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悪夢に対しても大人の態度へ

 人は寝れば夢を見ますし、見る夢はなかなか決められない。どうしても悪夢を見る時があります。何しろ夢ですから、もういろんな悪夢を見ます。目の前にジャンボジェットが落ちて大惨事とか、人間をなぎ倒しまくる甲殻類エイリアンに後頭部を掴まれるとか、ひたすら追いかけてくるカミツキガメから逃げてたら転んで首をかまれるとか、印象深い悪夢はいくつもあります。

 しかし、個人的にこういう悪夢はそこまで怖くないんです。目覚めても「なんか変な夢見たな」くらいなもんです。目覚めた時には心臓バクバクの状態で「ああ夢でよかった」と胸をなでおろすような本当の悪夢はもっと現実的です。

 例えば、大量の宿題を全然やってないと提出直前に気づくとか、来週かと思ってロクに勉強していなかったテストが今日だったとか、昔リアルに経験してきた窮地が再び夢になって蘇ってきたパターンがきついんです。なぜか小中学生の頃であることが圧倒的に多く、他にも小中学生だった頃に出会った嫌な友人知人とか嫌な先生とか、そういう人らが当時そのままの姿で嫌がらせをしてくる悪夢もございます。何しろ実感がこもっていますから、夢の中で本当に嫌がるんです。起きてようやく自分には宿題もテストも、あの頃の嫌な人たちも存在しないと気づく。義務教育じゃない世界って素晴らしいなと痛感するんです。

 目覚めれば嫌な世界から解放されるんで、まあ別にいいと言えばいいんですが、過ぎ去った不幸を再び味わうような睡眠はしないに越したことはない。ただ、厄介なことに見る夢はなかなか決められません。対策のしようもない上に、そもそもたまにしか見ないこともあって悪夢問題は放置するよりほかありませんでした。

 それからしばらくすると、悪夢に変化が訪れるようになりました。悪夢に対抗して何かをしていたわけではないのですが、夢の中で私は窮地を脱しようともがくようになりました。

 最初の変化は小中学生時代の嫌な人が出てくる夢でした。その人らは相変わらず当時そのままの姿で私に嫌がらせをしてくるんですが、なぜか私は彼らを殴ったり蹴ったりして反撃するようになりました。そのうち嫌な先生の顎にもパンチを決めれるようになったのですから我ながら大したものです。

 宿題や試験に対しても耐性がつきました。宿題はとりあえず正直に先生へ報告してその場をしのぐようになりました。テストの場合は「とりあえず寸前でもいいから勉強するか」と思って教科書を見始めたり、「まあ今は中間テストだし、期末テストで逆転すればいいか」と割り切ってしまったりと、落ち着いた心境でテストへ挑めるようになりました。

 夢の中にも成長ってあるんだな、と思いましたけれども、大人になって小癪な手段をバンバン使えるようになり、それを夢の中に輸入しただけなんじゃないか、とも思いました。

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