醒めない〜ラグビー大陸の物語


まだまだコロナ禍が落ち着かない日本、世界。経済か感染予防か、未だ終息の目処が立たない中、8月に入った。今回は自分自身が経験したここ数ヶ月の「危機」の備忘録として、いろいろと感じたことを書き残したい。


1. 完全に油断していたなかでの「宣告」

緊急事態宣言が発出された2020年4月7日、所属チームから契約更新がないことを通告された。その3日後にチーム内での簡単な挨拶を済ませ、スタッフや選手達とじっくり話す間もなく7年間お世話になったチームから去った。それから3ヶ月余り。職探しと論文と、少しの家事で気を紛らわせた時間は、コロナよりも仕事探しの不安のほうが遙かに大きかった。

5月の連休を終わったくらいから不安は更に徐々に強まった。日々落ち着かない毎日、ネットで求職情報を検索。世間がコロナで不安になっていたなか、自分は職探しに悶々と過ごしていた。就職活動は総力戦で進めるしかなかった。知り合いに連絡し興味があるチームがあるか聞いてもらう。自分でも直接チームを探す、チーム以外のスポーツ関係の仕事を探す。本当は一つの方法で探すのが良いのかもしれないが、失業の時期が迫っていたので悠長なことは言ってられなかった。返事を待つ時間が永遠に感じたし、毎日一喜一憂した。

失職したあとの6月も仕事は決まらず職探しは続いた。かといって履歴書を出しまくるとか面接するといった具体的な活動が行われるわけでもなく、ひたすら返事待ち。一日何度も何度もメールをチェックした。今日こそ返事が来るだろう、今日こそ返事が来るだろうと。そういう中で同時並行で役所で国民健康保険加入の手続きを行う。国民健康保険自体に何も非はないのだが、契約が更新されていたらやらなくてもよかった手続きをやる自分が敗者になったような気持ちだった。

しかしその時感じていたのは、確かに日々苦しかったけども、悪い時は悪いことが続くもので、何か一つ事態が好転すればきっといろいろと良くなるだろうと思っていた。決して今の境遇を卑屈に考えるのでなく、ポジティブに捉えようと心がけた。

捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、6月の中旬、大きな課題だった研究論文の進捗が一つの形になりはじめた。職探しと同じくらい苦労し不安だったので、かなりホッとした。そして向かった近所の神社で引いたおみくじが大吉だったころから少しずつ事態が好転してきたのか、次の活動場所の目処が立った。

この3ヶ月はなかなか苦しかったが、自分の考えを見返す非常に良い時間だった。矢印を外側に向けそうな時期が無かったと言えば嘘になる。けっして完全に納得して退団したわけではない。来季こそと考えていた。しかし、結果が全ての競技スポーツで練習試合を含めて1試合も勝てなかったのだから、その指導陣の一人として来季自分が残れないことに何も反論できない。いっぽう、責任とは、リーダーシップとは、などと考えても解決しない問題を悶々と考えたことも事実である。しかし、そもそもこのような道を選んだ際に「契約終了・更新無し」は必ず訪れることをやはり日頃から自覚しないといけない。不安定な仕事から離れる選択肢はこれまでもそしてこれからも出来ないわけではなかったのだから、自己責任に立ち返り、自分がどうありたいのか、改めて自分がこれまでやってきたこと、これからやっていきたいことを深く考える時間となった。


2. 6つのいろいろ感じたこと(川柳的に)


1) 大企業 できることなら 守られたい

何を思ったか、契約終了が決まった数日後、自家用車購入を決めた。フラッと向かった中古車屋の次の新車販売店。置かれている状況や身分を考えず、見れば欲しくなる。勢いと根拠のない読みで判子を押してしまった。車を選び注文した後は、毎日注文した車のレビューを見たり納車時期をチェックしていた。大げさかもしれないが、暗い日常に灯るかすかな希望だったと思う。いっぽう、実際の車両購入に関しては実に苦戦した。いや自分が甘かった。それまで所属していた企業であれば何の苦労もなく購入手続きが出来ただろう。しかし、失業が決まってる人間ではそうはいかない。これまで自分がどれほど大企業の後ろ盾に守られ、恵まれていたかを思い知らされた。

2) 社会から ニーズがないほど 切ないものなし

それまで大人数でワイワイやっていたのが当たり前だった日常から、誰からも連絡が来ないという寂しさ。聞きたいことがあるんです、お願いしたいことがあるんです、と言われないことがこんなに寂しいものか。挙げ句の果ては、献血に行った際に受けた血液検査で引っかかり、自分自身の血液ですら社会に必要とされないと思った時は快晴の調布駅の空が真っ暗に映った。それは冗談としても、突然のように自分だけ集団から外された苦しさは大きかった。そして、そういう中で唯一関わっていたある小さな会合に呼ばれた時の嬉しさは格別だった。集団にいる、一員であると感じることって大切なんだなと思った。

3) 安定の 振込金額 あってこそ

今まで気楽に好きなことをSNSでつぶやいたり、誰かの投稿を面白ろ楽しく突っ込んでいた。しかし、いざ自分が次の仕事を探さないといけない立場になった途端、そんな余裕は消え去った。SNSでの楽しそうな投稿が自分への嫌がらせなのかという被害妄想に陥ったり、慢性的な不安の日が始まった。改めて毎月決まって報酬・給与が振り込まれることの恵まれぶりを痛感した。徐々に訪れる失職へのカウントダウンと次の仕事が見つからない焦りの日々だった。

4) 返事待つ 来ない今日は 永遠(とわ)に続く

 仕事探しでお世話になった方々に連絡して相談して、返事を待つ。相談を受けた人も事情とタイミングがある。優先順位もあるだろう。しかし、お願いして待っている側は、もしも今日連絡が来ないなら、明日以降もずっと連絡が来ないものだと思ってしまう。先方としては、明日連絡するつもりだったとしても、そんなのこちらは知る由もないから仕方が無い。しつこく返事を催促したら悪印象だろうか、放っておくのも無関心だと思われるかもしれない、頭の中は堂々巡りである。

5) 気に掛けて くれただけでも チカラをもらえる

 そういう不安のなかで、たとえ一言でも、どうなった?と聞いてくれることの嬉しさたるやなかった。話しかけて気に掛けてくれた人たちとの会話でどれだけ救われたか。就職につながることが少なかったとしても、精神的安定にとって非常に大きな効果がある、と身をもって感じた。人によって感じ方はマチマチだろうが、今後もしも職探しに不安に感じている友人がいたら、自分が仕事先を明確に紹介できる見込みが小さかったとしても、機会を見つけて声がけしようと思う。勿論その人の状況を前もって考慮すべきだろうが。

6) 失業者 外見だけでは わからない

 前職との契約が終わった6月1日、外出しても普通に呼吸が出来るし、歩いても大丈夫だった。近所のパンは買えるし、青になれば信号を渡ることができる。つまり結局は自分自身だけの問題であり、見た目には殆ど変わっていない。職を失うことは当事者としてはとても大きなことだと考えるのだが、世間はそれほど変わらない。自分がどう振る舞うか、失業者でもこれまでやってきた仕事に誇りを持ち続けるか、誰かのせいにして卑屈になるか、すべて自分の気の持ちようなんだと、新しい仕事を見つけ安定を取り戻した後に、そう思った。

7) 困っても 家族だけは 常に理解者

 契約終了を聞かされ家族に伝えたあとも、家族はつねに静かに自分を応援してくれた。この道を続けるのか、それとも安定した道を選ぶのか、最後の最後まで悩んみ迷ったのだが、家族は常に賛同者だった。ここで述べるまでもないが、感謝の思いしかない。自分は恵まれているなと思った。


3. これからどうするか

そんなことを感じながら、幸いにも再びラグビーの現場に立てる機会を与えてもらった。2020年8月から新しいチームで引き続き競技現場に立てることになった。入団にあたっては様々な人たちにお世話になった。また気に掛けてくれて連絡をもらい相談に乗っていただいた多くの方々には感謝の思いでいっぱいである。


4. まとめ

本記事のタイトル「醒めない」はスピッツの曲からお借りした。デビューして30年経ってもロックの魅力にとりつかれて醒めないという草野マサムネさんにはとても適わないが、自分もこの数ヶ月の危機のなか、いろいろなことを考えた挙げ句、やっぱりまだ醒めていなかった。決してスムーズに危機を乗り越えたなどとは思っていないし、今後もまた危機は訪れるだろう。でも高校生1年生の春に、コロコロと転がる楕円形の不規則な回転に興味を持ち、身体をぶち当てる激しいスポーツに集う仲間との楽しい日々に、15人が連動して成し遂げる攻撃と防御の駆け引きに、まだまだ心を奪われ醒めないうちは、もう少しこの道を進んでいこうと思う。






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