見出し画像

認知言語学と英文法、そして私。

持田と認知言語学との出会いは19年前に遡ります。大学生だった1994年に今はなき『現代英語教育』という英語教育雑誌で「認知意味論から見た英文法」という連載を読んでいました。それに興味をもって、連載執筆陣のお一人であった、阿部一先生のゼミに入りました。阿部一先生は田中茂範先生らとともに、1980年代後半から認知意味論をベースにした文法・語彙指導の理論面の整備を行ってきた方です。(実は田中・阿部の枠組みは、レイコフの認知意味論やラネカーの認知文法とは別に発展させてきたものです。)

認知言語学は、全体的に言って意味に重きを置いた言語理論です。意味は、我々が直接目で見ることができないものです。たとえば、「コア」という語の中核的意味を指す概念がありますが、これはある語の意味から、文脈的な要素をすべてそぎ落とした抽象的な概念です。絵で表せば抽象画になります。ひとことで言えば、シュールな絵です。認知言語学の「意味」とは、人間の事態把握を反映したものですから、英語であれば英語母語話者の発想を反映したものになります。しかしこれらが抽象的な概念であることを忘れてはなりません。

抽象的なものを学習者向けにアレンジするのは難しいのです。無理にやれば事実をねじ曲げてしまうことすらあります。意味という抽象的なものを扱うときに、日本語訳のような「反具体物」を解したほうがわかりやすい場合があります。「反具体物」というのは、算数学習の時に用いるタイルのようなものです。こう考えると、日英語の比較対照を通じて英語の発想に迫っていくというやり方が合理的ということになります。

また、ことばには意味的な側面だけでなく、語順語形といった形式的な側面や、実際の場面や文脈でどう使うのかといった使用的側面もあります。こうした側面にも満遍なく光を当てていくことが学習文法には必要です。こう考えると、学習文法は、認知言語学だけでなく、形式的側面に強い生成文法や、使用的側面に強い機能主義言語学、あるいは談話文法といった理論を折衷的に援用していく必要が出てきます。日英語の比較対照を行うには、英語を対象とした研究だけでなく、日本語を対象とした研究にも触れる必要があります。

私は1990年代に認知言語学をベースにした文法書や文法指導の存在を知り、それに魅力を感じつつも、それでも初学者向けの英文法学習の環境整備が十分でなく、大学受験生を取り巻く環境では特にそれが顕著であるとも思うようになりました。そこで最近は、まずは母語である日本語と目標言語である英語を突き合わせ、そこに違いがあるときに違いを説明する原理として認知言語学の知見を援用しています、学び手の「今、ここ」にあることばから学びを立ち上げていくわけです。抽象度の高い印象派の絵画鑑賞から立ち上げるよりもこのやり方のほうがしっくりくる人が多いとは思いますが、抽象画から具体的な絵へとさまざまな視覚情報を共有しながらことばの実態に迫っていく文法学習も構想できます。画才のない持田にはちょっとハードルが高いですが。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?