者数は減少していくと私は予測しています。

そんな中、ふと仕事について考えてみました。私はろくに収入のない最弱個人事業主で、自分の好きなことで生きていこうとnoteに詩やマンガ、文章を書いたり、絵を描いたり、占いをしたり、別な場所では雑貨を作って販売したりしてきました。そして消費者というのは最終的には「自分の生活の目的に適した物」か「自分が気に入った人」にお金を出して、仕事を作り上げ、育てていくのだと知りました。
私はそれを知って、大勢でなくてもいいから誰かに自分の好きなこと、得意なことを見てもらって、気に入ってもらい、楽しんでもらい、喜んでもらい、そして自分の仕事を作り上げ、自分の存在価値を改めて自分自身でも感じることができたらいいなと思っていました。

ところが新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るうようになり、失業者の急増、命の危険という状況が目の前に現れて、私の仕事に対する思いが少し変わってきました。
お金がなければ死んでしまうという意見があるけれど、お金って何だろう?仕事って何だろう?生きるって何だろう?
仕事とは自分のためではなく、人のためという思いでするのだと思っていたけれど、その思いは本当なのだろうか?

人はひとりでは生きられないというけれど、自立して生きることはできるはず。本当に欲しいもの、必要なものがないならば、自分で創る。自分のことは自分でする。自分の生活を自分で創れている人ならば、どんな事態が起きても並大抵のことで困ることはないのかもしれません。
だとすれば、私が考えていた仕事とは「他人の依存で成り立つもの」なのでは?と思ってしまいました。

私は自分で食べ物をつくることはできないし、ネット回線をつなぐこともできません。できないことだらけで、依存してばかりの人間のひとりです。
ただ、何かに依存して生きることを続けさせている面がこの社会にはあるように思えます。そして本当に大切にすべきことを見えにくくさせている。特にお金への依存に私はどう向き合うべきなのかを今、問われている気がしてなりません。

もしも「いっせーの、でっ!」で世界中すべての借金をチャラにできたならば、お金の存在はどうなっていくのでしょう?お金が無意味になった世界でも私はこうして詩や文章を書いたり、絵を描いたりすると思います。地球に迷惑をかけ過ぎない程度での生活を基準に、自分の生活を自分で創る生活を続けて、最期は眠るように「あ~地球で生きたの楽しかった!」なんて思って土に還っていくのが理想です。

これまで常識だと思っていたことがなくなっていく未来があるとすれば、みなさんはどう生きていきたいと考えますか?