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夢も希望もないサラダ

写真は庭で育てたローズマリーを使った赤ワイン漬けラムチョップのグリルです。

タイトルは、20年ほど前に大阪の道頓堀、通称ひっかけ橋の隣にあるびっくりドンキーで食べていたサラダの名前です。いや、実際はそうだと思っていたサラダの名前です、と言った方が正しい。

最近ずっと「あの若い頃に食べていた『夢も希望もないサラダ』って最高のネーミングだよなぁ。ネーミングセンスが大好きだなぁ」と考えていた。

しかし、そういえば一体どんなサラダだったんだろうと考えてみるも全くほんの少しも思い出すことが出来ない。記憶に頼るのをやめにして検索をしてみた。さてさて、どんなサラダだったのだろう。さぞ奇抜で素敵なサラダに違いない。私ははやる気持ちを抑えて検索をした。

が、どこにもそんなサラダは存在せず、画像おろかその文字すら出てこない。

もしかして?と
Googleが親切に出してくれるのは

「夢も希望もない 30代 40代 50代」
「夢も希望もない 仕事」
「夢も希望もない 人生」

というサジェストであり、あとは夢も希望もなくどうしたらいいのでしょう……という知恵袋の質問達。

絶望感と悲壮感が滲み出る画面を見て、私は呆然とした。何度打ち込んでも、ひらがなで打ち込んでもカタカナでも、どこにも何もなかった。

え?じゃあさ、私が食べていたあのサラダは一体なに?

びっくりドンキーのメニューを調べてもスタンダードないくつかのサラダか、マーメイドサラダしか載っていない。これはもちろん覚えていて、これもたまに食べていた。知ってるサラダだ。


え、夢なの?ずっと最高のネーミングだと憧れていた夢も希望もないサラダは存在しない?
私は困惑した。

というか、こんな検索ワードをパートナーにうっかり見られでもしたらどうなる。

きっと人の良い彼女は寝る前の布団に入ったタイミングでそっと私の方を向いて、深刻そうな顔で静かに「よぼ、最近悩んでるの?」と聞いてくるに違いない。その顔が思い浮かぶ。※よぼとは韓国語であなたという意

いや、それも心配だが、
今最も心配しなければいけないのはむしろどこにも存在しないサラダを食べたという私の方だ。
これは本当に深刻だ。サラダ事件だ。

それから血眼で検索に検索を重ね、その日のうちに「夢も希望もない」に関連する食べ物を見つけることができた。それは「夢も希望もないパスタ」というものだった。メジャーな呼び名では、ペペロンチーノだそうだ。うん、これはよく知っているパスタだ。

ペペロンチーノは材料のシンプルさから、絶望パスタや貧乏パスタと呼ばれているらしい。本当にそうなのか、イタリアでもそうなのか、は全く知らないけれどネットにはそう書かれてあり、ペペロンチーノに対してなにか少しだけ不憫な気持ちになった。

だけど私の中で夢も希望もない食べ物を発見できたことは本当に嬉しかった。

20年前のその頃にどこかで食べたペペロンチーノとどのサラダかが記憶の中でごちゃ混ぜになり、長い時を経て私自身が夢も希望もないサラダをこの世に生み出してしまっていたのだ。とそういう解釈ができたからだ。

真相は定かではないけれど、おそらくそれでしか今のところは説明ができない。

とすると、長い間私は自分のネーミングセンスを称賛し続けていたことになる。大部分はペペロンチーノからのパクリで、サラダの部分だけがオリジナルのサラダにうっとりしていたなんて、恥ずかしい。

だがどうやらこれがサラダ事件の顛末のようだ。


記憶とは本当にアテにならない。自分の好きなピースを選び出し、時には創り出してまでも繋げてずっと大切に持っているだけなのかもしれない。

しかし私は今、とてつもなくウキウキしている。

憧れ続けたあの「夢も希望もないサラダ」は私だけのものだった。私がこの世に生み出したまだ実態のないサラダだなんて愛おし過ぎる。

夢も希望もないサラダをいつか本当に作って食べよう。どんな絶望的なレシピになるのかそれは楽しみだ。

およね

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