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中国・浙江省のおもいでvol,15

『桃源郷』

 「君たちに本当の宴を教えてあげよう」自分の家のように勢い良く引き戸を開け、「来たぞ」と店主に告げる。この先生の変人具合はここいらの人にとっては普通らしい。

 時刻は夜の7時。大学の北門から、二重の門をくぐり学生街のほぼ中央に「古河」はあった。学生街唯一の日本料理屋。日本人はぼくとO、先生。後は中国人の学生が3人。日本語学科の学生たちだ。

 先頭をゆくガンティエン(岡田先生)が意気揚々と暖簾をくぐると、懐かしい和食の匂いが勢い良く鼻を抜けた。寿司屋のように大きな1枚板のカウンターに、料理人たちは紺の法被を着こみ、頭には鉢巻と気合いが入っていおり、「いらっしゃい!」と声を張る。

 店の中でさらに、暖簾をくぐると、本当に久々の四角いテーブルへ通された。席に着くと、熱いおしぼりにお茶が運ばれてくる。お茶の方は浙江省名物の鉄観音茶だ。岡田先生を中心に学生が周りを囲むように座った。

「古河」はまるで日本人のために作られたかのような店だ。千と千尋やハウルの動く城の絵がかかっており、BGMは平井堅の瞳を閉じてや槇原さんのもう恋なんてしないが流れている。

「こちらはタイチ君とO君だ。今日、私の授業に遅刻してきたふてぶてしい奴らでね。その言い訳がまた傑作だったんだよ。ザリガニを食い過ぎただの、青島を飲みすぎたのだの・・というわけで、今日は在中の先輩として指導してあげようといったところなのだ」

 仰々しく言ってはいるが、彼がお酒の飲める学生を捕まえては、ここ古河に繰り出しているのはリサーチ済みだ。それに、間違いなくぼくとOを気に入っている。遅刻の理由に昨日、西湖の繫華街で青島を浴びるように飲んだことを告げた途端、彼の顔がほころび、ニヤッと笑みを浮かべたからだ。久々の日本人学生ということもあるのだろうか。

 「先生!もう知ってますよ。昨日、ワンとフェイに西湖につれてかれた二人の日本人学生でしょう。フェイが日本人の男の子と二人で船に乗ったって、やけにその子のこと気に入った風で言いふらしたから。」

Oが意味ありげな視線を送ってきたので、咄嗟に見るなと首を振った。

 「ほう。授業に遅刻しただけでなく、私の生徒をたぶらかしていたとは。恐れ入ったよ君たち。」

 感心感心というふうにうなづいた先生の顔には、例によって愉快愉快といったような笑みを浮かべている。いじり倒されているが、ぼくとOはそれどころではなかった。暖簾の奥から、たえず懐かしい薫りが漂ってくるからだ。

 ぼくらはそれぞれメニューを手に取り、好きなものを注文した。茶碗蒸し、豚の生姜焼き、なめこの味噌汁・・冷奴!もちろん、メインは白いご飯だ。ぼくとOのメニューをめくる顔つきがあまりにも真剣だったため、中国人学生に「ご飯たべてないの?」と心配されたほどだ。日本人の和食への依存度は深刻な問題である。

 注文を終えると、学生たちの質問攻めにあった。中国へ来てからどこへいったとか、浙江省の食べ物はうまいかとか。予想はついていたが、フェイと船に乗ったのはどっちだと言う質問からは逃れることができなかった。日本料理屋なのに圧倒的アウェイホーム。

 しぶしぶ「ぼくだ」と答えると、二人の女学生はさらにヒートアップし、「どうだった?」「どんななかになってるのよ?」ととどまることを知らない。中国語が激しく行きかう様はちょっとしたケンカのようになっている。

 先生とOに目線で助けを訴えるも、彼らが楽しんでいるのだから助け舟は望めない。カウンターで料理を振るうおじちゃんと目が合う…助けちゃくれないか。万事休すかと思われたその時、料理が運ばれてきた。「ありがとう、おじちゃん!」と目力を込めると、拳をグッドマークにして返してくれた。(このおじちゃんとは後に親しくなった)

 自制の聞かなくなったぼくとOは、凄まじい勢い目の前のご馳走にがっついた。美味すぎる…。今なら味噌汁かなんかのCM出演の声がかかってもおかしくはない。3日ぶりの日本食は日本で食べるより遥かに美味かった。

 「君たち。酒の方もやりなさい」

 先生は猛然と料理にがっつくぼくたちに、並々とお酒を注いでくれた。このお酒がまた美味い。気を利かせた先生が次々に料理を追加してくれたおかげで、テーブルはドラゴンボールの悟空さながらの光景に変わっていた。


 もう食べれない…満足してひと息つこうとすると、自分のテンションが最高潮に達しているのにかろうじて気づく。ハイになりつつ食卓を見ると、「白酒」と書かれた、底の厚い瓶が4・5本空になっている。「待てよ、白酒は確か…」時すでに遅し。完全にハイになったぼくは、隣の女学生と肩を組み、「乾杯(ガンベイ)」と叫び、次々とグラスを空にしていたらしい。

 「白酒」のラベルには、40度と書かれていた…(『中国・浙江省のおもいでvol,15「桃源郷」)


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