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エッセイ「引っ越しの話」

一昨日(日付をまたいでしまったのでもう3日前になってしまったが)、3年ほど過ごした埼玉県から諸事情あって千葉県に引っ越すことになった。

埼玉に住むことになったとき、旧宅を選んだ理由は「西友が近い」「ツタヤが近い」「職場が近い」という3点だった。が、西友は僕が入居してから半年で閉店し、大型商業施設が1軒なくなるだけで街の活気はガクッと目減りし、僕の心持ちも大きく落ち込んだ。また、西友の一角に間借りしていたマクドナルドも利用できなくなったので、最寄りのマクドナルドに行くには自転車で15分ほど走らなければならなくなったため、たいそう不便になった。ツタヤは1年ほどで閉店してしまった。これは同じような距離の場所にレンタルビデオを取り扱うGEOがあったので致命傷にはいたらなかったが、ツタヤが潰れてしばらくGEOがあることに気が付かないまま時が流れてしまい、その間、僕は非常に虚無的な時間を過ごすこととなった。そして職場についてだが、入社して2年でうつ病になり出社できなくなってしまったので、これも大きなアドバンテージではなくなってしまった。

つまり、僕は会社を休んで1年と少し、ただドラッグストアが数件立ち並ぶだけの、最寄りの牛丼屋が徒歩15分もかかる町に、単に住んでいたことになる。

他のよかった点としては、業務スーパーが近く、しかもその店舗ではキャッシュレス決済に対応していたので、ある程度お得に買い物ができたこと、春日部まで電車で6分、大宮までは15分程度という悪くない公共交通機関の立地であったため、出かける分にはまずまずの利便性があったこと、近所の自販機でレッドブルが170円という見たこともないくらい破格の値段で販売していたということくらいだろうか。だが、僕はエナジードリンクのたぐいはアニメ会社勤めのときにうんざりするぐらい飲んだので、いまさらエナジードリンクに頼る生活をしたいとも思わず、ほとんどその自動販売機を使用することはなかった。

その土地に恨みはないけれど、いま考えればそこそこ不毛な土地だった、ように思う。

新居に入ってからまだ3日程度だが、もう既に自炊できるレベルに生活水準は整えており、いまのところなかなか快適に過ごすことが出来ている。大型のスーパーが4軒もあり、自転車で移動できる範囲にレンタルビデオショップもあれば映画館もある。駅前に行けば飲食店も所狭しと並んでおり飲み屋も少なくはない。都心や空港へのアクセスもしやすくなった。線路が近いので、電車が通るたびにテレビの音がかき消えたり部屋全体が振動するのが玉に瑕だが、概ね満足の行く生活が送れることが予感されるので、いまのところは満足だ。

しかしそれにしても、引っ越しには大きな困難が伴った。その準備たるや、それはもう大変なものであった。

僕は大学進学時に初めて引っ越しをしてから、約10年間の間に、今回の引っ越しも含めて9回引っ越しをしている。これが多いのか少ないのかはわからないが、少なくとも引っ越しには慣れっこだと思っていた。ミニマリストとまではいかないが、部屋に置いているものも多くはない。飾っているものと言えば、額縁に入れたクレーの模造画が2点と10cmくらいの小さな飛行機のプラモデル、アイドルマスターの双海真美ちゃんのフィギュアくらいなもので、他は生活必需品だ。食器なども必要最低限以上のものは持っていない。

だから今回の引っ越しも、前回同様、楽にできるものだろうと甘く見ていた節があると言えば嘘ではない。しかし埼玉で生活していた3年間の月日のうちに、新しく購入した服や靴、貯蔵していた食料品、洗剤などのストック、本、カメラのレンズなどなど、時間の経過とともに想像以上にものが増えているということに気がついていなかったのである。「まあ、いけるだろう」と思っていたことと、「引っ越すとは言え、直前まで普通に生活しているわけだし、荷造りは直前でも構わないだろう」という甘い考えから、引っ越す2日前まで僕は何一つ手を付けていなかった。ごく通常通りの生活を続けていたのである。

引越し業者が配送してくれたピカピカのダンボールが部屋の中に鎮座するのを横目に、「さあて、そろそろ使わないものでも詰めていくかな」とかのんきに作業を始めたのが引っ越しの2日前の午後からというのんびりぶりであった。

予想に反して、作業は遅々として進まなかった。食費を節約するため、愚かなことに引っ越し前日まで自炊をしていたため、キッチン周りのものはぎりぎりまで梱包することが出来ないし、部屋の中央に作業用のデスクを置いていたのだが、机上に日常的に使う書類や目薬などを置いていたので、どかすこともできない。すると、荷物を詰めたダンボールを安置しておく場所がない。

部屋が狭いので、ダンボールに詰めて行く順番を考えて作業をしなければ、後続の作業を行う場所が取れなくなって文字通り「詰み」になってしまうのだ。

とにかく、持っていくもの、捨てるもの、を選別し、荷物の量を減らすところから手を付けては見たものの、それだけで日が暮れてしまう有様であった。古くなった靴も捨てたし、買い貯めていたがマイブームの熱が冷めてしまい食べなくなって数年前に賞味期限が切れてしまったフルーツグラノーラみたいなものも泣く泣く廃棄したりしたが、どこから手を付ければ効率よく作業が進められるのかさっぱりわからず、途方に暮れてしまった。

「果たして間に合うのだろうか?」

という思いが、徐々に大きくなっていくのを感じながら、とにかくものをダンボールに詰めて行き、隙間を見つけては隅に避け、作業場所を確保する。荷解きのことも考えて、なるべく関連付けたものを同じダンボールに入れていかなければならない。考えることと実作業が山のように去来した。

思考と実働で疲れ果てた僕は1時間ほど昼寝をしてみたり、水曜日のダウンタウンを1時間フルで見て現実逃避をしながら、滂沱の涙を流しながら次から次へと荷物をダンボールへ詰めていった。詰めていきながらも、やぶれかぶれに不必要と判断したものを捨てていく。45リットルゴミ袋を何袋分消費したか、もはや覚えていない。

だが、それだけ不必要なものに囲まれて生活していたということだろう。僕は本当に必要なものだけを選別し、引っ越し当日の午前(深夜)2時には7〜8割のものを詰め込むことが出来た。それでも2割から3割のものがダンボールに入っていないことに目眩を覚えたが、頭が回らなくなってしまったので、敢えて寝ることにした。4時間半ほど仮眠を取り、引越し業者が正午に来るということだったので、残された時間で、残されたものをなりふりかまわずぶち込んでいった。もう生活する必要がないので、すべてを詰め込んでよいのだ。

9時頃からうっかり1時間ほどうたた寝してしまったので、もう猶予は残されていなかった。荷解きのことを考える暇もなかったので、関連するものをなるべく同じダンボールに詰めるだとか、なるべくダンボールにはいっぱい詰めてダンボールの個数を減らすだとか、そういうことは一切考えなかった。思い切りよく作業することが出来、前日までの作業からは考えられないほどのスピードでものは片付いていった。うじうじ考えるよりも行動することが大切なのだな、という教訓めいた気持ちをしみじみ噛みしめることとなった。

そして、引越し業者が到着する頃には、「これはサイズ的にどうダンボールに詰めればよいのだろう」というものを残し、なんとか荷物を用意することが出来た。しかし、それでも床面積が足りなかったので、詰めきったダンボールを部屋の外にどんどん排出して玄関先に置いての作業になったが。

さりとて、引っ越し業者さんのフォローもあり、無事に全ての荷物を搬出し、新居に運ぶことが出来た。

荷解きも一苦労だったが、時間制限がない分、気は楽だった。気は楽だったし、もう生活に必要な最低限のものしか残っていないので、「あれは残す、これは捨てる」という選別の思考プロセスが省略されていたというのも負担を軽くした(とりあえず運んだが結局、不必要と判断したので、荷解きの際に捨てたものもありはしたが)。旧宅に比べ部屋の広さが10%ほど広くなっていたのも、物理的にも精神的にも余裕を与えた。

引越し当日と、翌日1日をかけて、ガスコンロを近所の電気屋で購入・設置するところまで完了し、人並みの生活が送れるようになり、こうして文章を書く余裕も多少生まれることになった。今日はもう既に近所のスーパーで買った生鮮食品を使用して自炊を開始した。

新しい街はこじんまりとしているわけではないが、必要なところに必要なものがギュッと凝縮されており、たいへん効率よく生活が出来る。大きな事を言うようだが、概ねもう最低限の生活を営む分には苦労しない程度には慣れたと言っても過言ではない。こう考えると、前の土地がいかに暮らしづらい土地だったかがよくわかる。

不必要なものと思われるものを思い切って大量に捨てたので、いまの部屋はこれまで住んできた住居に比べ、かつてないほどスッキリしている。パソコンの接続や電源周りも、これを機に最もシンプルな形にした。この快適さはなかなかのものである。

このシンプルな生活を出来る限り継続し、新しい土地のことを知って、好きになっていけたらと思う。永遠にいまの住居に住み続けるわけにも行かないので、いずれまた身の回りのものをダンボールに詰めて出ていく日が来るだろうが、その時に苦労しないよう、なるべくものを増やさないよう、いい意味で必要最低限の、スマートな生活を心がけていきたいと思う。

2020.9.19

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