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ことばをどこまで使って生きていくのか

言語学習の根本的な問いとして、「ことばを学んでどうするのか」ということがあります。「母語」とは人間が生まれて周囲の大人のことばに触れながら無意識的に獲得するもので、きわめて私的で日常的な言語です。これは人間が生きていくうえで最低限必要な言語で、この獲得のためにわざわざ努力することもほとんどありません。この段階から、働いたりして社会生活を営むようになると、より公共的な言語を身につけることが必要になります。これが学校の国語の授業で学習する日本語です。多くの日本人の母語は日本語であるとしても、学校教育によってそのレベルを引き上げていかなければ社会生活に必要な言語にはならないのです。

この社会生活は日本語による均質的な言語環境の中では日本語だけで十分です。しかし、現実には日本人同士で仕事をする場合でも英語などの外国語で書かれた本などを読んだりすることがありますし、英語で何か文章を書いたりしなければならない場合も生じます。公共的言語を日本語だけでなく、英語でも身につけておく必要がここで生じます。海外で生活したり、日本に一時的に滞在する外国人と日常的に接触する生活を送るとなると、今度は私的なレベルでの外国語が必要になります。

つまり、ことばを学ぶと、生活を拡張することができるようになるのです。民主主義の社会では、その社会にいる人たちに要求されることばのレベルは高いものになります。自己を表現し、他者を理解し、その差異をすりあわせ、時に他者を受け入れ、時に他者を説きふせる必要があるからです。しかしまた自分の意見を述べたり、他人の意見を理解することを拒むこともまた、多様性を重んじる社会では容認されます。その点では、自らの生活を拡張しない自由も私たちにはあると言えます。言い換えれば、私たちは自由な意思のもとにことばを学ぶことができるのです。生活を拡張したいからことばを学ぶというのもありですし、将来の生活の拡張に備えてことばを学んでおくのもありです。学校教育は後者の機会を保障するものです。上級学校への進学は生活を拡張する準備といえます。このため、受験勉強を通じてことばをより正しく、効果的に、そして時に戦略的に使えるようになることで、母語を私的言語から公共的言語へ、公共的言語を日本語単言語から日英語複言語へと拡張させていくことはとても重要なことであるといえます。英文法問題集、英単語集、漢字ドリル、試験問題の解放の習得といった過度に矮小化された「学習」から自らを解放し、よりダイナミックなことばの学びに取り組む受験生が増えてくれることを心から願うとともに、願うだけでなく積極的に働きかけていきたいと思います。

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