見出し画像

初めて観た映画は何ですか?

自分の映画体験をさかのぼることに何か深堀りしたくなったので書いてみます。

初めて観た映画は「ドクターモローの島」(77年)だと思います。

今でも覚えてるのが、父親と病院に行って注射をうちにいったとき自分がむずがってたのか「注射うったら映画に連れていく」という父親の誘い文句にのってしまい、その病院帰りに劇場で観たのがこの映画でした。
ただしくは初めて劇場で観た映画、でした。

なんでこの映画を観に行ったのか、おそらく父親の嗜好性が入ってたと思うのですがとにかく観に行きました。
内容はあまり覚えていないのですがとにかくラストに衝撃を受けたのだけは覚えています。
(以下ネタバレ含みます)

主役とヒロインが命からがらモローさんからの島からボートで脱出できてラストに行くかと思いきや悲しそうな眼をしたヒロインの口からは獣の牙が生えていたのです。
そのあとのふたちのことは描かれずそのままジエンド。
こどもでもわかるのが、おそらく主役はヒロインに襲われてしまったんだと思うと、そのあまりにもビターエンドがとにかく自分の嗜好に影響を与えたんじゃないかと思います。

それから大人になってこの映画を見返していないのでもしかしたらエンディングは別のものだったのかもしれませんが、自分的にはこのエンディングがはまってるしリアルでした。

このビターエンド感がその後の自分の映画にたいする基準となり、高校生の時に見た「時計じかけのオレンジ」からはじまるアメリカンニューシネマへのどはまり体験が始まりました。

このころはでもビターエンドで終わる商業映画は少なくなかったように思えます。
おそらく、まだ時代にみんな余裕があったんでしょう。
金を払ってまで観た後に暗くなるような映画は観たくない、なんて無粋な人もいなかっただろうしそんなセリフ言ったら野暮だったのかもしれません。

そのあと劇場で観た映画は「シャイニング」(80年)でした。

それにしてもこの予告だけでもすばらしい作品になってます。

この映画も父親と観に行きました。
これは自分で観に行きたいと父親にお願いしたのを覚えてます。

「シャイニング」でインパクトあったのはジャック・ニコルソンの演技だとか残酷描写とかではなく、ジャック・ニコルソンがホテルにある部屋を開けたらバスルームで入浴中の女性が裸のまま出てきて抱き合ってキスカなんかしようとしたらミイラ化した女性だったことでした。

今考えてみると女性に対する性的興奮というのと、女性は弱いから守ってあげないといけないという昭和当時の女性に対する固定観念がこのシーンで全部破壊されたところにあるんじゃないかと思っています。

女性に対するそうした固定観念が壊されたのは今思うと直接的かつ即物的に描く映画というメディアによるものが多かったかもしれません。

「レディ・イポリタの恋人/夢魔」(74年)のこのシーンもそうです。

テレビ東京のお昼のロードショーで観た映画で内容もおぼろですが、主役の女性が悪魔に憑かれていて、町のどこかで青年をナンパしていざしようとすると青年の首を念力か何かでねじって殺してしまうシーン。
女性が怖いものだと心底思わされました。
(この映画は大人になってからDVDで購入しました。)

ひとはいろいろなかたちでトラウマを抱えてしまうものだと思いますが、自分は映画です。
ある意味ラッキーだと思います。
なぜならば戦争や虐待などのリアルな体験によるトラウマではなく映画はあくまでも作りものですから観終わった後、いくらトラウマを受けたとしても自分の身を安全なスペースに置いておける余裕があります。

映画や芸術作品などで自身のトラウマ体験を表現する行為というのは、そう考えるとなかなかできるものではないなと感じます。
自分をそこまでさらけ出したくないですから、普通は。
今こう書いていて自分はそこまでの覚悟はできないから映画に対する思いや自分好みの表現をアウトプットすることしかできないことに気づいたのですが、かならずしもそのトラウマ体験をさらけ出す必要はないし、さらけだしたとてそれが作品として素晴らしいものかどうかはまた別の話です。

特別なトラウマ体験は作品化すべきではないとも思いますし、なにかトラウマ体験を使って自分の利になるような行為というのもいまのところ自分には考えられません。

作品は自分の描きたいものを描いているうちに心情や思いが発露していくものだと思いますしそれが最終的には芸術と言われるものになりえるんだと思いました。

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?