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良い漫才は良い文章である、ただし半分は

 「さんまの東大方程式」という特番があります。40人程度の東大生と明石家さんまさんがトークするバラエティー番組で、早い話が「踊る!さんま御殿!!」や「さんまのお笑い向上委員会」の東大生版です。初回開始は2016年、最新回の第9弾は2020年に放送されました。

 そこで印象的なやり取りがありました。2016年9月10日に放送された第2弾での話です。東大生はコミュニケーションが苦手なのかという話の中で、ゲストの芸能人が「東大生は早口だ」と指摘します。すると、東大生とさんまさんの間で興味深い会話が展開されました。敬称略で紹介します。

東大生「1を喋ると10を喋りたくなっちゃう。追加情報とか補足情報とかいろいろ喋りたくなっちゃって、そうすると限られた時間の中で喋るには押し込んで圧縮して余計に早く喋らなければならないわけですよ」
さんま「『簡単に』『的確に』という努力はせえへんのか」
(中略)
東大生「簡潔に喋ろうと思えば確かにできるんですけど、それを考えている時間があるんだったら多い情報量を渡してもらったほうが私は嬉しい」

 個人的には芸人と研究者の、情報に対する考え方の違いが現れたように見えました。

 芸人のように情報を限られた時間で誰かに伝えなければならない立場の人は、たくさんある情報をとにかく削ぎ落して重要な部分だけ短く分かりやすく伝える技術が必要となります。舞台やテレビというのは1分1秒に多くのカネがかかっていますし、ダラダラ話していては誰も聞いてくれません。だからこそ、「簡単に、的確に」という考えに至るのでしょう。

 一方の研究者はもらった情報を分析し、新しい法則や定義を見つけていく立場です。得られる情報が多ければ多いほど、一般的には分析や発見がしやすくなる。ですから、キュッとまとめた情報よりも、なるべく多くの情報をもらえたほうがいいと考えるのでしょう。

 もちろん、研究者だって短く伝えなければならない時はありますし、芸人だってネタのために調査をせねばならない時があるでしょう。ただ、ふたつの異なる考え方が興味深かったのは確かです。

 さて、前出の通り、芸人は手短に伝えることの多い仕事です。トークはもちろん、ネタだって同様です。正確に伝えられないと、自分のお笑いを理解してもらえない。言葉遣いに神経を注ぐのは必須と言えましょう。いいネタはいい文章を書くための参考になる要素がたくさんある。私はそう考えました。

 M-1グランプリの決勝進出者ともなれば、その傾向は顕著でしょう。特に昨年のM-1は多彩なネタが見られ、様々な種類の名文句がありそうです。というわけで、調べました。決勝に進出した10組のネタで、良さげな部分を抜粋し、どの辺がいいのか考えてみました。

 ネタの抜粋部分は読みやすくするため、細かな相槌を省略するなど、セリフを少々変えています。また、必要な場合にはカッコ書きで注釈を入れました。それから、人物は場合によって敬称略にしました。

 では、ネタの披露順にまいります。

1.モグライダー -過不足なく説明する-

 モグライダーは美川憲一さんの代表曲である「さそり座の女」の歌い出しを素材にして、独自のシステムを作り上げて笑いを取っています。独自システムは何しろ独自ですから、序盤で観客にうまく説明しなくてはならない。

 独自システムとそれに翻弄されるふたりがネタの中心となっていますが、それも序盤の過不足ない説明があってこそです。例えば、冒頭で芝さんが「さそり座の女」の歌い出しを披露してからの、ともしげさんの説明です。

「これ、いいえって言ってるじゃないですか」
「美川さんが歌い出す直前に、あてずっぽうで星座と性別を聞いてきた輩がいるってことなんですよ」
「美川さんも当ててもらって、『そうよ私は』って気持ちよく歌いたかったのに、外しちゃってるから『いいえ私は』って落ち込んじゃってるんですよ」
「で、こいつも良かれと思ってやったのに、変な空気になっちゃって落ち込んじゃってるんですよ。このふたりをウィンウィンにしてあげたいんですよ」
「美川さんが歌い出すまでに、さそり座の女以外の可能性を全部消してあげればいいんですよ」

 この説明は無駄がないのはもちろん、一つひとつのセリフに明確な目的が存在します。

 最初のセリフで、まず事実を説明します。2つ目の説明では、事実から問題点を取り上げています。3つ目と4つ目のセリフでは、その問題がなぜ解決すべきかを主張しています。3つ目は美川さん側の立場から、4つ目は輩側の立場からの主張です。そして、5つめのセリフで解決策を提示します。

 問題を解決すればいい。モグライダーの目標はハッキリし、過不足ない説明のお陰で独自システムだろうと観客はネタへ入って行けるようになります。そして、ともしげさんのやろうとしている行為におかしみを感じ、笑うことができます。

 さそり座の女以外の可能性を全て消す。その独自システムを1回見せたあとで芝さんがツッコみますが、同時にそれは大事な補足説明としても機能しています。

「祈るの早いんだよ、お前。粘れよ、もっとギリまで。攻めていいんだよ。恥ずかしい時間があるじゃない、美川さんに。効率も悪いんだよ、お前ほんで。男か女かなんて最後に1回聞けばいいんだよ、まとめて。先に星座だけダーッと潰せっつの」

 倒置法の嵐ですね。倒置法は文の順番を逆にすることで言葉を強調したり文の調子を整えたりする効果があります。今回の場合は説明として重要な部分を前に持って来ることで強いツッコミを実現すると共に、説明を分かりやすくしています。そこまで重要でない部分はセリフの調子を整える目的で使われています。

 いずれにしろ芝さんのこの長いツッコミは、観客が独自システムをより理解できる助けとなり、ネタの面白さを強調するスパイスとして機能するようになります。

2.ランジャタイ -言葉は動作の補足-

 ランジャタイは極端です。セリフの多くは擬音と奇声で占められています。試しに国崎さんのセリフを文字に起こすとこんな感じになります。

「プルプルプルプルプルプル」
「にゃんちゃああああああん」
「ああああああああああああ」

 噂ではネタの台本がないようですが、恐らくこんな文章ばかりになってしまうからでしょう。

 一方、伊藤さんのセリフは一つひとつが短く、シンプルです。

「そんなに?」
「飼わない」
「にゃんちゃん、出ておいで」

 なぜこうなっているのか。動作での説明に長けているからです。国崎さんの動きは馬鹿馬鹿しさが一発で分かりますし、状況を分かりやすく表現できています。つまり、あまり言葉を必要としない。

 同時に、言葉が必要な場面ではうまく活用しています。「将棋ロボ」という、理解されづらい動作の際には「将棋ロボだー」とハッキリ言う。場面を変化させる時も「(猫を)警察に突き出してやる」という一言をうまく効かせています。

 ランジャタイの説明は動きを始めとする見た目がメインで用いられ、言葉はその補足として使う。道路標識のようなネタですね。

3.ゆにばーす -間違いを正確に伝える-

 伝えたいことを正確に過不足なく伝える能力は、決勝進出者レベルだと当然持っているものでしょう。ゆにばーすもそれは同じです。

 しかし、漫才となると更にひとつの条件が乗っかります。「笑いを取らなければならない」。これです。そのためにわざと間違ったことを言う時もある。例えば、こんな感じです。

はら「練習強そうなディベートで川瀬する」
川瀬「文法崩壊してるやんけ」

 この手のセリフで重要なのは、間違った日本語を喋っていると観客に分からせると同時に、正しい意味も伝える点です。正しい文章に直せば「ディベート強そうな川瀬で練習する」となります。

 はらさんの間違え方は割と単純で、文章内の単語を入れ替えただけです。文自体もそんなに長くない。逆を言えば、文法が間違っていることと正しい意味をすんなり伝えられるセリフは、これが限界と判断された可能性があります。

 もちろん、もっと長い文章を複雑に間違えることもできるでしょう。しかし、それではセリフの意味が理解しづらくなり、観客の意識がネタから離れてしまいます。ネタの邪魔をしないようにウケを取る。その目標を目指した結果が、はらさんの一言に集約されていると思われます。

4.ハライチ -端的で自然な否定-

 ハライチのネタは前提として1つの大きなシステムがあります。「『他人を簡単に否定するくせに自分が否定されるとキレる人』を笑ってもらう」というものです。彼らのセリフは、主にシステムをうまく展開していくために働いています。

 その結果として彼らのやり取りは、自分の趣味を説明する側とそれを否定する側に分かれ、端的で自然なセリフの応酬となります。

澤部「登山をやろうかなと思いましてね」
岩井「無理よ、登山は」
澤部「年取ってね、足腰が弱くなりますからね」
岩井「年取ってできないからね、登山は。無理無理無理」

 相手の言葉尻を捕らえて、次々に否定する。場合によっては相手が言い終わらないうちから話し始める。こういう人いますよね、と分からせれば成功です。あとは岩井さんがキレるくだりに繋げてゆく。凝った表現はなく、自然な話し言葉が大半なのは、システムの邪魔をすると判断されたからかもしれません。

5.真空ジェシカ -伝わるかどうかの瀬戸際を狙う-

 真空ジェシカが目立ったのは、観客がギリギリ理解してもらえそうな単語を選ぶ能力だと考えています。彼らが用いる独特な単語は例え意味が分からなくても面白く聞こえるように工夫されています。もちろん、すぐ後で言葉の説明を入れます。これは一見すると余計なものにも思えますが、次のくだりへの繋ぎや伏線として機能しており、言葉の効率を上げる効果があります。

 気になったやり取りを挙げてみます。

ガク「1日市長の川俣です」
川北「10日副市長の大城です」
ガク「10日副市長!」
川北「2ヶ月会計の知念です」
ガク「2ヶ月会計!」
川北「5秒秘書の比嘉です」
ガク「沖縄の苗字、気になる。島人(しまんちゅ)ばっか体験に来てるよ」
川北「無期懲役の山田です」
ガク「つみんちゅもいた。罪人と書いてつみんちゅもいた」

 このネタだけに登場する言葉「罪人(つみんちゅ)」を使ったくだりです。いろんな役職を見せた後、「無期懲役」のボケと「島人」の言葉を受けて「罪人」を披露することで、観客に理解してもらいやすくしています。

川北「名物のお饅頭屋さんです」
ガク「あ、お饅頭屋さん」
川北「すいません、ふたつください」(両手で1と0を示す)
ガク「二進法で頼むな」
川北「2つお願いします」
ガク「1と0だけで数を表すやつだ」
川北「二進法の2は片手でこう表せますよ」(指を折り曲げる)
ガク「理系のおばあちゃんは初めて見た」

 「二進法」という単語を敢えて選ぶところが彼らの卓越したところでしょう。頭の良さそうな単語は頭悪く使わなければ笑ってもらえませんが、彼らはこの条件を見事にクリアしている。

 特にうまかったのが次の一言です。

ガク「ハンドサインでヘルプミーってやってた」

 ハンドサインが何か分からずとも大体意味が分かるからこそネタに用いたのでしょう。事前に川北さんが手で合図をして見せたのも効いてはいますが、何よりも端的に言いたいことを表している単語を見つけてくる能力が素晴らしいと思います。続いて「これを怪しまれないために普段から手遊びを」と言うことにより、伏線も回収できています。

 川北さんがいろんな人になり切り、ちょっとした、しかし印象的な動作を用いるなど、動作による説明も効果的に使ってはいますが、真空ジェシカのネタの肝はやはり言葉の選び方なのではないでしょうか。

6.オズワルド -ドラマすら圧縮する-

 漫才師の中でも比較的動きに乏しく、おっとりとした喋り方が特徴的なためか、無駄のない言い回しこそオズワルドの真骨頂に見えます。

 例えば、冒頭のくだりです。

畠中「この間ほんと参っちゃったんだけどさ、友達と渋谷のハチ公前で待ち合わせしてたのよ。で、待っても待っても全然友達来なくて、2時間ぐらい待った時気づいたんだけど、俺友達なんていなかったんだよね」
伊藤「え、何、何、何、何、何、何、何、何、何」
畠中「え、何が、何が、何が、何が」
伊藤「お前は違う、お前は違うよ、絶対違う。ちょっと1回落ち着けって。結局何が言いたかったの」
畠中「友達が欲しいなって話をしたかったんだけど」

 まず、畠中さんが過不足ない状況説明をします。それに伊藤さんが戸惑い、つられて畠中さんも戸惑う。これでは埒が明かないと伊藤さんが一旦仕切り直し、畠中さんが落ち着いて説明を再開する。

 無駄のない説明はもちろん、笑いどころをいくつも作り、話をひと盛り上がりさせ、ネタのテーマを観客に印象づける。開始数十秒でこれらを一気にやってしまうところがオズワルドのすごさでしょう。当然オズワルド独自の言い回しもあちらこちらに使い、時には複線も活用する。

 どれかひとつとか、いくつかを同時に使うくらいならば、できる漫才師は多いでしょう。しかし、全部突っ込める漫才師はなかなかいない。特に、無駄なくギュッと詰め込んだ文章の中に、ドラマとして盛り上がれる場面まで入れるのは言葉のセンスが相当要るでしょう。大型プレス機のような、強烈な言語圧縮能力です。

 もちろん、動作による笑いも取りはします。しかし、あくまでこだわりにこだわった言葉を補助する色合いが強いように思います。観客に気づかれぬよう脈を測り出すくだりは上手に動く必要がもちろんありますが、それをうまく笑いに昇華するのは練り上げられた無駄のないツッコミです。

7.ロングコートダディ -独自の世界をゆだねる-

 独自の世界観を見せることに特化させたのがロングコートダディです。冒頭のくだりからも、彼らの方針というか、覚悟のようなものが見て取れます。

「俺、生まれ変わるとしたら、ワニになりてえなあと思って」
堂前「ワニ?」
「ワニ。だってワニって格好いいしさ、強いから天敵おらへんねんな」
堂前「なるほどね」
「ワニになれたら楽しいやろうなって思って」
堂前「でも、生まれ変わるって簡単じゃないから練習しといたほうがいいな。死んだ後の魂やってもらっていい?俺は天界全体をやるから」

 ここでようやくツッコミが入るものの、本来ならばツッコミが入るべきところをスルーされています。ツッコミが変な話を切り出しているという特徴もありますが、最も目立つのは、ここから展開される「天界」のシステムを特に説明もせず、実際にやってみせることで観客に「天界」のシステムを理解してもらう点です。

 ツッコミも説明もあまりない。独自の世界を観客にゆだね、笑ってもらう形式です。そして、ツッコミや説明を削った時間を目一杯使って、独特な「天界」を展開してゆきます。

 独自ルールをどう伝えるか、という点においては、モグライダーとの比較が興味深いです。笑いを取りつつも、とにかく一旦説明をしてから独自システムに入るモグライダーに対し、ロングコートダディは最低限のことだけ言ってサッサと天界に入ってしまいます。

 このような差が生まれた理由は本人たちのキャラクターによるところもあるでしょうが、「『さそり座の女』以外の可能性を全て消す」という、今までどこにもなかったルールを持って来たモグライダーに対し、ロングコートダディの「天界」は昔から言い伝えられてきた天界のイメージを踏まえており、その分だけ説明が省略できる点が大きいと考えられます。

8.錦鯉 -説明を補完させる馬鹿-

 錦鯉最大の特徴であり武器は長谷川さんの馬鹿というキャラクターです。長谷川さんはとにかく馬鹿に見えるよう、言い方や動作の一つひとつに至るまで気を遣っています。

 長谷川さんの馬鹿は、セリフ面でも別の効能があります。それは「馬鹿だから多少グチャグチャなことを言っても違和感がない」です。もちろん、悪口ではありません。例を出します。2本目のネタの終盤、長谷川さんがサルに罠を仕掛けるくだりです。

長谷川「分かったぞ、罠を仕掛ければいいんだ。バナナを置いて、上にカゴを置いて、バナナを取りに来たところを、この紐を引っ張ればいいんだ」
渡辺「鳩のやり方じゃねえかよ」

 どういう罠を仕掛けたのか、長谷川さんの言葉だけでは説明しきれていません。長谷川さんの動作や渡辺さんのツッコミによって説明の不足部分がフォローされています。ここで注目すべきは長谷川さんの馬鹿というキャラクターです。長谷川さんのセリフは正確な説明としては失格だし、何なら文法の視点から見てもちょっと怪しい部分がある。しかし、長谷川さんの馬鹿により、それが霞むどころか、違和感ゼロになってしまうのです。観客は「彼は馬鹿だからこんな言い方になってるけど何を言いたいのかは分かる」と、長谷川さんの説明不足なセリフを好意的に補完してくれる形になります。

 もちろん、漫才を分かりやすく見せるテクニックはそこかしこに見られます。サルを捕まえたと思ったらお爺さんだった時、長谷川さんはちゃんと姿勢を正します。また、先ほどのバナナのくだりも2回目からは「バナナを置いて、上にカゴを置けばいいんだ」と、ちゃんと説明を省略しています。グチャグチャな説明をしてると思いきや、こういうところはちゃんと抑えているわけです。

9.インディアンス -一撃決めるためのジャブ-

 インディアンスもまたボケの明るいキャラクターの印象が強いコンビです。とりあえず、冒頭のくだりを文字に起こしてみます。

きむ「やっと趣味が見つかったのよ」
田渕「見つかったんや。よかったやん。コングラ、コングラ」
きむ「チュレーションも言えや。面倒くさいな」
田渕「コングラチュレーションか。ごめん、今のは俺がおっちょこ」
きむ「ちょいも言えや。だるいな」
田渕「ちょい忘れ」
きむ「ちょい忘れじゃない」
田渕「あ、ちょいですか。これチャイですね」

 こうやって文章にすると、決勝に行ったとは思えないほど普通と申しますか、あまり大した言い回しがないと申しますか、何なら意味が分からないまであります。このセリフに言い方や早いテンポ、それから田渕さんのキャラクターや動きを注入することにより、一級品の漫才に変貌するわけです。

 基本的には小さなボケをジャブのごとく軽快に打ち込むのがインディアンスの漫才ですが、ここで大きなアクセントを強烈なストレートのようにかましてきたのが次のやり取りです。

きむ「恐怖心が行方不明やわ」
田渕「恐怖心のやつ、東京行ったらしいな」

 言い方や動作などをここで大きく変化させたこともあって、よくウケた部分だと思います。同時に、このやり取りがネタの中で恐らく最も凝った言い回しとも言えます。

 それまでの軽めのボケを全て前フリにしたからこそ、上手な言い回しが決まった。ネタの構造としても重要な箇所だったように見受けられます。

10.もも -キャプションの応酬-

 特徴的な形式の漫才を披露したのがももです。それぞれが欲しいものを言うと、相方が「なんでやねん、お前〇〇顔やろ」などとツッコむ。ボケとツッコミがどんどん入れ替わるスタイルです。

 当然、重要になってくるのは「何顔か」という点です。せめる。さんは黒髪で眼鏡をかけており、まもる。さんは金髪で髭を生やしている。その外見と話の流れを受け、いかに「〇〇顔」という言葉に集約させるかが勝負になるわけです。

 これはキャプションと言ってもいいかもしれません。キャプションとは新聞や雑誌などの見出しであり、写真やイラストなどに添えられた説明文でもあります。ももの場合は後者のキャプションに近い。

 キャプションの大事なところは、わざわざ言わなくても見れば分かるようなことは説明しない点だと思われます。赤い椅子の写真に「赤い椅子」とキャプションをつけても意味がありません。そんな感じで、せめる。さんがいくらオタクっぽい外見だからと言ってそのままオタク顔と言ってしまってはいけませんし、まもる。さんがいくらヤンキーっぽい外見だからと言ってそのままヤンキー顔と言ってはいけません。かと言って、全く無関係なことを言っても成り立たない。距離感が重要になってくるわけです。

せめる。→まもる。
「転売目的顔」
「外でエアガン顔」
「EXILEオーディションに一次審査で落ちる顔」
まもる。→せめる。
「違法ダウンロード顔」
「(財布が)三つ折りマジックテープ顔」
(「妹めっちゃ欲しい」というセリフを受けて)「そんなん言うたらあかん顔」

 いずれも外見そのまんまを説明しすぎず、かつ遠すぎもしない、いい距離感を追求した跡が見受けられます。

11.終わりに -漫才の半分は文章、もう半分は-

 いかがでしたでしょうか。

 確かに、いい漫才は言葉にこだわり、だからこそ名文句がゴロゴロしていました。一方で、文字に起こすとそんなでもなくなってしまうタイプもある。

 理由は漫才が喋りで相手に伝えるものだからでしょう。会話で相手に何かを伝える時、その手段は喋りに留まりません。表情や動作もまた重要な伝達方法になります。だからこそ、言葉を重視した漫才は文字で起こしてもそのうまさがよく分かり、逆に動作を重視した漫才を文字にしてしまうと、その素晴らしさが半減してしまうのだと推測します。当然ながら、両方をほどよく重視したバランスのよい漫才もあるでしょう。

 M-1グランプリ2021の決勝に進んだ10組が言葉と動作のどちらを重視しているのか、私の独断で並べるとこんな感じになります。

動作を重視:ランジャタイ、錦鯉、インディアンス
バランス型:モグライダー、ロングコートダディ、ハライチ、ゆにばーす
言葉を重視:オズワルド、真空ジェシカ、もも

 もちろん、話す言葉にはそれぞれが大いにこだわったことでしょう。言い方や漫才の構造なども考慮して選んだに違いありません。

 面白い漫才をいろいろ調べてゆくと、いい文章を書くヒントが現れる。私は勝手にそう思っていますが、その思い込みが強化された次第です。

 今回はこんなところです。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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