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言葉遣いから見るM-1グランプリ2022決勝の感想

 2022年12月28日にM-1グランプリの決勝が放送されましたので、その感想を書いて参ります。昨年は「いいネタはいい文章を書く参考になるんじゃないか」という偏見のもと、ネタを文章に起こしてその表現をあれこれ見るという方法を試してみました。

 皆さんがどう思われたかはともかく、個人的にはいろいろ勉強になったので、今年もやってみようと思いました。というわけで、早速参ります。

 ファーストラウンドのネタ順に、あれこれ抜粋していろいろ書いていく形式となっておりまして、読みやすさを重視するため、セリフの細部を変更したり、注釈を加えたりしている箇所があります。また、敬称略になっている部分もありますので、ご了承くださいませ。

1.カベポスター  ――ひとつの単語に複数の意味と目的を込める

 まずは大声大会のネタをしたカベポスターです。

 抜粋個所はネタ後半の、大声大会にしりとり要素を加えたところです。

永見「『スンドゥブ』!」
浜田「なんで?」
永見「『ブルース・ウィリス』!」
浜田「口がすぼんでんねんけど」
永見「『スチールウール』!」
浜田「息が細くしか出ていかんよ」
永見「『ルールブック』!」
浜田「何でもいいねんな」
永見「『く』からじゃなくて『ぐ』からでもいいですか」
浜田「なんか頼もしい人おんねんけど」
永見「『軍服』!」
浜田「何がしたいねん。なんでわざわざ『ぐ』に変えて『軍服』なん」
永見「で、次が僕の番やってん」
浜田「お前また優勝するやん」
永見「『くず湯』!」
浜田「飲まれたねー。飲まれちゃったね、みんながすぼんでるから」
永見「『ユリア結婚してくれ』!」
浜田「もうええねんこいつ。ほんで、どこでプロポーズしてんのこの人」
永見「その人が優勝してん」
浜田「よかったねー。じゃあ、まだよかった。ちょっと盛り上がったかな」
永見「そしたら舞台上にユリアさんが上がって来てね」
浜田「え、プロポーズの返事するためってこと?」
永見「『こちらこそー!』」
浜田「この人出たほうがよかったんちゃうん。めちゃくちゃデカかったよ。でも素敵やね、プロポーズOKで抱き合って。………ん?」
永見〈親指を立て合うジェスチャーをする〉
浜田「お前の『くず湯』、『ユリア』の『ゆ』に繋げるためのやつやったの? そんな粋なパス出してたん、お前。全員で繋げてたん? そのための『軍服』やったんや」

 これ以上ないくらい言葉を削っている点が目につきます。「大声大会で大声を出しづらい単語ばかり選ぶ」という状況が判明しているため、説明が省略できるのは事実ですが、それにしても必要最低限まで絞っています。

 特に浜田さんにその傾向が強いです。例えば「飲まれたねー。飲まれちゃったね、みんながすぼんでるから」の省略部分をカッコ書きで表現すると「(雰囲気に)飲まれた」「(口が)すぼんでるから(大声が出せなかった)」という風になる。万事こんな感じでちょっとの無駄も削り、4分間に最大限の情報量を詰め込もうという執念を感じさせます。

 削った情報をどこで補うのか。漫才でよく使われるのは「動作」です。身体の動きですね。あとは「言い方」などもありますが、言葉で使われる手段としては「ひとつの言葉にいくつもの意味や役割を込める」というものがございます。これは永見さんの発言に顕著で、特定の言葉だけをバシッという形式のため、分かりやすくもあります。

 「スンドゥブ」から始まる単語の数々にどんな意味や役割が込められていたのか。ザッと確認しただけでも4つございます。

 まず「大声大会で発せられた単語」というものです。序盤から提示された、基本的な性質ですね。続いて「大声を出しにくい単語」という意味がくっつきます。実際に大声を出しづらいかどうかはともかく、それを意味として追加し、ひとつのボケに仕立て上げます。更にネタ後半で「しりとりを成立させる単語」という意味が加えられます。新ルールを提示して展開に変化を与える理由があったと考えられます。そして、最後に「伏線を張る」という目的があったことも判明します。みんなプロポーズに持って行くため気を遣ってしりとりをしていたというやつですね。

 このようにいくつもの意味や役割を単語に込めて漫才をする。これにより少ない言葉で多くのウケを取れるネタになる。非常に効率の良い言葉遣いだと判断できます。

2.真空ジェシカ  ――ギリギリマニアな単語で独自性を出す

 真空ジェシカはシルバー人材センターのネタをしました。

 彼らの特徴としてあげられるのは、ギリギリ通じるマニアックさを用いることです。あまりベタなものを用いると他の組とかぶる危険性が高まり、逆にマニアックすぎるものだと多くの観客に通じない可能性が強まる。そのため、ベタではないけどマニアすぎない、ちょうどいいところを狙うことで他とかぶらないネタを展開でき、更に意外性による笑いも得られやすくなるわけです。

 このスタンスはネタのテーマにも表れています。他の人が選びそうにないものであり、それでいてみんな何となく知っているものとして「シルバー人材センター」に白羽の矢が立ったものと考えられます。

 冒頭のやりとり、いわゆる「つかみ」もまた同様です。

川北「どうもー、見つけたら嬉しいドングリでーす」
ガク「言うとしたら僕ー。帽子のついたラッキードングリに似てるのは僕だから気をつけて」

 ただのドングリを名乗ってもウケは狙えたと思います。そこで満足せず、ちょっとマニアックな方へ表現の幅を求める。説明が必要だと思ったらガクさんがフォローする。もちろん、そこでも「ラッキードングリ」などの単語で独自性を出す試みがなされています。

 このようなやりとりが随所に見られ、後半の様々な人材を紹介する場面では、ギリギリマニアックなやりとりを連続で叩き込んできます。

川北「うちではいろんな人材がいてますよ」
ガク「ああ、ちっちゃい関西弁だ。俺でなきゃ見逃しちゃうね」
川北「『私は道に詳しいです』『天気を予測できます』『計算が得意です』」
ガク「AIに仕事を奪われた人たち」
川北「すぐに行けますんで」
ガク「スマホ1台で充分だ」
川北「八法全書を書いております」
ガク「六法全書の同人誌書いてる。著作権の著作権を侵害してる」
川北「戒名の歌をつくります」
ガク「『かいみょん』だ。シンガーソングライターの」

 「俺でなきゃ見逃しちゃうね」「AIに仕事を奪われる」「同人誌」「あいみょん」。大半の人にとって特別詳しいわけじゃないけど何となく知っているものたちを選び、ネタにすることでウケを取る。解説も過不足なく入れる。真空ジェシカはこの手法が非常にうまいと思われます。

3.オズワルド  ――「何を言わないか」を駆使して余計な説明を削る

 オズワルドは明晰夢の話から、夢と現実の区別がついていないボケと揉める展開に移るネタでした。

 物事を言葉で表現する場合、「何を言うか」はもちろん重要なんですけれども、「何を言わないか」も同じように重要だったりします。例えば、以下のやり取りです。

畠中「あとこれ夢だから言うんですけど」
伊藤「夢じゃねえっつーの」
畠中「僕、好きな子の抜け毛は食べます」
伊藤「頭おかしいのかお前。墓場まで持ってけ、そんな情報」
畠中「でも夢だから現実の俺はノーダメージなのよ」
伊藤「致命傷だよ馬鹿野郎、二度と言うなよ」
畠中「あと伊藤って実は」
伊藤「勘弁してくれ、やめてやめて」
畠中「ブラックコーヒー飲めないんです」
伊藤「そーなんですー。だって致死量超えた麦茶の味がするから」

 自らのヤバい秘密を暴露してから相方の秘密を暴露しにかかったため、相方としては大いに戸惑うも実は大した暴露ではなかった。上記のやり取りを簡単に説明するとこんな感じなんですが、しょぼい暴露をされた伊藤さんは笑顔で「そーなんですー」だけで済まし、あとは理由をちょっと付け加えるだけです。「ああよかった」なんて感想はおくびにも出さない。代わりに表情と言い方だけで観客に察してもらえる形を作っています。

 似たようなやり取りは他にも随所で確認できます。

畠中「君、往生際の悪さ、河童並だね」
伊藤「河童って〈観客のほうを向いて〉そうなんですか? ちょっと知らないんですけど」
畠中「あんまり俺に逆らわない方がいいよ」
伊藤「何だって?」
畠中「俺の夢なんだから、俺が指を鳴らしたらみんな君をボコしに来るからね」
伊藤「やってみろよこの野郎。〈観客のほうを向いて〉絶対そんなことしないですよね。………どっち?」

 自分で判断できないため、観客の反応を手掛かりにしようとする。そんな行動を非常に少ない言葉でうまく表現し、更に笑うを取ることにも成功しているやり取りと言えます。

 ボコすかボコさないかの判断を仰いだあとの言葉に至っては3文字です。ここまで削れるには相応の技術が要るのはもちろんなんですが、これで充分だと判断できる必要もあるわけです。更に、観客がどういう反応するかによって何を言うかも変える必要が出てくるでしょう。そして、あらかじめ用意していたいずれの選択肢も余計なことを一切言わないようになっていたはずです。

4.ロングコートダディ  ――分かりやすい表現は世界観のためにある

 ロングコードダディは1本目がマラソンのネタ、2本目がタイムマシンで江戸時代に行くネタでした。

 ふたつのネタに共通している点は、先に動きを見せておいて、後でそれが何なのかを種明かし的な形で言う構成になっているところです。特に1本目は種明かしの部分が分かりやすく強調された形になっていますので、こちらを取り上げます。

 注目部分はもちろん「嘘やろ?」の後の言葉です。順番に全部あげてみます。

「走り方めちゃくちゃ変なやつ」
「他のランナーを人混みだと思っているやつ」
「まだ何の大会かよく分かってないやつ」
「お味噌汁持ってるやつ」
「結び方分からんから靴紐持ちながら走ってるやつ」
「まだ靴履けてないやつ」
「青春」
「大奥」
「主催者」
「太ってる人」

 全体を通して非常に優しく分かりやすい表現になっています。それは短い時間で効果的に観客へ伝えるためという理由もあるでしょうが、そもそも動きでも笑わしているため、言わなければならないことが少なくて済んでいるからだと思われます。走ってる人物のちょっとしたセリフも状況説明に一役買っている点も大きいでしょう。「青春」なんかはその典型例です。

 また、笑いどころが「マラソン大会にそんな人が走ってんのかよ」という部分である点も関係していると思います。つまり、ミスマッチな登場人物そのものを笑ってもらう形です。登場人物のミスマッチが充分ならばひねった表現を添える必要がないですし、場合によっては登場人物の良さを邪魔しかねないでしょう。「主催者」や「太ってる人」なんかは特に余計な説明がないから笑える形だと思われます。

 登場人物のプロフィールや走ってる人の動き、マラソン大会とのミスマッチなど、様々なものの関係性を提示することで観客の想像をうながすことで、分かりやすい表現のセリフで爆笑を起こす。ロングコートダディは世界観で笑わすと評される理由にはこういうところにあるのかもしれません。

5.さや香  ――自然な表現と真っ当な理屈で理解を誘う

 さや香は1本目が老いを理由に早めの免許返納をするネタ、2本目が女性との友情が成立するかどうか言い争うネタでした。

 まずは1本目から抜粋します。

石井「老いがすごいねん、ほんまに。食べ物の好みが変わってもうて、俺、一番好きな食べ物、お漬物やで」
新山「うん、それ言われて『ああ免許返納やな』ってならんよ別に」
石井「だって、この間漬物だけでご飯3杯食ったからな」
新山「ご飯3杯食えてるやん、お前」
石井「そうや」
新山「そんなやつまだ育つやろ」
石井「ちゃう。他にもあんねん。喉も弱なってきてすぐ声かすれんのよ」
新山「俺もそんなんあんねんって」
石井「この前カラオケ行ってCreepy Nuts 5、6曲歌っただけで喉もたへんねん」
新山「Creepy Nuts歌えてんのお前。これに口ついていける時点で免許返納しやんでええねん。韻踏めるやつ、アクセルもブレーキも正確に踏めるわ」
石井「何を言うてんねん」
新山「絶対そうやろ」
石井「急にそんなうまいこと言われたら草生えるわ」
新山「免許返納しやんでええって。免許返納するようなやつ、おもろかっても草生えへんねん」

 言葉の表現としては日常会話でも普通にあり得る、自然な感じになっています。独特なワードでウケを取りに来るタイプではあまりない。じゃあ、何で面白くなっているかと申しますと、いわゆる「掛け合い」と申しますか、ふたりの話し方や間の取り方によるところが大きいと思われます。

 ただし、徐々にお互いが喧嘩腰になってゆくスタイルとは裏腹に、新山さんを中心に理屈がちゃんとしているのは笑いに大きく付与している点だと思われます。石井さんの妙な発言を、至極真っ当な理屈でツッコむので、共感を呼び笑いやすくなります。それこそ、言葉をひねる必要があまりないのかもしれませんし、ひねったらかえって邪魔になるのかもしれません。

 続いて2本目からの抜粋です。

石井「男女の友情、成立するって話やねん」
新山「向こうお前のこと好きな可能性すらあんぞそれ」
石井「そんなことないやろ、お前」
新山「友情あると思ってるのお前だけちゃうん」
石井「何が分かんねん。最近だって恋愛の相談もされたけど」
新山「何でお前がキレてんねん、今。おかしいやん」
石井「『好きな人できてんけど』って相談受けて『ああよかったやん』言うて『どんな人やねん、誰が好きなんか教えろや』って聞いても、何でも言うくせにそれだけは絶対に言わないんですよね」
新山「お前だろー!」

 ポイントは下から2番目の石井さんのセリフです。状況を説明する文章としては欠陥があるんです。それは主語がない点です。誰が言ったのか、石井さんのセリフでは何も語られていません。でも、「好きな人できてんけど」「ああよかったやん」「どんな人やねん、誰が好きなんか教えろや」の各セリフは誰が言ったのか、私たちはちゃんと理解することができます。むしろ、聞き取りやすい印象すら受ける。そして、ちゃんと「(向こうが好きな人ってのは)お前だろ」と理解もできる。

 これまでに何をどう話したのか、それを観客がどうとらえるのかを考慮した上で、セリフを削れるだけ削ったものと考えられます。

6.男性ブランコ  ――動作のフォローとしてコンパクトにまとめた説明

 男性ブランコは音符を運ぶネタをしていました。

 音符を運ぶという独自性の強いネタでした。こういうテーマは往々にして、観客へいかに短い言葉で正確に伝え、なおかつウケを狙えるかが重要になってきます。

 今回のネタの場合は「何をどう運ぶか」をうまく説明しなければなりません。それぞれの説明を抜粋してみます。

平井「例えばこういう音符。こうニョロリンとした、こういう音符ね」
浦井「あ、8分音符だ」
平井「これ運ぶ時、どうしたらいいか。簡単ですよね。このニョロリンに肩かけたら持ち上げやすそう」
浦井「まず音符は大きいんですね」

 まずは8分音符です。このネタは動作込みで説明するため、指示代名詞の多いセリフとなっています。

 8分音符の形状をセリフ上は「ニョロリン」の一言で説明し、浦井さんが「8分音符だ」と言及することでフォローしています。また、運び方も「肩にかける」という説明だけで済ませ、浦井さんが音符の大きさに触れることで補足する。コンパクトにまとまった説明となっています。

平井「この音符やめよう。違う音符」
浦井「違う音符?」
平井「こういう音符」
浦井「あ、繋がったやつね」
平井「これ運びやすそう」
浦井「運びやすそう?」
平井「これロープになってて、ここ棒になってる。てことは、昔の豆腐屋さんみたいに、こう」
浦井「ああ、肩にかけてね」

 今度は連符になるわけですが、連符の知名度が低いことや、言葉として発しても伝わりづらい単語であるためか、正式名称に触れません。正しい判断だと思われます。

 あとは形状を動作で示し、サラッと独自設定を追加し、運び方を端的に説明しています。

平井「音符危ないから違うやつ。五線譜」
浦井「五線譜? ああ、楽譜こうやって書いてるやつ」
平井「これは大丈夫 これはホワイトボードみたいにキャスターついてるから」
浦井「キャスターついている。じゃあ持ち上げなくていいよね。押すだけ」
平井「うん、押すだけ」

 「音符で2度の事故を起こした」という出来事を根拠に別のものを運ぶことで、話に自然と変化をもたらしている部分です。

 というわけで五線譜を運ぶんですけれども、「ホワイトボードみたいなキャスターがついているから押すだけでいい」と、こちらも非常に分かりやすい表現で短く説明がまとめられています。

平井「投げて運ぼう。ちっちゃい音楽記号、フォルテッシモ」
浦井「ああ、あのエフエフって書いてあるやつね」
平井「小文字のエフ。片方のエフを横にして、こうくっつけた」
浦井「あ、十字や。エフの十字」

 最後に音楽記号のフォルテッシモを運ぶところです。フォルテッシモは音楽に馴染みのない人には「何だっけ」となるところではあるんですが、そこはふたりが簡潔かつ的確な説明でスマートに済ませています。

 更に運び方も「投げて運ぼう」「(小文字の)エフの十字」でもう観客には想像がつくわけです。

 もちろん、ふたりの動作もまた分かりやすい説明となっていますけれども、セリフでも異様な場面を日常的な言葉で無駄なくシンプルに説明しきっています。だから、何が起きているのか観客も理解でき、舞台上の出来事で起きている出来事を想像し、笑えるようになっています。

7.ダイヤモンド  ――詳細を語らずとも独自ルールを理解させる

 ダイヤモンドが披露したのは、普通の飲食を「有銭飲食」と呼ぶなど、日常にあるものを独特な言い回しで表現するネタでした。

 彼らが立ち上げた独自ルールに従って単語を変化させて言うという、言葉にこだわったネタとなっています。形式としては、最初ひねった単語を使い続け、例を観客に提示し続けます。そして、観客に「何やら変なことを言っているな」と認識させたところで、その独自ルールを明かします。

野澤「じゃあ、全身浴ってなんだ、全身浴。そんな言葉なかったのに、半身浴が流行ったから全身浴なんて言葉が生まれたんだ。裸眼もね。眼鏡とかコンタクトが流行ってある一定を越えたから裸眼なんて言い出したんだ」
(中略)
小野「ガラケーとか雨傘とか全身浴とかは分かるけど、地上鉄とか農薬野菜はまだ一定のラインを越えてないんやから、わざわざ言わんでいいやん」
野澤「もう言ってかないと。俺が新しい日本語を作るんだ」

 不満を吐き出す体裁で、どういうルールで言葉をひねってきたのか初めて明らかにされます。例としていくつかの単語を用いつつ、まず野澤さんがどのようなルールで言葉をひねっているのか話し、小野さんがそれに反論する形で相方の主張のおかしい点を指摘します。

 ポイントは「一定」という言葉だと思います。どういう一定なのか、詳細な説明はされていませんけれども、何となく分かるような形になっている。説明に費やす言葉も少なく済むため、観客が理解しやすい形となっています。

8.ヨネダ2000  ――言葉に意味や脈絡よりも音と状況を求める

 ヨネダ2000のネタはイギリスでひたすら餅つきをするネタでした。

 今回の決勝では最も言葉に意味を求めていない組となっています。その根拠としてネタの何割かは次のような言葉で埋まります。

「ペッタンコー」
「アイ!」
「ペッタンコー」
「アイ!」
「ペッタンコー」
「アイ!」
「ペッタンコー」
「アイ!」

 「なぜかひたすら餅をついていて、なぜか現地の人も参加している」という状況なんですが、いざ餅つきが始まってしまうと、餅をついている状況すらあまり意味をなさなくなります。「とにかく変なことが起きている」「何だか知らないけどリズミカルなことになっている」ということが分かるだけで充分な状況になっているとも言えます。

 このネタで言葉に求めているのは意味よりもリズムだったり、喋りの抑揚だったりします。誠さんが妙なイントネーションで話すところもその表れです。音やリズムにこだわっている点において、音楽に近いネタとなっており、笑いどころもまた音に因るところが大きいです。

 状況もまた笑いに大きく付与していると思われます。大した脈絡もなくイギリスで餅をついて、なぜかは知らないけど現地の人が餅つきに参加する。歌をうたえば踊りも踊る。そういう脈絡のなさが笑いを誘う形になっています。俗にいう「シュール」というものです。

 とは言え、当然ながら言葉に全く意味を求めていないかと言うとそんなことはなく、序盤は愛さんがキチンとツッコミとしての役割を果たしています。

 また、「餅」をダジャレのように用いて曲に接続するところも言葉の意味を重視したところだと思われます。もっとも、主に楽曲へ接続することを主な目的で「餅」という言葉が使われるという、やや独特な用法ではありますが。

9.キュウ  ――数秒間の想像のための言葉選び

 キュウが披露したのは全然違うとされるふたつの単語から似ているところを見出したり見出さなかったりするネタでした。

 ふたつの単語が全く違うのか、どこかが似てるのか。それをどう判断していくかがこのネタの醍醐味となっています。

 しかし、よくよく考えれば共通点なんて見つけようと思えばいくらでも見つけられますし、相違点もまた同様です。では、彼らはそれをどうやって区別していたのでしょうか。

 まず、ネタ中に「全然違う」とされた組み合わせを抜粋します。

リンゴとズボン
東京とマグロ
自転車とヒラメ
アメリカとウニ

 続いて、共通点を指摘された組み合わせを抜粋します。共通点とされたものも併記してみました。

生ガキとドッジボール(どちらも「たまにあたる」)
10円玉とキャビア(どちらも「こうか」)
青じそとオオバ(どちらも「全く一緒」)
ぼたもちとおはぎ(どちらも「全く一緒」)
おにぎりとおむすび(どちらも「全く一緒」)
サケとしゃけ(どちらも「全く一緒」)
ラーメンと中華そば(どちらも「全く一緒」)
ステーキとカニ(どちらも「うまい」)

 「全く一緒」はともかく、要は謎かけだということが分かります。「全く一緒」とされたものと「ステーキとカニ」を除けば、パッと見は「全然違う」とされた組み合わせと実はそこまで差が見られないことが分かります。すぐに察知されないような共通点を言うのが「謎かけ」の肝であるため、「謎かけ」が上手であればあるほど、ふたつの単語の共通点が分かりづらく、場合によっては全然違って見えるわけです。

 ただ、「全然違う」とされた単語はあてずっぽうに選んだものではないでしょう。ステーキとカニのように簡単に共通点が見出せる組み合わせは当然避けています。少なくとも、ネタ中の数秒間だけは観客に「全然違う」と思わせなければいけない。リンゴとズボンは文字数が一緒ですが、観客がふたつのものを想像させた上で共通点がなければいいので、「全然違う」組み合わせにして問題ないと判断したのでしょう。恥ずかしながら私もこうやって文字に起こすまでは文字数が一緒だと気づかなかったので、その判断は正しいと思います。

10.ウエストランド  ――毒舌を成立させるための繊細な表現調整

 皆さんご存じの通り、ウエストランドは2本ともあるなしクイズをベースに全方向へ様々な悪口を言うネタでした。

 誰かを悪く言う、いわゆる毒舌はその性質ゆえに、腹をくくって言う必要があることに加え、言い過ぎないよううまく調節する必要があるわけです。言い過ぎてしまうと単なる悪口や批判となってしまい、笑いづらくなってしまうのが主な理由です。

 ウエストランドは当然ながら腹をくくって挑んだでしょうけれども、言い過ぎないように表現を調整している面も随所に見受けられます。

 以下は1本目の中盤からの抜粋です。

河本「じゃあYouTuberにはあるけどタレントにはない」
井口「『YouTuberにはあるけどタレントにはない』。はい分かりました」
河本「じゃあどうぞ」
井口「やっぱりウザい」
河本「そんなことない」
井口「結局ウザい」
河本「そんなことない」
井口「さすがにウザい」
河本「違います」
井口「なんか出てきた時には『いけすかない連中だなー』みたいになって数年経って『これはこれで認めなきゃなー』みたいな風潮あるけどやっぱりウザい」
河本「そんなことない」
井口「さすがみ見てられない」
河本「そんなことない」
井口「再生数に取りつかれておかしくなってる」
河本「そんなことない」
井口「若くして大金を持ってるからまともではない」
河本「そんなことない」
井口「それが明るみに出始めている」
河本「そんなことない」
井口「警察に捕まり始めている。あ、警察に捕まり始めている!」

 主な注目点は3つです。まずは河本さんによって繰り返されるフォローです。何度もそんなことないと言う。単純ではありますが、大切な役割を果たしています。

 続いて「やっぱりウザい」「結局ウザい」「さすがにウザい」の畳み込みです。ただウザいを連呼するわけではなく、ちょっとずつ言葉を変えていくことで単調さを防ぐとともに、「ネタで言ってる感」が出てきます。基本的にネタをネタっぽく言うのはあざとい表現になり笑いづらくなるものですが、毒舌の場合はその性質上、ネタであることにより笑いやすくなる場合もあると考えられます。

 そして、最後は「警察に捕まり始めている」です。「みんなそのうち警察に捕まる」でも「警察に捕まっている人もいる」でもないんです。「もう警察に捕まっている人もいるし、これからもどうなるか分からない」という含みを持たせた表現でありながら、「みんな警察に捕まる」という乱暴な断定でもない。攻めはするけど言い過ぎはしない。そんなギリギリを狙った末に出てきた表現なのだと推測されます。

 「あ」とつけて自然な感じを出しているのも笑いに一役買っています。こちらの場合は表現が絶妙なため、自然な感じを出したほうがかえって笑いやすいと判断されたのだと思います。このような微妙な匙加減の塊がウエストランドのネタとなっています。

 続けて、1本目のネタからもう1箇所抜粋します。

河本「じゃあスポーツ観戦にはあるけどお笑い観覧にはない」
井口「はい。これは本当に分かりました」
河本「じゃあどうぞ」
井口「正解は『分析』。なぜならスポーツは分析するのも楽しいけど、お笑いに分析は必要ないから、正解は『分析』」
河本「あー。残念、違います」
井口「そうか、ネタの分析とかしてくるウザいお笑いファンとかいるかー。やめてくれー。やめてくれー。おーい、現在進行形やめてくれー」

 ウエストランドは基本的に言葉で笑わせるタイプの漫才なので動きは少なめですが、必要とあれば最大限の効果が出るように用いていまして、顕著なのがこの部分です。「やめてくれー」とカメラに向かって懇願するように手を伸ばす。これだけで、お笑いを分析して時にいろいろ書く私のような人に向けて訴えているということがしっかり説明できています。ちょっとした動きなんですが、非常に効果的です。

 セリフとしては「やめろ」と言うこともできたはずが、「やめてくれー」と懇願する形にするのも、乱暴になりきらない絶妙な表現となっています。また、スポーツ「観戦」とお笑い「観覧」など、キチンとした表現の使い分けがなされているのも、セリフの細かいところまで気を遣っているからこそなせる業だと思われます。

 最後に2本目の序盤から抜粋します。

河本「オリジナルのあるなしクイズ考えてきたんですけど、やります?」
井口「おおー、たまたま大好きなんで」
河本「そうですか」
井口「ちょっと出してもらっていいですか」
河本「まずね、アイドルにはあるけど役者にはない」
井口「『アイドルにはあるけど役者にはない』。はい、分かりました」
河本「まだ1個目……」
井口「1個目でも分かるから!」

 ウエストランドは1本目と2本目の間がほとんどなかった点が功を奏したのではないかという意見をチラホラ確認しましたけれども、ウエストランド自身もその状況を活かしたセリフへ当たり前のように変更していることが見て取れます。余計な説明がなくても大丈夫だと判断し、観客がちゃんと察してもらえるような表現でネタを開始する。序盤のこのやり取りが勝利に少なからず貢献したのではないでしょうか。

 今回の感想は以上になります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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