見出し画像

オープン闇トイレ

 まだ実家に住んでいた頃です。自分の部屋で夜中までダラダラ起きていた私は何気なくトイレに行ったんです。トイレは電気がついておらず、真っ暗です。真夜中なんだから当たり前です。私はいつものようにトイレの電気をつけ、その流れでドアを開けました。

 普通に祖母が便器に座っていたんで私、「うおっ」と声をあげました。しかし、当の祖母は「ああ、ごめんね。すぐ終わるからね」と、のん気な言い回しです。とりあえず、心拍数が高いまま自分の部屋で待機しておりますと、祖母がドアの前まで来て「もう終わったよ」とわざわざ呼びにきました。「分かった、ありがとう」と答えるものの、まだショックから立ち直れていないのか、すぐにトイレへ行く気にはなりませんでした。

 これが1度だけならまだしも、月1ペースくらいでやらかしていました。つまり、祖母は夜中に鍵をかけなければ電気もつけずトイレで用を足す行為が常態化していたわけです。なぜなのか本人に聞けぬまま、私は夜中にトイレで祖母と出くわす状況に慣れていき、いつの間にか「祖母とはそういうものなんだ」と思うようになりました。

 それから月日は流れ、私はひとり暮らしをするようになりました。実家へは年に数回帰る程度になってしまいました。

 たまに実家へ帰っても、自分の部屋で夜中までダラダラ起きる癖は直りません。そうこうしているうちに私、何となくトイレに行こうと思い立ちました。部屋を出て廊下の突き当りにあるトイレを見ると電気はついていないのが確認できます。じゃあ行きましょうとばかりにトイレの電気をつけてドアを開けると、私、また「うおっ」と声をあげました。今度は父が暗闇トイレで用を足していたからです。まだ父は祖母のように達観していないのか、「おお、なんだお前」と戸惑っていました。いや、冷静に比較している場合ではありません。親子そろって何て用の足し方ですか。何を好き好んで闇夜に紛れてひっそりとやってるんですか。しかも鍵をかけずに。

 それから更に年月が経ちまして、私も親の介護とか考えるような年齢が近づくにつれ、ほんの少しだけ分かったことがあります。それなりの年齢になりますと、トイレで力んだ拍子に倒れてしまう危険性が高まるんだそうです。仮に倒れてしまった場合、当然ながらドアに鍵がかかっているほうが発見が遅れ、救急搬送も大変になる。それを祖母も父もどこかで聞いたから鍵をかけずにトイレで用を足すようになったのでしょう。なるほど納得です。私もそれなりの年齢になったら、少なくとも自宅で用を足す際には、トイレに鍵をかけるかどうか真剣に考えなければいけなくなるでしょう。

 鍵は納得できたんですが、そうするとより一層、電気をつけずに用を足す理由が分かりません。トイレで何かが起きても、闇夜に紛れていたら発見が遅れかねません。そもそも年齢を重ねると、ちょっとした段差でも転んでしまうくらい日常生活が危険なものになるはずなのに、なんでわざわざ暗くしたまま用を足すという難易度が上がるような行為に走るのか。

 それとも、年齢を重ねるにつれ、目にナイトビジョンのような機能が備わるんでしょうか。赤外線が見えるようになって、暗闇でも周囲が昼間のごとく見え、平気で動けるようになるというのでしょうか。

 危うくくだらない予想で年を取るのが楽しみになるところでした。常識的に考えて、そんなことありませんよね。

 気が向いたら本人に聞いてみます。普通に忘れそうですけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?