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ゲーム作りとは、名前の恥ずかしさに耐えることだったのか

 ゲームが好きな人間の何割かは「自分もゲームを作ってみたい」と一度は思うようです。実際にゲーム会社へ就職する人はもっと少ないでしょうけれども、そこへ辿り着くまでの道のりは多かれ少なかれ歩むようです。具体的には、ノートに自分の考えたゲームを書いたり、友達を呼んで実際に遊んでもらったりする。

 ゲーム会社側がそれをサポートするような商品を出す場合もあります。スーパーマリオメーカーを始めとする、誰でも気軽にゲームを作れるソフトです。あらかじめ素材がそろっていて、ユーザーはその素材をうまいこと使ってゲームを作る。調べたら、こういうソフトを「コンストラクションツール」というようです。

 コンストラクションツールの先駆けとなったソフトは「ピンボール・コンストラクション・セット」でございます。その名の通り、ピンボールを作るソフトで、1983年に発売されました。ファミコンと同い年です。

 何かすごく面白いものを見たら、自分もそれを作ってみたいと思うのは昔から自然な流れのようです。ですから、ゲームを簡単に作れるソフトも、コンピュータゲームが世間一般へ広がりを見せた1980年代には生まれ、歴史を積み重ねた。当然と言えば当然でしょう。

 私が子供の頃には、RPGを作るソフトが流行しました。やれドラクエだFFだと、みんなが熱中していたRPGを自分で作ることができる。ノートに書き殴った自分の妄想RPGがいよいよ形となる日が来た。そう言わんばかりにみんなRPG制作に取り掛かるんです。そして、たまにみんなで集まって進捗状況を報告し合ったりもした。

 ここでみんな気づくんです。RPGを1本作るのはすごい大変だと。

 確かにRPG制作ソフトは誰でも作れるよう、気を遣われたシステムになっていました。レゴブロックのようにパーツを組み合わせるだけで町や洞窟ができる。でも、そのパーツを組み合わせるのが大変なんです。人やモンスターのグラフィックもたくさん用意されているのですが、主要人物やモンスター、魔法やアイテムに至るまで、その世界にあるものに名前をつけていかねばなりませんし、その辺でたむろしているどうでもいい村人のセリフもいちいち考えなければいけない。

 結果として、最初の町さえ建設途中の段階で挫折する人が後を絶ちませんでした。中には「これじゃまともなRPGを作るのは無理だな」と割り切ってしまい、RPGの主人公が絶対に言わなそうなことばかり独り言で喋らせるRPGとか、パーツがうまく組み合わさっていない不完全な家の中でひたすらエロいことばかりするRPGとか、大喜利に走るお調子者も現れました。その時はみんな笑ってはいましたが、やがてRPG制作からひとり抜け、ふたり抜け、次第に数を減らしていきました。

 私もまた最初の町を作っては力尽きることを繰り返していましたが、諦めたはずなのにしばらくするとまた作り始めるんです。他にも何人かそういう子がいまして、みんな忘れた頃に集まっては近況を報告し合ったり、互いにゲームをプレイして感想を言ったりしていました。

 この「感想を言い合う」というのが曲者なんです。褒められるのは嬉しいですし、悪い点を指摘されるのは改善に繋がるからいいんです。問題は名前なんです。主要人物には名前がついていますから、例えば私が「山田」と名付けた人物をRPG内で活躍させると友人が「この山田のセリフいいよな」とか言い出すんです。

 自分の考えたキャラクターが作者の手を離れて独り歩きを始めた瞬間と言えば聞こえはいいですが、私としては「適当に考えた名前なのに何言ってんだこいつは」と思ってしまうんです。しかも、先ほど私は例として「山田」という名前を持ってきましたけれども、実際にRPGに登場させた名前は格好つけた名前だったりするんです。友人がその名前を口にして初めて自分の痛さを知って恥ずかしくなる。

 世の中にはキャラクターを考える仕事に就いておられる方もいらっしゃるかと存じますが、みんなこの独特な気恥ずかしさを乗り越えて、自身が生み出したキャラクターを世に出してらっしゃるのですね。そう考えると、結構な精神力をお持ちだと尊敬せずにはいられません。それとも続けていけば慣れるものなのでしょうか。

 ちなみに、その最後までRPG制作報告会に残っていた友人のひとりはちゃんとゲーム会社に就職しました。人より精神力があったのか、やり続けて慣れたのか。今度会ったら聞いてみたいと思います。

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