MAJOR
竹下幸之介選手。
最初に見たというか、知ったのは、テレビでだった。
大阪プロレスのプロレス教室みたいなところで、竹下少年が小学生だったか中学生時代に練習してるのをテレビの特集でやっていた。
それが、ボンヤリだったが覚えていた。
(すごい子がいるんだなぁ)って。
当時の僕は、ホテルに勤務していて、土日祝は忙しいんで休めなかったんです。
だから、よく大阪プロレスの『平日プロレス』に行っていた。
大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナ。
淡路島から大阪へ。
バスと電車を乗り継いで。
三試合だけですけど、程よい空間で好きだったんです。
その場所で、この子は学校行きながらプロ目指してるんだなぁと思って、お父さん心で見ていた。
僕は、今月で51歳。
アパー!!(涙)
で、デビューしたのを記事やサムライTVで知った。
(夢 叶ったんだ!)と喜びを感じたのを覚えてる。
で、そこからボンヤリ層だ。
印象は(なんでもできる選手)だった。
それだけ、感性がある証拠なのだけれど。
だが、『竹下幸之介』に興味を湧いたのが、青木真也選手との試合だった。
この二日前、僕は青木真也選手の応援に新木場の会場に来ていた。
で、全試合終了後のマイクを竹下選手がされていた。
僕は終わるのを待って、竹下選手にご挨拶した。
「カシン!」
僕は、ケンドー・カシン選手のシャツを着ていたのだ。
「すいません、僕 昔に大阪のテレビで、ナイトスクープだったかで、竹下選手が大阪プロレスの学校で練習されてる特集見たんですが・・・」
「ten.でしょう!」
そうだ!
謎が解けた!!
「博多での青木選手戦、頑張ってください!」
「ありがとうございます!」
と、言って、握手してもらって控室に帰られた。
デカかった。
デカい手だった。
今はもっと大きいんでしょうけど。
(プロレスラーだ!)と、思った。
それが本当に、嬉しかった。
それから、やはり青木真也選手と素晴らしい試合をした。
この試合、竹下選手は『裸足』で闘われた。
(信念を持ってられるんだ!)
すごく嬉しかったし、シビれたのだ。
コメントで出てくるキーワードは『闘魂』だ。
お父様の英才教育も素晴らしい。
俄然、竹下選手に興味を持った。
竹下選手も、レスラーとしての矜持を持ってると確信したのだ。
青木選手を追いかけていたら、竹下選手も大好きになった。
青木選手と一度だけのタッグも、夜行バスで行った。
良い連携だったんですよ。
ダブル・インパクトの態勢になった時は、興奮しましたね。
その大会で、闘魂ポーズで記念撮影していただいたのは良い思い出です。
竹下選手でのシングルでは、やっぱり青木選手との一戦ですが、潮崎選手との試合も忘れられない。
セミでアクシデントがあって、重い空気の中でメイン。
しっかりと潮崎選手に勝った、竹下選手が素晴らしかった。
青木選手と対戦の時は、シングルやタッグでも観戦させていただいている。
それだけ、僕の中では大きいのだ。
闘いを通じて、認め合った二人。
青木選手は言う。
竹下選手を『知の巨人』と。
今年でデビュー10周年。
おめでとうございます。
まだまだ、歴の浅いファンですが応援しています。
これからも、素晴らしい試合をみせてください。
その前に、大一番。
頑張ってほしい。
新日本プロレスに行けとか書かれてる時もあるが、関係ない。
誇って欲しい。
貴方がいれば、その場所が『メジャー』なのですから。
これからも、貴方を応援する。
それが、僕の矜持なのだ。
難も苦も、貴方は チカラに変えられるだろう。
街から町へと、旅をされ。
日々、闘われてるのだから。
1995年5月29日、大阪に生まれし ひとりの男の子。
選ばれし者。
竹下幸之介。
彼は『プロレスラー』なのだ。
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