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私の生い立ち:中学校の苦悩 Part 3

小学校から中学校に上がると、新しい学校は徒歩で約20分の距離にありました。
この環境の変化に対する不安が大きく、全く知らない学区の人たちが集まり、人間関係もより複雑になることが予想されました。

最初の頃、私は独特な雰囲気があったため、なぜか有名になりました。
しかし、それも一瞬の出来事でした。
話すうちに、関わるうちに、みんなが離れていき、「性格が悪い」という一言で片づけられ、私の悪口だけが一人歩きしました。

当時は、現代でいう「オタク」というものに対する偏見があり、休み時間に絵を描いている人は気持ち悪いと言われていました。私はそんな偏見などなく、どんな絵を描いているのかなど話しかけていました。

偏見のない私に対して、ちゃんといい人として見てくれる人もいました。

しかし、次第に不良グループに目をつけられてしまいました。

そのグループに時折呼び出され、暴力を受けるようになりました。理由は「なんかむかつくから」という理不尽なものでした。

そのグループは地元で影響力のある人たちの子供やその仲間という繋がりがあり、やりたい放題でした。教師もそのことを知っていて、見て見ぬフリをしていました。

暴力を受けたのは私だけではなく、他にも何人もそのグループから陰湿な人格攻撃や暴力を受け、不登校になる生徒もいました。

私は自分自身への暴力よりも、それが何より許せませんでした。

ある日、一つ上の先輩から急に「なんかむかつくよな、おまえ」と言われ殴られました。その後、数人が連れ立って私に集団暴行を加えました。

しかし、そのグループは地元の影響力のある人たちであったため、事件は暗闇に葬られました。

ただ、こんな状況を我慢しているうちに、心の中で黒い何か、歪んだ何かが生まれ、それが大きくなっていくのがわかりました。

私がやり返さなかった理由にはいくつかあります。まず、どこまでやり返していいのかがわからなかったこと。相手を絶命させるまで止まらないかもしれないという恐怖がありました。
そして、家族にも学校での問題がばれるのが嫌だったことも理由の一つです。

家庭内では、父の二回目の不倫が発覚し、家族は完全に崩壊寸前で、気が休まる時間がありませんでした。
中学校に上がり、家庭内と学校内の環境が悪化すると、学力が著しく低下しました。テストの結果を見せる度に、父から暴言と暴力を受けました。
母は学力に対しては何も言わなかったものの、私に対して失望の眼差しを向けていました。
兄も同様に私のことを「できそこない」と言い、見下していました。

登下校の際も絡まれ、自分の世界に入ることができなくなりました。


また、捨て猫とよく出会うことが多かったです。
同じ者同士、引かれ合っていたのだろうか。

そんな中、ある場面に出会いました。大人しそうな子が捨て猫をいじめていたのです。

その時、人間がより弱い存在を見つけると、それを見下し、虐げて安寧を保つという世界の真理を見たのです。
それは、歪んだ人間の本質を目の当たりにする瞬間でした。


この頃から、以前からよく夢を見ていましたが、さらに複雑な夢を見るようになりました。


ただ夢の中は現実から逃げれるから


よく眠っていた。




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