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「編みかえ」のお話

 こんにちは、owarimao です。レース編みをしながら編物・手芸関連のことをいろいろ書いております。
 突然ですが皆さんは「編みかえ」ってしたことありますか? 私は一度だけあります。
 「編みかえ」(編み直し、編み返し)とは、一度編んだセーターなどをほどいてまた別のものを編むことです。昭和30年代の編物全盛期には、日本中でごく普通に行われていました。 
 作家・群ようこ(1954〜)さんの次のような著書に、そのことが書かれています。

1986(昭和61) 初版

 かつては手編みというと実用品の最たるものでした。毛糸は編み直しがききますから、編んではほどき、ほどいては編む、そうやって何度も繰り回して着たものです。成長期の子供を持つ親にとっては、とても経済的な衣類だったのです。(…)
 一年目は無地のものを着ているんですが、二年目になると同じセーターに縞が入っている。背丈がのびて着丈や袖が短くなったので、そのぶん別の糸を足して横縞を入れてあるんです。そのうえ子供は運動量が多いから、ひじなんかがすぐ抜けて、地が薄くなってしまう。昔は糸の質もいいとはいえなかったから、弱くなった部分をほどいて、新たに糸を足して編んだりもした。(…)
 わたしの家の場合は、まず母が父のカーディガンを編むんです。やがてそれを着なくなるとこちらにお下がりが来る。(…)
 毛糸というのは何度も編みかえしているうちに、やせて細くなっていきます。子供だからおしょうゆのシミなんか付けて、汚れもひどい。いよいよそうなると、今度は下着代わりに着るチョッキになるのです。
 「着たくない」と言うと、しかたないから刺しゅうをしたりしてくれるんです。(…)そして最後の最後が毛糸のパンツ。(…)ほんとうに、昔は毛糸を使い倒したというか着倒したというか、もう完全にダメになるまで、とことん利用していました。

『群ようこ[編み物]術・毛糸に恋した』1986

 群さんは昭和29年、東京小石川のお生まれです。おうちは特に貧しくはなかったようですが、それでもここまで徹底して経済的な衣生活をされていたわけです。
 本当にこんなことをどこの家でもしていたの? と感じる方もあるかもしれません。群さんのお母さんが特別マメな人だっただけじゃないかと。
 でもそうではなくて、本当にやっていたんだとわかるような広告をお目にかけましょう。

刊行年不明(昭和39年以降)

ダイヤモンド毛糸は編みかえしがききます

毛糸の広告

 この薄い本はシリーズ物の一部で刊行年の記載がないのですが、昭和39年以降のものであることは確実です。広告におなじみの「ウールマーク」がついているからです。このマークは1964(昭和39)年に制定されました。
 「編みかえしがきく」と堂々と謳っていることから、それがごく一般的に行われていたのがわかります。
 日本にもわりと最近までこういう文化があったことを、私たちは記憶しておいたほうがいいのかなと思います。
 群ようこさんが9歳だった昭和39年のことは、「エミーグランデ新発売の年」として前にも書きました。同じ年にこんな本(雑誌付録)も出ています。

講談社、1964(昭和39)年

 この本の中に、次のような面白い広告が出ています。

素材が悪ければ編みかえても同じことです

毛あしの長いトーア毛糸は腰がつよく、型くずれの心配がありません。
★何回、編みかえしても大丈夫…それが証明

毛糸の広告

 この頃の編物本には、今はない国産毛糸メーカーの広告がよく載っています。「素材が悪ければ」という言葉がありますが、実際に質の低い毛糸も多かったのでしょう。
 同じ本に載っている広告をもう2点ごらんください。裏表紙は掃除機です。

 上は明白にオリンピックを意識した広告。第1回東京オリンピックはこの年の10月10日に開幕しました。この本が出たのは10月1日、まさに直前です。日本が沸き立っていたのがわかります。
 群さんは次のようにもお書きになっています。

 昔は毛糸といったら中細のカセになったものくらいでした。あの当時のわたしたちは、せいぜい20色くらいの中細毛糸の世界で生きていたといってもいいのではないかしら。化学染料で染めたものでも「ワー、きれい」と、新鮮な感動がありました。
 今はシーズンごとに次から次へと新しい糸が出回って、ほどいて編み直すことなどめったにしなくなりましたね。

 上の文章が書かれたのは昭和の終わり頃です。日本はぐんぐん経済成長をとげ、あらゆる糸が豊富に手に入るようになりました。その裏には、失われたものもあったわけです。


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