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うっかり人の心を打つ詩を書くと大変なことになる

 トマトは酸っぱいせいもあってか、嫌いな食べ物にあげられがちのようです。ネットで検索すると子供に限らず、大人も嫌いな人がそこそこいるようで、根強い不人気がございます。

 ところで、なぜか知りませんが世の中には子供に詩を書かせ、それをまとめたがる一派がいるようです。かくいう私も小学生をしていた頃に詩を書かされた記憶があります。こういう時は大体「子供の素直な感情を詩に」みたいなうたい文句とセットでおこなわれます。

 もちろん、ちゃんとした専門家にとっては、子供の書いた詩にもっとしっかりとした何かを見出しているでしょう。しかし、そういう専門家が都合よく身近にいるとは限りません。そんな中で本当に素直な感情を詩にしたら、例えば「詩を書くよりもゲームをやりたい」とか書いたら怒られることくらい、子供でも何となく分かるでしょう。

 結果として、白紙の原稿用紙を前に鼻をほじったり、書いては消して書いては消してを繰り返してただただ原稿用紙を汚す作業に勤しんだり、どうしても書くことが思いつかないからと教科書の例文を半パクりしたりと、みんな思い思いの方法で詩作に背を向けておりました。そして、制限時間が終わると先生が作品を回収して授業が終わる。詩人としての手ごたえはゼロ。私のポエマーデビューはそんな感じだったように思います。

 私の場合はそれで終わりましたけれども、たまにそれで終わらない時もあるようです。

 私が小学生をしていました頃、テレビで子供が自分の書いた詩を朗読する番組が放送されていました。舞台には司会と評論家数名、更に舞台を囲むようにして満員御礼状態の観客席がありました。そんな舞台に子供が次々と登場し、自作の詩を読むという流れです。

 私が覚えているのは、年齢が当時の私と同じかそれより少し年下の男の子でした。男の子は緊張しまくった面持ちで短い詩を朗読しました。確か、こんなような内容だった気がします。

僕はトマトが嫌いです
理由は気持ち悪い汁が舌の上をさまようからです

 この朗読を受けて、専門家は「この『舌の上をさまよう』という表現が素晴らしい」と感心した様子でした。一方、テレビの前の私は「ドラゴンクエストの『さまようよろい』からパクったんだろ」と変に冷めていたのをよく覚えています。今になって思えば、出典がドラクエの敵にしろ、それを詩に用いたのは男の子のセンスによるものであり、それが専門家の心を打ったということでしょう。

 それにしてもです。きっと作者の男の子はきっと何となく書いた詩を先生に褒められて喜んでいるうち、あれよあれよという間にテレビの舞台へ引きずり出され、嫌いな食べ物をポエム形式で発表する羽目になったんでしょう。「こんなはずじゃなかった」と思いながら朗読していたに違いありません。そう考えると、詩を読む男の子のあの無表情な顔に少し同情してしまいます。

 それからもう数十年が経っています。あの時の男の子はひょっとしたら普通の家庭を築いているのかもしれません。人前でポエムに載せて嫌いなものを発表した少年の日の記憶は、一般家庭のお父さんになった今では気恥ずかしい思い出になっているでしょう。そして、自分の息子には「詩で嫌いな食べ物について書くな」という生活の知恵を教訓として語り継いでいるに違いありません。

 仮に私が詩の授業でまぐれ文才を発動してしまえば、私があの男の子の代わりに大衆の面前でポエマープレイをする羽目になっていたんです。そう考えると、不真面目に詩を書いていて本当によかったと心から思ってます。

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