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「公共的な言語」について再び

今回の記事は、以前に書いたことと関連しています。

リンク先の過去記事でも触れていますが、ことばは私的な言語と公共的な言語という2種類に分けることができます。私たちが「日常会話」と考えているものの多くは私的な言語です。生まれてから自然と身につくのは母語のうちの、この私的な言語のレベルです。この日常的な私的言語は母語であれば自然に身につきますが、外国語として学ぶ場合には最も難しいとすら言えます。外国語で日常会話ができると、その言語を話す人と仲良くなれると行った楽しさがありますが、その反面ふだんの生活で使わないときには最も学ぶ意欲が湧きにくいものとも言えます。

一方、公共的な言語は母語であっても自然には身につきません。学校の国語の授業で学ぶ必要があります。外国語も、ビジネスや研究などの場でまず必要になるのは公共的な言語です。公共的言語には、読み書きに用いられる言語や、改まった場面で使う話しことばが含まれます。これらは学校教育を中心に学んでいくわけですから、例えば国語の授業と英語の授業がまったく無関係に行われるよりも互いに連携したり、あるいはもっと融合的に進められればより実りの多い学びが期待できます。

私的な言語と公共的な言語の違いの一つに単位の違いがあります。私的な言語の単位は語句の断片ですが、公共的言語の単位は文です。国語の授業で現代日本語の文法を学ぶ必要はないという意見があります。しかし私たちの日常会話は日本語の断片を飛び交わすことで成り立っています。この断片から文を構築することを意識することから公共的言語の学習が始まります。ここで重要な役割を果たすのが現代日本語文法であり、外国語として英語の文法を学ぶときの基盤となるのも現代日本語文法なのです。

もちろん、文法だけ学べば公共的な言語が身につくわけではありませんが、公共的言語を身につけるには文法を学ぶことが必要であることは確かです。これを入試の文法問題演習に限定させてしまうのはあまりにももったいないことですし、受験勉強としても非効率です。公共性の高い論理的な言語表現は大学入試においても強力な武器となります。ことばが社会でどのように使われているかを俯瞰すると、受験勉強における文法学習が一般的に考えられているよりもはるかに重要であると言えます。

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