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普通かもしれないと悩む人、普通じゃないかもしれないと悩む人

 残念ながら該当の記事が見つからなかったので記憶だけで書きますけれども、大学のお笑いサークルに関する記事がネットにあったんです。現在、都市部の私大を中心にお笑いサークルの活動が盛んであり、ここ最近、ついに出身者がプロの芸人として活躍するようになったため、興味を持ったマスコミ関係者が現れ始めたのでしょう。

 私も実際に大学生のお笑いを拝見しましたが、確かにセミプロのポジションには来ていると思いました。大学野球のようなものでしょうか。上位陣はそのままM-1やキングオブコントに出ても1回戦は勝ち抜けるネタを披露しています。

 とは言え、彼らは大学生です。いや、学生だろうが社会人だろうが3歳児だろうが、人であれば時に悩みが出てくる。例えば、お笑いサークルで活動する大学生ならば「プロの芸人としてやっていきたいが、お笑いで食っていけるのか」、そんな独自の悩みを抱える人もいるでしょう。

 もっと根底の部分で悩んでいる人もいるようで、その記事に登場した学生はこんな悩みを打ち明けていました。「自分は普通かもしれない」。

 記事の内容以上に彼の心の内を読むことはできません。ただ、推測はできます。世に出る芸人は桁外れなエピソードをいくつも披露し、ちょっとやそっとじゃ思いつかないようなネタでみんなを笑わせにかかります。そうでなくても、彼らは舞台上で怒鳴り、喚き、暴れ、叩く。変な格好をしたり、変な踊りを披露したり、変な声で変なことを言ったりする。舞台上でのネタだからみんな笑って許してくれますが、道端でやったら即座に職務質問案件です。自分にはそこまでできるか不安だ。前出の学生はそういう意味で「自分は普通かもしれない」と不安を吐露したのかもしれません。

 大学でネタを作っている学生芸人は、アマチュアかもしれませんがクリエイターと言えましょう。かく言う私もまた、お笑いとは違う分野で、クリエイティブなことを教える学校に通っていた時期があります。その学校は小規模ながら、学生から結構な年齢の社会人まで、多彩な面々が通っていました。

 さて、その学校で先生は開口一番、こう言いました。「クリエイターに最も向いているのは普通の人です」。

 才能ももちろん必要でしょう。しかし、先生はそれよりも普通の人の感覚を持ち合わせているかどうか、その点を重要視しました。普通の人の視点がないと、自分が今どの位置にいるのか、自分の作品が普通なのか特殊なのかも分からなくなる。それは危ないというのが先生の主張でした。

 学校が終わり、同期と喫茶店に行くと、彼は深刻そうなため息を吐きながらこう言いました。「自分は普通じゃないかもしれない」。

 それを聞いた当時は「このままじゃ僕の中の怪物が暴走して君たちをひとり残らず食べちゃうかもしれない」みたいな不安に聞こえて、何を言ってるんだろうこの人はと思っていました。ただ、今になって振り返ると思うことがあります。同期の不安はもとを辿ると、前出のお笑いサークルに所属する学生と同じなのではないでしょうか。どちらも自分なりの理想像というものがある。だが、自分はその理想像にどれだけ近づけるか分からない。同期と学生、ふたりの理想像は一見すると真逆の表現だからこそ、全然違う風に聞こえただけだと思います。

 私個人としては不安をパッと振り払えるような気の利いた一言は用意できません。ただ、人間は先の出来事をなかなかバシッと予測できませんし、意外と自分のことを分かっていなかったりします。だから、とりあえず少しでも理想の方向へ動いて行くしかないと思っていますし、それで開ける道があるとも考えています。

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