トラウマの清算
何か・誰かに対し”憎い”
そう感じたら、
実はそのウラに隠れた
自身の”渇き”に気づけるとき。
臭いものにフタをし続けたら、
そのあとはどうなる?
ミイラのようにカピカピに乾いて無味無臭。
果ては砂になってくれたらマシなほう。
でも、隠し続けたモノの発酵が進み、
前より酷い悪臭を放ったらどうする?
フタだけじゃ、覆いきれなくなる。
ずっとカサブタが乾くのを待っていた。
硬く・赤黒くなった皮膚の下で
治癒が進み、新しい細胞が育つのを待っていた。
復活できるだけの力を蓄えられるまで
ただひたすらに時間を過ごした。
18年。
ずっと逃げ続けてきた。
途中、何度が挑んだけれども力が足りず、
傷をえぐって帰ってきた。
いけるかな?いこうかな?
そろそろ、向き合わなければならない。
ここいらでけじめをつけようじゃないか。
今も心を蝕んでくる出来事を
「なかったこと」にしたまま息ができるほど器用ではなく、
「忘れたフリ」ができるほど鈍感でもない。
誰に対しても嘘をつかずに胸を張って生きたい。
そう思うなら、やはりトラウマの清算は義務なのだろう。
不条理で、やられっぱなしで、何も悪くないのに
たまたまそこに生まれたからという理由で
あの過程を辿ってきた。
「なぜ私が後始末までやらねばならないのか?」
腹立たしくはある。
あのとき向き合えなかった幼さ・弱さ。
忍耐力、解決力…あらゆる点で
思慮の及ばない非力な頃はそれができない。
救いに行こう、あの時の感情を。
自らの脆弱性も”非”となるならば、
いまこそ、向き合うとき。
すべては過去のトラウマにおさらばし、
清々しく飛び立つために。
自分の人生は自分で切り開くのだ。
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