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文法の学びとそこに潜む罠

文法学習のプロセスには「気づいて、感じて、わかる」段階と、「わかって、使って、感じとる」段階があります。日本語を母語とする人が日本で英語を学ぶ場合、母語とかけ離れた目標言語を母語しか使わない生活の中で学ぶことが今でも一般的です。その場合は、「気づいて、感じて、わかる」段階を先に経て、その後に「わかって、使って、感じとる」段階に向かう演繹的なアプローチが一般的です。

こうした学びは、なかなかうまくいかないことも多いようです。まず、自分で文法のしくみに気づくことができない人が丸暗記をしても、効果は上がりません。とりあえず暗記を先にして後からしくみを確認する、というのはときに必要です。自分で文法のしくみに気づくことができる「センス」があるならば、丸暗記でもまったく問題ありません。しかしそうでない学習者に丸暗記を強いるのは得策ではありません。また、授業や参考書の文法解説が不適切である場合もあります。これは解説がうそである場合や、学習者の発達段階に合わない(例えば、小学生が学ぶのにプロの言語学者向けの説明になっているなど)場合です。もうひとつ、「感じとる」に至らない問題演習に終始している人が多いようです。大学受験でいうと文法問題集の雑な反復がこれに当たります。このところ、浪人中の英語学習を文法問題集の反復に費やして思うような結果が出せなかった人の話をよく聞きます。

ここまでをまとめると、文法知識の理解を促してくれる適切な解説と、理解した知識の定着を促してくれる学習素材こそが、文法の学びには必要だということになります。ということは、独習可能な参考書・問題集を見つけ出すことができれば、自分でこうした学習を進めていくことができます。しかしながら、実店舗の書店で本を買う習慣がない人もいますし、近くに実店舗がない場合もあります。あるいは、そもそも文法学習の手順を知らないということもあり得ます。これは現代では決してめずらしいことではなく、こうなると、自分に必要な教材を探さなければ、という思いにすら至らないわけです。

この記事の内容も、お読みの方にしか届きません。おそらく、本当に必要な人には届いていないのでしょう。残念なことです。

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