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私は自分を詐欺師症候群だと思っている

私は自分を詐欺師症候群※だと思っている。
※心のどこかで人をあざむいているような気持ちで生きている心理状態

私の出生地で同性愛は大きな罪だった。
幼少期から思春期にかけて、ありのままを肯定され安心したり、適切なモデルから生きるヒントを得たりする機会がなく大人になってしまった。

世界遺産に登録された隠れキリシタンの島が私の故郷だ。周りは皆カトリックで同性愛は禁じられている。そんな独特で閉鎖的な島に18歳まで暮らした。

幼い私は「同性愛者でないフリ」をし続けることに必死で、子供として純粋に楽しめる時間を持てなかった。子供時代の記憶は、抑圧と罪悪感の割合が大きい。もちろん愛情はあったが、同性愛者ではない私として得られた愛のように思っていた。
その頃の記憶は未だに私の芯にあり、終わりのない波だったりほどけない鎖だったり、とにかく永遠に続く重たいなにかとなって存在している。

左手に十字架のtattooがある。これは信仰心からではない。自分を縛る存在を永遠に封印するとの決意から20歳の誕生日にひっそりと自分へ贈ったプレゼントだ。バカらしいかもしれないけどこの時はかなり必死だった。

私のような経験を誰にもしてほしくない。openly gayで生きてるのはそれが1番大きな意味かもしれない。誰かに1人ではないと伝えたいし、未来に安心してほしいと思っている。

私は良いモデルとは言えない。良い人間だとも思っていない。だけどひとつの参考にはなるかもしれない。心から笑える日もあれば絶望する日もある。存在意義を考えることもあるしそんなのはくだらないと思うこともある。小さな擦り傷が積み重なったひりひりする心でなんとかここまで生きてきている。

SNSで発信をしているからといって会う人に挨拶的にカミングアウトしている訳でもない。伝える必要がないと思う時は言わないし、ストレートぶってしまう時もある。悲しいけど黙るという選択はする。

マイノリティーに向けられる奇異の目や伝説の生き物かのような「いるらしいけどみたことないな〜」という雰囲気にSNSの外では圧倒されてしまう。

まだ私は現実を軽やかに渡り歩けていない。
人生の多くをストレート女性のようにふるまい生きてきたことはかなり根が深い。
でも未来に希望はあると思っている。

私なりの希望だけどそれがちょっとでも誰かの希望に重なるかもしれない、そう思っているから発信ができている。自分以外、世界の全員がストレートだと思っていた私にとって、名を名乗り堂々と姿を見せてくれたマイノリティの先駆者たちは大きな救いだったから。

私は周りのみんなと同じじゃなくてつらかった。孤独だった。そんな思いをもう誰にもしてほしくない。

大人として若い世代に安心を作りたい。同世代には人間として共感してもらえたら嬉しい。

私は今、何度目かであろう人生の帰路に立っている。
気持ちが落ち着かなく昔の自分が何を求めて生きていたかをあれこれ探して確認している。やっとアイデンティティと向き合う時がきたのかもしれない。

(※)アイデンティティとは、自分が自分であること、と私は解釈しています。

今は仏教徒であり僧侶となりました。私の生い立ちはまたいつかお伝えできればと思います。

また書きますね。
読んでくださりありがとうございました!

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