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過去の価値観に不意打ちされる

 科学技術史の先生がこんなことをおっしゃってたんです。「過去は外国だ」と。自分の住んでいる場所だって過去にさかのぼれば価値観が全然違うなんて珍しくない。それを端的に言い表したのでしょう。

 確かに同じ国でも数十年前ともなりますと価値観がだいぶ違うため、時には過去の作品を公開するのに注意書きが必要となります。今では放送できない言葉を登場人物がガンガン発言するドラマやアニメに対して「現在では不適切だと思われる表現がありますが、作品の歴史的な価値を重視してそのまま公開します」みたいなメッセージを添えたりするやつですね。

 復刻や復刊の場合は注意書きを付け加えられるわけですが、当時に作られたものが今でも残っている場合も当然ながらございます。書籍にはそれが多い。誰かの家の物置にずっと保管されていたり、図書館に長らく所蔵されていたりしたものをたまたま手に取ることがありますし、何より書籍には古本という文化が根付いています。その気になって探せばネットでも古本は簡単に購入できます。

 基本的に書籍は刊行当時の価値観で書かれていますから、本が古ければ古いほど今と価値観が異なってきます。ですから、国語の教科書に載るような不朽の名作でも古本だと油断できません。整った文章の中にいきなり放送禁止用語が現れたりするんです。その驚きたるや、もう不意打ちと言ってもいい。おいしいシュウマイを次々に食べていたら、なぜかかんしゃく玉入りのシュウマイが混ざっていて、それを知らずに口の中へ放り込み、しっかりモグモグして口内爆発を起こしてしまったような気分です。

 よく図書館をうろつく方ならご存じでしょうけれども、図書館は置かなくなった書籍を無料で配布することがあります。除籍本というやつですね。意外と掘り出し物があるので、私もたまに除籍本をもらいに行くんです。

 7年くらい前に某大学の文化祭で大学図書館の除籍本をタダで配ると聞きつけ、現地へ突撃したことがあります。私は欲望のおもむくままに気になる書籍をかき集め、司書の女性がニコニコ顔で紙袋を用意してくれるくらいの本をいただきました。でも、自宅から某大学まで電車で2時間、更に徒歩で30分かけて来たのをスッカリ忘れていました。20冊の本を抱えての帰路はさすがに両肩の関節がセットで外れるかと思いました。

 大学図書館の除籍本ということもありまして、古い専門書がたくさんありました。私が持ち帰った書籍の中にも、面倒な計算方法ばかり載っている専門書なんかがありまして、「何をしようとしてるんだ、この数式は」とぼやきながら読んでいたんです。

 専門書ですと基本的にはノリが真面目なんですが、中には少しでも読者に楽しく専門知識を学んでもらおうと閑話休題や軽いジョークを挟むような書籍が昔から存在しています。私が読んでいた面倒な計算方法ばかり載ってる専門書もまたその手の書籍だったんです。

 本当に突然それはやってきました。何の脈絡もなくいきなり、女性の生活習慣と胸のサイズの相関を調べるというセクハラ多変量解析を開始したんです。書籍内では分析結果を知り合いの女性に伝えたところ、軽く叱られたみたいなことが書いてありましたが、いま同じことをしたら著者および出版社は炭も残らないくらいこんがりと燃えるに違いありません。場合によっては裁判ルートです。

 あまりの内容に私も読んでて閉口してしまったんですが、奥付を確認すると書籍が刊行されたのは50年近く前の話なんです。ほぼ半世紀前っすか。そりゃ価値観も変わりますよね。「過去は外国」と知っていたつもりでしたけれども、まさか数式がそこそこ載ってる書籍で痛感するとは思いませんでした。

 古い書籍を読む時は異なる価値観の不意打ちに注意したほうがよさそうです。

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