エッセイ「青春の話」
先日、友人と「映画けいおん!」を見る機会があったので、「けいおん!」の話をしていました。
僕はTVシリーズの「けいおん!」は見方がよくわからなかったのですが、「映画けいおん!」は『劇場版』ではなく『映画』と名乗っているだけあって、少女たちが大切な時間を積み上げていく物語として、きちんと一本の『映画』としての強度を誇った作品になっており、たいへん見応えがあると思うので、好きです。(この間、ロンドンへ旅行へ行ったというのも手伝っていますが。)
あの頃は良かった
閑話休題。さて、その友人と「けいおん!」の話をしていたときのことです。彼がふとこう漏らしました。
けいおん!を見すぎるととてもつらくなる一瞬があるよね。
かつて僕が「月と太陽の話」の中で話した内容が関係していたようです(下記リンク参照)。彼は太陽的な人生を送れるタイプではなかったので、太陽的に生きている若者をずっと見ていると、羨ましくなるそうです。
僕も月側の人間でしたが、「けいおん!」の登場人物を羨ましいと思ったことは一度たりともありません。僕も青春時代には楽しい思い出もありますが、それと同じくらいか、もしくはそれ以上につらい思い出もたくさんあったので、「あの頃は良かった」とか、学生を見て「うらやましい」と感じることは決してないのです。
むしろ、当時抱えていた悩みをもう一度抱えたくはないので、頼まれたとしても二度と戻ってやるものか、とすら思っています。(なぜ、せっかく解決したり、いまとなっては煩わされなくなった悩みを、もう一度抱えに行かなくてはならないのでしょうか…。)
たしかに「けいおん!」で描かれる青春は眩しいものです。しかし、あくまで「けいおん!」は青春時代にあるはずのきらめきがきらめく、その一瞬にスポットライトを当てた作品なのです。きっと作品で描かれていないところで彼女たちには彼女たちの悩みや苦しみがあるだろうし、そこで無関係に生きているわけではないと思います。
たとえば唯ちゃんだって何らかの理由でめちゃめちゃ気が塞いだり、身体の何処かが痛くて仕方なかったりして、学校に行けないくらいの日だってあったに違いないのです。でも、1フレームたりともそんなところを写していない。「けいおん!」の持つ"輝かしい"日常感の正体は、そういう詐術的なものでしかないのです。
ですから、もう一度言いますが、僕は「けいおん!」を見ていて羨ましいと思うこともないですし、辛いと思うことも、決してありません。
失われていくフレッシュさ
彼はこうも言っていました。
唯ちゃん的な新鮮な驚き・体験をする機会は少しずつだけど確実に減ってきていて、挑戦するチャンスも確実に減ってきると思うと焦るなぁ。
僕はこれに関してもまったく焦りを感じていなくて、何故なら「自分たちには自分たちの年令に応じた新しい体験や新鮮な喜びの受け取り方がある」と考えているからです。
たとえば先日、ロンドン旅行から帰ってきて、その旅行は例の彼と一緒に行ったのですが、後日新宿のホテルでふらっとアフタヌーンティーをしながら旅行の反省会をしたことがありました。こういうことを気軽にできる高校生は、なかなかいないのではないでしょうか(富裕層の高校生なら、もしかしたら平気でやるかもしれませんが)。
また、人間が成熟していくことで得られる快感もあるはずだからです。たとえば僕が青春時代で一番楽しかったのは大学5回生のときで、それは自主制作映画を作るノウハウが一番あった頃で、どの後輩に対しても説得力を持ってイニシアティブが取れたからです。すなわち、映像作品を作ることに実行力を持ってエンゲージできた時代であり、人をコントロールすることで自己実現できる勢力がもっともあった頃なのです。(彼女が出来た、というのも楽しい要因の一つではありましたが、まあ、いまは置いておきましょう。)
社会に出てからは、たとえば仕事を通じて自身がスキル的にも社会的な立ち位置においても成熟し力をつけていくことで、自在感を持って社会にコミットメントする快感というのが得られるはずです。(もっとも、仕事ばかりが活躍の場としてあると言いたいわけではありません。趣味の場や何らかの会合でスキルと信頼を勝ち取り、実行力を持ってエンゲージメント出来る瞬間に、快感が得られるのではないか、と僕は考えています。)
20代には20代の、30代には30代の、もっと上の年齢にはその年齢に応じた、新鮮な驚きや発見があるはずです。お給料が上がって初めて食べに行った高級寿司のうまさに感動する、なんていう経験は、学生にはなかなか出来ないことだと思います。なので、新鮮な驚きや発見を「若い頃しか得られない」感性だと制限してしまうことは、たいへんもったいないことだと思います。
考え方一つで、僕たちは青春時代と同じくらい楽しさと苦しさ、発見と驚きに満ちた世界を生きることができるのではないでしょうか。そういう意味では、僕たちの青春時代というのは、死ぬまで終わらないものなのかもしれません。そう思いこむようにして、30歳手前になる僕ですが、いまだに青春時代を謳歌しながら、日々を生きてる次第であります。
2020年6月26日
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