【OWLオムニバス】わたしが見た最高のダービー
みなさま、こんにちは。
登山とサッカーと変なものを愛する(『すたすたぐるぐる 信州編』著者紹介より)Harakoです。
今月からオムニバス担当となりました。
どうぞよろしくお願いします。
24日の発売まで残すところ数日となった信州編。
ご注文お待ちしております!
買った買った!
信州といえば2週連続で信州ダービーが開催され、Jリーグ界隈が盛り上がっていますね。
というわけで、今月のオムニバス記事のテーマは「ダービー」です。
何らかの共通点をもつチーム同士の対戦をさす、この言葉。
国内では信州ダービーのほかに、さいたまダービー、東京ダービー、福岡ダービー、あす開催の大阪ダービーなど。海外ならスペインのエル・クラシコ、イングランドのマンチェスターダービー……と、たくさんの有名ダービーがあります。
サッカーをこよなく愛するOWL magazine執筆陣も、それぞれ思い入れのあるダービーマッチの観戦体験をもっています。
興奮さめやらぬ信州ダービー振り返りから、煙が立ち込め座席が宙を舞う東欧のダービー現地観戦記まで。盛りだくさんの5本が集まりました。
記事をまとめて感じたのは、ダービーとは戦いである。これに尽きます。ぜひみなさんも、血湧き肉躍るダービーの世界を味わってみてください。
「ダービー記事のダービー」、いざキックオフ!
"King of 信州"の決戦(薄荷)
長野Uスタジアム。いちばん近くて、いちばん遠いアウェイ。
天皇杯の出場権を勝ち取ったからといって油断はできない。兜の緒を締める代わりに緑色のタオマフを襟巻きにして、橙色のポスターが連なる街並みを往く。
“信州ダービー”。
サッカーファンだけではない。この信州に暮らす、普段はサッカーに興味など示さないような人々でさえ、その勝敗を気にかけ、ローカルニュースに関心を寄せる。
仲が悪い、と揶揄される私たち。普段は別にそんなことはない。しかし、ひとたび勝負事となれば、互いに目の色が変わる。
「あいつらに、信州代表なんて顔はさせない」
長野県、ではない。信州だ。もはやこれは、ただのサッカーではない。
戦なのだ。どちらがこの信濃国の覇者たるか、その威信を賭けた戦いなのである。
2022年5月15日 明治安田生命J3リーグ第9節 AC長野パルセイロ vs 松本山雅FC
Jリーグ初対決。日本で唯一の、本物のダービーと謳われるその日。当事者、あるいは目撃者たるべく詰めかけた観客は、J3にして驚異の13244人を数えた。
Uスタは、確かに素晴らしいスタジアムだ。しかし、最寄である篠ノ井駅までは徒歩45分、終電は23時。Suicaすら使えない、平凡な田舎である。
現地に足を運ばずとも、DAZNでこの試合を観た人々も大勢いるだろう。まさしく日本中のサッカーファンが、我々の戦いに注目しているのを肌身で感じる。ゴール裏の最前列に立ち、私は開戦の狼煙を、いや、ホイッスルを待った。
J3リーグだろうと、天皇杯だろうと、カテゴリが何であろうと、思うことは同じ。その相手に、決して負けてはならない。
数多のフラッグが翻り、響き渡る手拍子。
スタジアムに渦巻く、熱、熱、熱。
染め上げられた観客席の、なんと壮観なことよ!
まるでコロナ禍以前のような光景に、胸が熱くて視界が滲む。「日常が戻ってきた」と、つぶやく人もいた。
白熱した90分あまりの結果はスコアレスドロー。勝ち点1を分け合い、負けはしなかった。
が、しかし、負けに等しいほど悔しい!!
なんだ、この感情は! 昨年J2に残留できなかった時と同じくらい、いや、もしかしたら、それ以上に悔しい!!
ぐったりと疲れた身体を引きずって、松本への帰路に着く。ああ、勝ちたかった。立ちっぱなしだった足が重い。勝ちたかった。叩き通した手のひらが痛い。勝ちたかった!勝っていたら、こんな疲労くらい何でもないのに。
次は、絶対に、勝つ!!
こんな気持ちになれるのは、サッカーファンとして、とても幸福なことなのだろう。当事者として、この熱い戦場に立てる喜びを噛み締めて、今はそれで良しとしよう。
しかし、忘れてはいけない。私たちがなぜ「本物のダービー」と呼ばれるのかを。
10月30日、全緑に染まったサンプロアルウィンで迎え討つ。その日がもう、今から楽しみでならない。
オレンジと紺にさいたまを染め上げろ!(大宮けん)
「今日はボーナスゲームだからな」
氷川参道を歩いていると、背後から楽しげな会話が聞こえてくる。
振り返ると、声の主は男性数人のグループ。全員が赤い服を身に纏っていた。
ぼくも彼らもきっと目的地は同じだろう。今日は2017年4月30日。NACKでさいたまダービーが行われる日だ。
彼らの声が弾むのも無理はない。アウェイチームの浦和レッズは、1試合平均3得点という圧倒的な攻撃力を武器に、首位をひた走っていた。
一方で我らが大宮アルディージャは、クラブワースト記録となる開幕8戦未勝利。得点2に対して失点が17。勝ち点は昇格組の清水エスパルスと引き分けた1ポイントのみで、順位は言うまでもなく最下位という惨状であった。
特にダービーの一つ前の試合となったガンバ大阪戦は、守備が完全に崩壊し0-6という歴史的大敗。ぼくも初めてのパナソニックスタジアム吹田を満喫しようとはるばる大阪まで足を運んでいたが、とんでもない試合を目の当たりにする羽目になってしまった。
光と影のコントラストの中で迎えたさいたまダービー。敵地大宮へと乗り込んでくるレッズサポーターの多くは、きっと氷川参道の彼らと同じように思っていたことだろう。
しかし、迎え撃つわれわれアルディージャサポーターは全く違った。まばゆいほどに対照的なチーム状況。客観的に見れば、アルディージャが勝利する可能性は限りなく低い。サッカーくじtotoでアルディージャが勝つと予想した人は、わずか7%だったという。内閣支持率なら即刻辞職ものだ。
しかし、今日はダービーマッチだ。普段のリーグ戦とは持っている意味合いが全く異なる。順位がどうだとか、戦力差がどうだとか、監督の戦術がどうだとか、もっともらしい分析はことダービーマッチにおいてはあまり役に立たない。
数字では決して評価することができない部分にこそ、ダービーマッチを制する秘訣が宿っているとぼくは思っている。
大宮と浦和の地域対立については、以前OWL magazineに寄稿させていただいたこちらの記事に詳しいので、背景をご存じないという方は是非こちらもお読みいただきたい。
最近は全国各地でさまざまなダービーマッチが行われているが、地域対立に基づいた本来の意味でのダービーマッチと呼べるものは、実は数えるほどしかない。ぼくの知る限りでは、アルディージャとレッズによるさいたまダービーと、AC長野パルセイロと松本山雅FCによる信州ダービーくらいのものだ。
本物のダービーの特徴は、普段はサッカーを見ない地域住民をも巻き込める点ではないだろうか。サッカーという競技自体に関心は無くても、大宮が浦和と戦うとなれば応援せずにはいられないという人は少なくない。
ぼくの祖父母もサッカーにはあまり関心が無かったが、浦和戦のときだけは必ず結果を聞いてきた。
買い物に行っても食事に行っても、そごうも高島屋も今は無き中央デパートも街中がダービー一色になるので、気にしないわけにはいかなくなるのだ。
ぼくの周りにも、ダービーがきっかけとなってサッカーに関心を持ったという人が少なからずいる。これは地域対立に基づかない紛い物のダービーマッチではほとんど起こり得ないことだ。
話を試合に移そう。
圧倒的な攻撃力を誇るレッズに対して、球際の強さやハードワークでなんとか耐えるアルディージャ。完全に主導権は握られながらも、前半をスコアレスで折り返す。
ぼくはハーフタイムの時点で確信していた。
今日は勝てる!
前の週に大阪で見た情けないチームとは全く違う、勇敢で頼もしいオレンジ色の選手たち。ひとつひとつのプレーに大歓声を送るゴール裏、メインスタンド、バックスタンド。
これこそが、数字で表せない「何か」なのだ。Jリーグ随一の迫力を誇るレッズのウルトラスの声がほとんど聞こえないほどに、スタジアムはアルディージャ一色に染まっていた。
後半18分、このシーズンに柏レイソルから加入した茨田陽生選手のゴールが決まり、ついにアルディージャが一歩前に出る。
その後もレッズの猛攻は続いたが、身体を張ったプレーで虎の子の一点を守り抜き、アルディージャが見事に勝利。シーズン初勝利をさいたまダービーで、首位のレッズ相手に飾るという最高の結果となった。
たしかにサポーターの数はレッズには敵わないかもしれないし、クラブの規模もレッズに比べるとまだまだ小さい。そもそも今はカテゴリーすら違っていて、かれこれ5年もの間ダービーマッチも実現していない。
しかし、あの日のさいたまは確かにオレンジと紺に染め上げられていた。スタジアムからの帰り道、ぼくは大宮の住民であることが誇らしくて仕方なかった。
大宮
浦和ぶちのめせ
オレンジと紺に
さいたまを染め上げろ
アルディージャには、さいたまダービーのときにしか歌わない限定のチャントがある。
「なんでレッズがあるのにアルディージャなんて応援するの?」
「埼玉ってことはレッズを応援してるのね!」
いずれも何回も言われたことがある。今はまだだいぶ赤みがかったオレンジかもしれない。しかし、いつの日かきっとさいたまがオレンジと紺に染め上げられる日が来るとぼくは信じている。
あの日のさいたまが、そうであったように。
世界一危険で、世界一醜い試合(キャプテンさかまき)
今から10年くらい前に、「ヨーロッパで最も危険なダービー」というものを見に行ったことがある。結論から言えば、もう二度と訪れることはないだろう。この試合は私にとって、あまりにもセンセーショナルな一戦だった。
セルビアの首都、ベオグラードには2つのチームがある。一つがツルヴェナ・ズヴィズダこと、ベオグラード・レッドスター。ストイコビッチがかつて所属し、トヨタカップを制しクラブ世界一の称号を得たこともある名門クラブだ。そしてもう一つのチームがパルチザン。少し前まで日本代表の浅野拓磨がプレーしていたチームだ。この2チームによるダービーマッチは、毎回負傷者や逮捕者が出るほど激しい試合になる。
ゴールデンウィークを利用して旅に出た私は、ベオグラードに宿泊したその日にサッカーの試合があると知った。しかも、聞くところによればダービーマッチらしい。本場ヨーロッパのダービーマッチ。なかなか見ることができないであろう試合に興奮を隠しきれなかった。
しかし、夕方の試合開始が近づくにつれ、街は物々しい雰囲気に包まれていく。街には馬に乗った警官が目を光らせている。何か事件でもあったのかと街行く人に尋ねると、「ダービーさ」と迷惑そうに答えられた。
スタジアムへ向かうため、赤白のユニフォームを身にまとった人の流れに沿って歩いていく。人の数はどんどんと増えていき、車優先のはずの道路は車道まで人で溢れ、さながら歩行者天国のようだ。遠くにスタジアムが見えてきた頃には、雑踏と応援歌の混じったノイズが大きくなる。
スタジアムの周辺までたどり着くと、そこはさながら暴動だ。そこらじゅうで応援歌の合唱が響く。試合前の緊迫感というよりは、一触即発のような緊張感が張り詰めている。アジア人だというだけで絡まれるかもしれない。カメラを向けるのも躊躇った。先程までの興奮はどこへやら、すっかりと醒め、身の危険からくる恐怖の方が勝っていた。
サッカーの試合とは、これほど怖いものだったのか?
それでも、せっかくここまで来たからには試合が見たい。チケット売り場に並んでいると、横にいた親切なレッドスターサポーターが「メインスタンドのチケットがいい、ゴール裏は本当に危険だ」と教えてくれた。私が日本人だと知ると、「ストイコビッチを知っているか?」と尋ねられた。逆に、私の応援するチームにかつてレッドスターで活躍した選手がいると言うと「ムルジャ!彼は素晴らしいストライカーだ!今は日本にいるのか」と巻き舌で捲し立ててきた。凶暴そうな人だけでなく、こうした善良なサポーターもいるのだと肌で感じ少しだけ胸を撫で下ろした。しかし、今思えばホッとした瞬間はこの時だけだった。
入念な荷物検査を経てスタジアムへと入ると、そこには本当の危険が待ち構えていた。私がいたメインスタンドの対岸、バックスタンドで暴徒と化したサポーター達が暴れているのだ。それも、座席を力任せに外しては警官隊に投げつけているではないか。そして私が目を白黒させている間も無く、スタジアムに雪崩れ込んできた警官隊がサポーターを捕まえていく。
なんなんだこれは。
これがサッカー場の風景なのか?
そもそも、ヤツらは誰と戦っているんだ??
後で聞いた話によれば、その日だけで数十人の「サポーター」が逮捕されたそうだ。
試合が始まると、地鳴りのように鳴り響く応援歌に混じって、ゴール裏からは爆発音が聞こえる。さらに、閃光発とともに煙筒が燃え盛り、真っ赤な煙がスタンドを覆っていく。これが、俗にいうフーリガンなのだろうか。
ゴール裏が騒がしくなるたびに、試合はその都度中断される。試合どころではない。もうめちゃくちゃだ、早く帰りたい。試合の内容はほとんど覚えていない。
ピッチ外の激しさと裏腹に、試合は単調なスコアレスドローに終わったそうだ。伝聞調なのは、試合終了も待たずにスタジアムを後にしたからだ。試合がどんな結末で終わろうと、試合後はきっと暴徒たちが醜く暴れ回るだけだろう。
スタジアムの外は、うって変わって全くの静寂だった。あまりにも静かで寂しくて、足早に宿へと戻ったことだけが記憶に残っている。
サッカーとは素晴らしいものだと信じている。しかし、時として途轍もないほどに醜いものにも成り下がる。それを目の当たりにできたことだけが、今でも鮮明だ。
中学生ぼく、セリエA黄金期のローマ・ダービーで「現実」を知る(斉尾俊和)
ダービーって、こんな残酷なことが起きるんだ。
ダービーって、テレビ越しでもこんな殺気が伝わってくるんだ。
こんなことを学んだのは、かつての世界最高峰リーグ、セリエAでした。1999-2000シーズン第10節、ASローマ対ラツィオ。中学生で多感な思春期を過ごしていた頃のぼくは、ローマ・ダービーでとっても厳しい現実を知ることになります。
1999年、世はセリエA黄金時代。ジネディーヌ・ジダンやロナウド、ガブリエル・バティストゥータといったスター選手が各チームに所属し、特にユベントス、インテル、ACミラン、ASローマ、ラツィオ、パルマ、フィオレンティーナの7クラブはあまりに強すぎて「セブンシスターズ」なんて中二心を刺激されるようなネーミングでカテゴライズされるほど。
ここに極東の地・日本から単身殴り込んだ中田英寿がペルージャでセンセーショナルな活躍を見せ、サッカー少年のぼくは否応なくセリエAに注目することになりました。
当時、セリエAを追う手段はフジテレビが深夜に放映するペルージャ戦の生中継やハイライトを見るか、高いお金を払ってWOWOWやスカパー!などの衛星放送を契約するかの2択になります。当初は中田のペルージャだけを追っていた斉尾少年ですが、イタリアの覇権に手をかけていたラツィオに目が移るようになります。
長短織り交ぜたパスで中盤をオーガナイズするスキンヘッドの強面ファン・セバスティアン・ベロン。
センターバックなのに必殺のフリーキックを左足から繰り出す襟立ておじさんシニシャ・ミハイロビッチ。
角刈りでただひたすらピッチを縦横無尽に駆けて最後に殺人ミドルを突き刺すパベル・ネドベド。
サラサラヘアーを揺らし、相手の攻撃をシャットアウトする守備職人のバンディエラ、アレッサンドロ・ネスタ。
決して派手なファンタジスタはいませんでしたが、いぶし銀の仕事人が大渋滞のバーゲンセールで、ほぼ無敵と言える強さを誇っていました。
そして、99-00シーズンが始まり、9節まで6勝2分と首位を快走していたラツィオ。どうしても、フルで試合が見たい……。ゲームをねだる駄々っ子のようなムーブを見せた斉尾少年は、スカパー!を契約してもらうことに成功。晴れて、ローマ・ダービーの生中継を見る環境をゲットします。これで、いぶし銀ラツィオの勝利の瞬間が見れる……。
第10節のローマ・ダービーはASローマホーム。スタンドに詰めかけた臙脂色のサポーターは画面越しにでも伝わるくらい殺気に溢れていて、発煙筒はモクモクしていて、試合前には爆竹がそこかしこで破裂音を響かせています。同じ街のライバルチームには意地でも負けるか、ぶっ殺すぞこの野郎というローマサポーターの狂気が伝わってきます。
え、やばい怖い……ダービーって、こんな殺伐とした決戦の場なんだ……戦争じゃねえか!
こんな狂気じみた光景を試合前に味わったぼくですが、ラツィオの選手も気圧されていたようです。
イケイケドンドンぶっ殺すぞこの野郎の大観衆に煽られたフランチェスコ・トッティやらマルコ・デルヴェッキオやらが前半30分までに4点を先制。見事、首位を走っていたラツィオに初めて土をつけることになりました。
ぼくのダービーデビューはセリエA黄金時代のローマ・ダービー。必ずしも強いチームが勝つのではなく、勝利に飢えるチームが勝つというサッカーにおける鉄則を味わった「最高のダービー」でした。
永遠の都が生んだ千両役者(つじー)
カルチョの郷、イタリアの地には、いくつものダービーがあります。
ACミランとインテルのミラノダービー、ユベントスとトリノのトリノダービー、サンプドリアとジェノアのジェノバダービーなどです。
その中で今回取り上げるのは、ASローマとラツィオのローマダービー(デルビー・ディ・ローマ)です。ローマが首都であることから、デルビ・デッレ・カピターレとも呼ばれます。
両クラブは、ホームタウンのみならず、ホームスタジアムも同じオリンピコ・ディ・ローマを拠点としています。
ローマダービーには、「市民クラブvs競技者集団」という構図がみられます。「市民クラブ」とはASローマ、「競技者集団」とはラツィオのことです。
ラツィオは、1900年に元短距離ランナーのルイジ・ビジャレッリを中心にスポーツクラブとして作られました。チームカラーの空色は、古代オリンピックの母国ギリシャの国旗の色を表しています。
このような成り立ちから、ラツィアーレ(ラツィオサポーター)は、競技者集団としての誇りを自認しているのです。
その誇りは1927年、ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権がサッカークラブ同士を統合させようとしたのに、断固反対したことからもうかがえます。
その際に、ラツィオ以外の3クラブが統合してASローマが誕生しました。ASローマは、ローマ市伝統の臙脂色をクラブカラーとしています。つまり、市民クラブとしてのアイデンティティを強調しているのです。
前置きが長くなりました。
古今東西、どこのダービーにおいても、千両役者はつきものです。
過去190試合相当の対戦があるローマダービーの中で、一番印象に残っているのが、2015年1月11日の試合です。
ローマの主将であるフランチェスコ・トッティが、華麗なジャンピングボレーを叩き込み、2-2の同点に追いつきます。
ゴールを決めた彼は、そのままロマニスタ(ASローマサポーター)が集まるクルバ・スッド(南ゴール裏)に走っていきます。そして、どこからかスマホを取り出して、ゴール裏のロマニスタを背景に自撮りをしたのです。
ローマで生まれ、ローマで育ち、ローマでプロ選手になったトッティ。
試合後、他のクラブのサポからは「たかがダービーで調子に乗る。なんのタイトルも取れないローマの象徴だ」と揶揄されたそうです。
しかし、ロマニスタを誰よりも大事にするローマのバンディエラ(旗印)の誠実かつ熱い姿勢がこの1シーンに詰まっているような気がします。
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OWL magazine 旅とサッカーを紡ぐWeb雑誌
サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…