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恋愛小説についてーフリースクール雑文記(7)

こんにちは!
フリースクールBASE副代表のHARUです。

記事をご覧の皆さまはお盆休みはいかがお過ごしでしたか?

私は数日前から動画制作に興味を持って、この機会にAdobeのプレミアプロをかじってみようと思ったのですが、なんと最悪なことに愛用のPCが壊れてしまって、仕方なく代用機で作業しているため気分が乗らずにあまり作業が捗りません…。

さて今回は、少し前から私が白石一文の小説にハマってしまったこともあり、「恋愛小説」について気ままに書いてみようと思います。

それでは、最後までよろしくお願いします♪

恋愛小説について

もともとこのテーマについて考えてみたきっかけとしては、前述した通り私が白石一文の小説にハマってしまったことに尽きるのですが、先日白石さんの本を読んでいるうちにふと、「そもそも自分は優れた恋愛小説とそうでないものをどのように判断しているのだろう?」ということが気になりました。

そこで自分が今までに面白いと思った恋愛小説を頭の中で並べてみて、何か共通点はないかと探してみたところ、一つそれらしいものを見つけることができました。

ズバリ、生命の問題に触れているかどうか。

また生命かよ!と突っ込まれそうですが、ここでの生命の問題とは宇宙や自然などマクロな意味合いでの抽象概念と異なり、第一人称としての生命、つまりこの世に生を亨けいずれは避けがたく死んでいく私たち自身の、有限なる時間に対する在り方のことだと思ってください(笑)

優れた恋愛小説(優れた恋愛ソングなんかでもそうなのだけど)とはあまねくその物語の底流の部分に、いわば通奏低音のように生命の気配が、言い換えれば死の気配が息づいていて、だからこそ恋愛という究極的に個人的な体験を描いているのにも関わらず、そこに特定の時代や文化を越えた普遍性が宿るのだと思います。

きっと恋愛においてそれが起こる原理としてはとてもシンプルで、そういう究極的に個人的な感情を持つことのできた人間の常として、その感情が自らの持つ時間の有限性の中でのみ許されたものでないかという焦りも持つのでしょう。

だから優れた恋愛小説というものはある意味でどれも悲劇的であり、発生の歓喜と消滅への焦慮が、生と死の烈しいコントラストが、物語の随所で現れてくるのだと思います。


著者紹介
HARU
合同会社OWNERS副代表

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