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裁判所の人事問題は、良識派の窮地と組織の堕落

裁判所のトップの人選って、ちょっと変なんだよね。いい人が上に行けないっていうのは、どこの会社でもあることかもしれないけど、企業だと成績が悪くなるから、自分でなんとかしようとするじゃん。でも、官僚組織ってそういう自浄作用がなくて、どんどん悪くなる一方なんだよ。だから、裁判所みたいな、国民の権利に直接関わるところは、しっかり監視しないといけないんだよね。裁判所も、もっと人事を透明にして、法律のプロだけが裁判官になるように変えるべきだと思う。

昔は、「一生裁判官」という誇りを持ってる人もいたし、そういう人を尊敬する風潮もあったんだけど、2000年代に入ってから、そういうのもなくなってきちゃった感じ。今の裁判官って、裁判するより、「事件」を「処理」することが多いんだよね。しかも、自分たちを裁判官って思ってなくて、「官僚」、「法服を着た役人」って感じがする。当事者のことなんて頭になくて、事件をどれだけ早く処理するかだけが重要になってるんだよ。

そういう姿勢のせいで、難しい法律の判断を避けたり、和解を強要したり、捜査令状が緩すぎたりとか、色々問題が出てくるんだよね。太平洋戦争のときみたいに、いい人がどんどん消えていって、組織全体が腐っていくっていうのは、国だけじゃなくて、裁判所にも起こりうるんだよ。

個性的で、自分の考えを持ってる裁判官って、高裁長官にはなれないんだよ。たとえば、自分がどれだけ頑張っても、同期より遅れて所長になったり、所長候補から外されたりするんだよね。自分なりの意見を言うだけで、東京近郊のいいポストから遠ざけられたりする。そういうのって、結局、「意見を言っちゃダメ」という脅しになってるんだよ。

裁判所の人事って、良識派はほとんど昇進できなくて、高裁長官になれる人も少なく、事務総長や最高裁判事になる人はもっと稀なんだよ。信頼できる裁判官に聞いてみると、だいたい同じような話が返ってくると思うよ。

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