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思春期の頃読んだ忘れられない本

私が確か思春期くらいの頃、読んだ本についてである。
本の題名、著者(確か日本人)はわからない。
SF小説である。未来か地球外が舞台で、子供がいない環境&女の子が登場する。その女の子は悩み、そして、私はこんなに辛いのになぜ生きているのか、生きる意味は何なのか答えを探すストーリー。こんなうる覚えなのだが、なぜかずっと心のどこかに残っていて、もう一度読みたいとググったり、図書館で探したり、当てもなく探していた。最近、それらしい本がやっと見つかった。Googleに感謝である。本のレビューを見て、あ、これかも!と思い、早速図書館で借りてみた(まだ本当にそうかはわからないので、購入はせず)。
新井素子著「チグリスとユーフラテス」である。

読みやすいのと、思春期に読んだ本という期待もあり、あっというまに完読してしまった。
人間の記憶って、本当に頼りにならないけど、なんとなく、この本は思春期に読んだ気がする。

ストーリー

舞台は地球ではなく、ナイン星であり、人類の移民計画により、他の星に移り住んだ人達の物語である。そのナイン星への移民計画はうまくいかず、最終的に出生率がどんどん下がり、ついに最後の子供が生まれてしまう。その最後の子ルナが主人公である。ルナはすでに老婆であるが、最後の子供として育てられているので、見た目は老婆、中身は子供である。そのルナが、コールドスリープ装置(いわゆる人間タイムカプセルである)で眠らされている過去の人間達を起こし、自分が最後の子供にされてしまった非情なる想いと、なぜ自分は生きているのかをひたすら問うというストーリーである。

この最後の子供と言う設定が、少子化の行く末、いかにもありそうで、怖い。また移民計画だって、コールドスリープだって、近い将来実現しそうだし、SFだけど、かけ離れ過ぎておやず、自分ごととして、すごくいい感じで想像できるストーリーである。

なぜ生きているのかという究極の問い

最後の子、ルナは問う。
なぜママは私を産んだのか?
最後の子は孤独であり、悲惨なのに、それを知っていてなぜママは私を産んだのか?
でも、ママはもう生きていない。
コールドスリープで眠る人を起こしては、そう問いかけるのだ。
最終的には、この問いは、なぜ私は生きているのか、こんな悲惨な状況で生きる意味はなんなのかという問いになる。
ルナが最後に起こした、最初の移民族である、そしてナイン星の女神となった灯(あかり)によって、それらの答えが導かれる。

人間は、想像力を手に入れた。その代償として、“自分がいずれ死ぬという事実”をつきつけられている。その事実があるからこそ、人間は生きる。想像力を働かせ、生きがいや人生の意義を見つけ、力業で生きるのだ。
チグリスとユーフラテス(下巻)より

人生は生きるに値する

昔読んだ本の内容に近い、私の心に残っていた言葉が、多分これである。

悲惨であろうがなかろうが、人生は生きるに値する。どんな人生だって、自分で探さなきゃ楽しいことを見つけられないし、見つける気になれば、きっと幸せはどこかに隠れている。自分で生きがいを探せる“大人”って生き物にならなきゃいけない。
チグリスとユーフラテス(下巻)より


どんな人も、ゴール(死ぬということ)は同じ。だから、ゴールまでの道のりを楽しんだ方が勝ちなのだ。

もっと広い長い視点で見ると、どんな物事にも始まりと終わり(死)があり、想像するに、どちらも無から始まり無に終わる。それは当たり前なのだけど、つい忘れてしまう。灯の助言により、最後の子ルナは、そういう当たり前のことを受け入れることができた。最後の人間として、人間ではない植物や動物達に愛情を注ぎ、それら動植物達の始まりを作り出し、無事幸せな最期を迎えるのである。

最後に

この本を調べてみると、なんと日本SF大賞作品だった。結構独特な会話調の文体で、見た目老婆で子供っぽい口調の奇想天外な登場人物についていけない感もあるのだが、内容はかなり深いと思う。
ただ、出版された年が1999年。
私、成人過ぎてる。
探していた本だと思ったのだが間違いかもしれない。もしくは思春期が私長かったのかも。
まあ、良書に出会えたので、良しとしよう。

いじょう!

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