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神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか④

 過去三回の記事で、神戸高速鉄道設立までの経緯と当時計画されていた南北線の神戸駅への高架乗り入れ案を紹介しました。当時の資料を確認すると下の地図の赤線のように、湊川から神戸駅まで高架線で乗り入れる計画となっていたことがわかります。

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 しかしこの神戸駅への高架乗り入れ案は反対意見が多くあり、結果的に現在の新開地駅への地下鉄での乗り入れで事業が進められます。今回は高架案への反対意見が出た背景と、最終的なルート決定に至るまでの経過を見ていきます。

前回からの続きです。こちらもご覧ください。
神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ①
神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ②
神戸電鉄の終着駅はなぜ新開地なのか ③


高架鉄道は神戸市の市是から外れる?
 神戸市会史によると神戸高速鉄道南北線の神戸駅への高架乗り入れ案に明確な反対意見が出たのは昭和30年、特別委員会での大崎一郎議員の発言でした。

 神戸電鉄が高架で国鉄神戸駅まで乗り入れるという点に私は納得できぬ。というのは、神戸市には郊外電鉄が市内に入る場合はすべからく地下で乗り入れること、高架は絶対に許さないというのが市是になっている。このことは過去の大先輩たちによって示され、今日まで尊重されてきたものである。
-神戸市会史から引用

 そもそも神戸駅への高架での乗り入れについては、神戸高速鉄道計画が具体化する以前、昭和24年に神戸電鉄が湊川-神戸間の敷設免許を取得、高架での乗り入れを目指していました。しかし自社での建設が費用面から困難なこともあり、神戸高速鉄道計画にこの免許を組み込み南北線とすることとしていました。この経緯から、神戸駅への高架乗り入れは既定路線となっていたわけですが、大崎市議はこの計画を"市是"に反するとまで言い修正を求めました。
 確かに阪急が三宮まで高架で乗り入れていますが、この例を除けば神戸の都市部に高架鉄道が乗り入れている例はありません。(国鉄(JR)は高架ですが、この文脈の"郊外電車"には当たらないようです。) 阪急の高架線も三宮付近では国鉄と完全に並走しており、また三宮以西への乗り入れもなかったことから、大崎市議含め一般的な感情では神戸市中心部への高架乗り入れには当たらなかったものと推測できます。

なぜ高架鉄道は許されないのか?
 ではなぜ、神戸市内に高架鉄道を敷設しないことが市是とまで言われるのでしょうか?大崎議員はかつて神戸市の一大事業であった湊川の埋め立てをその理由として述べます。

昔、湊川があって、両側の土堤にあがらなければ兵庫のほうも東のほうも見通せない。これでは神戸市将来の発展を阻害するというので、どれほど莫大なカネがかかろうとも取り除かねばということで、当時の市会で湊川撤去が決定され、明治31年に着工し、明治34年に完工して現在のような新開地本通りの商店街ができ、今日の発展を見ているのであります。
-神戸市会史から引用

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 かつて神戸市を二分していた湊川。明治期に行われた埋め立て工事により、神戸市の東西は地続きとなり、行き来は容易に、また湊川の埋め立て地が商業の中心になりました。
 それから約60年の時が経ち、神戸高速鉄道計画という湊川埋め立て以来の神戸市の交通革命とも呼べるプロジェクトが立ち上がります。しかしこの神戸高速鉄道を高架で建設することは、湊川の埋め立てにより融合された神戸市の東西を再び分断してしまう可能性があったのです。
 このような議会からの反対意見もあり、原口市長は高架での乗り入れ案に対して再考を行うと発言するに至ります。

 神戸市民が、高架は絶対にいけないということであれば、この免許の取り消しそのほか手続きを踏み、乗り入れ方法を審議すべきではないかと考えております。 -神戸市会史から引用

 高架化事業の際に、高架鉄道は地上鉄道に比べると街の分断が避けられるという話がよく出てきます。実際道路交通や徒歩での移動であれば高架鉄道による街の分断はそれほど感じられません。しかし神戸市議会はその高架鉄道でさえも街を分断するものとし、この案に反対をしたわけです。いかに湊川埋め立てという事業の功績を評価していたのか、窺い知ることができます。

神戸駅に地下鉄で乗り入れられるのか?
 街の分断を避けるのであれば、最も効果的なのは地下鉄での乗り入れです。三宮から山陽電車線へと乗り入れる神戸高速鉄道東西線は当初から地下鉄としての建設が予定されていたため、南北線のように街の分断を懸念する声はあがりませんでした。では南北線も神戸駅に地下鉄で乗り入れればこの問題が解決するのではないかと考えられます。

 先ほどの大崎議員が、建設委員会で地下鉄での神戸駅乗り入れを提案したところ、勾配の問題から地下鉄の乗り入れができないとの返答があったと発言をしています。本当にそうなのか検証してみましょう。

 現在の神戸電鉄の湊川駅北側、トンネルに入る箇所の標高は海抜18m、これが東西線の新開地駅の付近では海抜5mになり標高差は13mとなります。次に東西線の下を潜るには地上からどれほどの深さが必要か考えます。正確な資料がないため、あくまで推測となりますが東西線新開地駅の深さが5m、構造体の高さが10mとすると、東西線の新開地駅は海抜0mから-10mに位置することになります。南北線が東西線を潜るにはさらに4mほど必要とした場合、トンネルの入り口から新開地駅までのわずか700mの間に32mの高低差がつくことになり、これは45.7‰という急勾配になります。神戸電鉄は50‰という勾配区間が存在しますが途中に湊川駅を設置することを考えると、東西線の下を潜り神戸駅まで地下鉄を建設することが現実的に厳しいことがわかります。

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 このことから南北線が神戸駅に乗り入れるには、高架での乗り入れしか方法がなく、しかしその高架での建設には議会での大きな反発がありました。地下鉄で神戸駅に乗り入れることは構造的に厳しい、かといって湊川終着の現状維持では神戸市が目指した高速鉄道による市内交通の結節を図ることができません。まとめると図のようになり、地下鉄での新開地終着以外に手段は尽きてしまったのです。このような議論を経て神戸高速鉄道南北線は新開地を終着とすることとなり昭和43年に開業します。

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終わりに
 神戸市の市議会史をベースに神戸高速鉄道南北線の終着駅議論を追ってきました。なぜ新開地が終点なのか常々不満に思ってきましたが、その裏には湊川埋め立てという大事業を経てようやく手に入れた神戸市東西融合への強い思いがあったのです。
 神戸高速鉄道建設から半世紀以上が経過し状況は大きく変わりました。新開地の地盤沈下、神戸電鉄の輸送人員は減少に転じ、今なお下げ止まりの兆しが見えません。時折神戸電鉄・南北線の神戸や三宮への延伸論を聞きます(あくまで鉄道ファンのレベルと思いますが)。状況が変化したことでこのような意見が出ることは当然と思います。しかし、これは半世紀の周辺環境の変化によって議論の余地が生まれたことによるものであり、神戸高速鉄道建設当時はこの新開地への地下乗り入れが唯一の解であったことを再度強調し、この記事を終わりにしたいと思います。

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