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言葉がブレイクする時

 近年は毎年のように「流行ってる?」「流行ってないでしょ」といじられるのが、新語・流行語大賞でございます。長らくいじられてきたため、「いやいや、『新語』・流行語大賞だし」「あの業界ではちゃんと流行ってたし」など、はたから見てると反論も割と出揃ってきているように思います。

 そして、更に思ったことがあります。いくら毎年のように新語・流行語が出てきているとは言え、ものによって広がり具合に差があるんだろうな、ということです。審査員の方々も全ジャンルの言葉をチェックしたいでしょうし、できれば「これは本当に流行った」と誰もが断言できるレベルの言葉を大賞にしたいはずです。でも、全ジャンルを網羅できる人間はまずいませんし、どうしたって締め切りがある。それに、世の隅々まで流行った言葉なんて毎年出るとは限らない。

 そういう意味では、素人目にも本当の意味で流行ったと思える近年の言葉は「忖度」だと思っています。誰かが意図して流行らせようとしたわけでなく、自然に隅々までブワッと一気に広がった。今までも存在はしていたけど、ほとんどの人間には使われてこなかった言葉だったはずで、しかも読めないし書けない文字でもあります。それが、ひとりの人間がちょこちょこ使った結果、事件を報道する方々はもちろん、あんまり事件と関係ない方々まで当たり前のように使い始めた。「忖度」という言葉がブレイクした瞬間です。言葉の平均寿命がどれほどのものかは知りませんが、「忖度」が新語・流行語大賞をとった時、「忖度」にとって間違いなく「人生のピーク」みたいな感じだったに違いありません。

 よく考えれば、もともとあった言葉なんだけれども、誰が意図したわけでもなく、何かをきっかけに知名度をグッと上げる現象は、他にもチラホラあるように思います。例えば、PRCです。

 PCRはもともと「ポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction)」と呼ばれ、特定のDNAを増やすのに使われてきました。キャリー・マリスという学者が女の子とデートしている時に思いついたとされる技術で、マリスはこの功績によりノーベル賞をゲットしています。

 ノーベル賞が与えられたのには理由がありまして、PCRは研究手法が根底からひっくり返るほど便利だったんです。希少で貴重なDNAでもそこそこ簡単な作業でバンバン増やせる。私が大学生だった頃には、既にPCRは業界にすっかり定着した技術でございまして、ちょっとでも遺伝子を調べる研究室ならばPCRができるマシンは必ず置いてありましたし、学生だって当たり前のように使っていました。当然、研究として使うので、学生と言えどもPCRの基本的な知識は頭に叩き込まれました。もちろん、私のように覚えたそばからすぐ忘れてしまう学生もいました。

 そんな感じでPCRは遺伝子系の研究をする人は当然のように知っていましたが、それ以外の人はほとんど知らない言葉でもありました。それが、ある出来事をきっかけに広く知られるようになります。皆さんご存じ、例の感染症です。もう当たり前のようにニュースでPCRPCR言うようになりましたし、街中でPCRができる場所が設置されるようにもなりました。PCRがブレイクした瞬間を垣間見た気がします。ノーベル賞を取っただけで充分なブレイクなのに、更にその上をいくブレイクを迎えるとは、と驚いた記憶があります。

 PCRで検査すると聞いた時、不真面目な学生だった私でも「ああ、ウイルスのDNAを増やして分析するんだろうな」くらいにぼんやり思っていました。しかし、言葉が往々にしてその意味を変化させます。PCRもまた同様で、「特定のDNAを増やす方法」だったはずが、「感染症にかかってるかどうか調べる方法」に変化してゆきました。「本来PCRは感染症にかかったかどうか調べる技術ではなくてですね」と解説する専門家のサイトは検索すれば簡単に出てきますが、恐らく当分はPCRが「感染症にかかってるかどうか調べるやつ」という世間のイメージは覆らないと思います。

 いずれにしろ思いました。「PCRがこんなに流行るもんなのか」と。そう考えると、今は世間の隅で、ごく一部の人にしか使われていない言葉が、何かの拍子にそこらじゅうで使われる可能性はいつでもあるということでしょう。「人生は何が起こるか分からない」とは言いますが、言葉の一生もまた同様なのだと思い知らされました。

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