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Ⅰ 飲食の快楽

#4

1 食事は第一の快楽

 まず、食事について私の体験的な一日をご紹介しましょう。
 私は朝型でだいたい5時台に起きて夜は11時台に床につきます。家族は仕事の関係で夜型なので生活時間が完全にずれています。つまり、同居はしていても別時間を生きていて、食事に関しては独り者と同じなのです。
 そこで朝起きるとまず食事の支度をします。定番はドンクのパンにオランダの黒コショウ入り生チーズ、紅茶はスリランカの香り高いアールグレイ、蜂蜜はアルゼンチンの美しい湖水地帯の産、ミルクは日本の草から生まれた小岩井農場のもの。それぞれ私の好みであり時折変わります。
 それからサラダづくり、これは日替わりでレタス、キャベツ、トマト、玉ねぎがベース、それにソーセージや鳥のモモ肉をスライスして盛り付ける、そこへドレッシング、これがまたいろいろあって楽しい。時にはフルーツサラダになり、カリフォルニアのグレープフルーツ、フィリッピンのバナナ、ハワイのパイナップル、沖縄のマンゴー、まあ、贅沢なものです。これが私の家から1キロ範囲内で調達できる、世界中の食品を頂戴できるのですね。

 昼はツーハン通の奥さんが全国から取り寄せた名産なるものが冷凍庫に並んでます。そこからピックアップ・・・ミラノのピザ、小田原の干物、どこそこのエビグラタン、牛のシチュウなどなど。軽くしたいと思えば、稲庭うどん、北方ラーメン、讃岐のソーメンなど、その日の好みでなんでもござれ、気に入った器に盛り付け、電子レンジとオーブンでチンすればOKです。  
 夜はまたいろいろ、時には各種会合での仲間との会食、家族と一緒の日は、ある時は孫も含めて賑やかにすき焼きや中華料理のテーブル、・・・恐らくみなさんのお家の食事も大同小異、似たような結構なものではないでしょうか。
 ことほどさように、日本の食の豊かさは実に驚くべきものがあります。それを一目瞭然に見せてくれるのが一流デパートの地下食品売り場です。日本列島のあちこちから世界中のあちこちから、美味しいものがよくぞこれほど集めたというくらい勢ぞろいしています。まさにグルメ大国ニッポンの証明です。

 となれば、諺にあるとおり「胃袋が快調なら人生は万々歳!」ですね。
 とにかく食事は日に三回楽しめる、年に1000回、10年で一万回、我々は食の快にありつけるチャンスがあるわけです。かつては体力を維持するためだけの燃料のような餌のような粗末な食事のくり返しだったのに、この贅沢さは夢のような暮らしです。我々の世代は戦前戦後のとても貧しい時代の体験があるので特にそう思うのでしょうが、「ああ、ありがたい、ありがたい、こんな現代に生きられるとはなんて幸せなんだ」と思わざるを得ないのであります。

2 美酒佳肴あり、一盃やりませんか?

 「口福」の楽しみは、むろん食事だけではありません。
 まず、酒というこの上なき佳きものがあります。
人間、食べることが楽しいからといってのべつまくなしに食べているわけにはいかない、ところがこの不思議な液体は玄妙にもいくらのんでも底なしなのです。

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 という訳で酒についてはいろいろの名言が残っています。
 なかでもかの益軒先生はさすがにうまいことを仰いますね。
「酒は天下の美禄なり。少し飲めば陽気を助け、血気をやわらげ、
食気を巡らし,愁を去り、興を発して甚だ人に益あり」と。
そしてちゃんと釘をさすことも忘れません。
「また、人を害すること、酒に過ぎたるはなし。水火の人を助けてまた人に害あるが如し」と。
まことに言い得て妙ですな。私は酒に弱く微量でいい気持ちになれるので害を及ぼす心配はありません。が、酒好きのあの人たちの銘酒讃嘆ぶりをみていると、ああ我もあんなに酔ってみたい、狂えるまでの陶酔境に遊んでみたいと、つい羨望の念を浮かべてしまうのです。
                 
 歌人の若山牧水はこう歌いました

白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
酒はしずかに 飲むべかりけり

 いいですね。獨酌もよし対酌もよし、寒い夜、こたつに巣篭って傾ける日本酒の盃、客待ちのバーで食前にあおるシェリーの一杯、風呂上がりの冷えたビール、芳醇な香りのスコッチ・オンザロック、満ち足りた食後のまろやかなブランデー、それぞれに時を得て処を得て、しみじみと五感を刺激し、五臓六腑にしみわたる。まさに天の美禄、神の贈りもの、「酒ありて人生はまったし」の感があります。

 その貴重な酒がいまやどこでも手に入る、それも世界の酒、全国の酒が集まってきて美酒を競っていますね。これ以上ないという贅沢です。ごく普通の市民でも買える値段でそれが楽しめる、こんな有難い国がどこにありましょうか。

3 喫茶の快、ちょっと、お茶しませんか?

 それからもう一つお茶という至福の素があります。
 緑茶、紅茶、ウーロン茶、それにもいろいろ種類があって、時、処、雰囲気に適ったお茶がある。わが国はとりわけお茶がおいしい。煎茶、番茶、玉露、抹茶とそれぞれに旨いのであります。むろん、海外からもコーヒー、ココア、ハーブなどいろいろ入ってきて、私たちを喜ばせてくれます。それに、それぞれにふさわしい器があり、和菓子、洋菓子、さまざまな甘味がある、それがまたうれしい。そのヴァラエテイの豊富さは目をみはるばかりです。

 お茶についても礼賛の言葉がいろいろありますね。
 歌人の吉野秀雄は大のお茶好きで、野性の新芽の茶をいただいた時の感動について、こんな歌を残しています。

球磨川の 遠つみなかみに おのづから 生ふる茶の木の 新芽とぞいふ
この朝 球磨の新茶を すすろへば 目に映るもの なべてすがすがし 

 お茶の一杯で「目に映るものがすべてすがすがし」とはまさに至福のひとときではありませんか。年中お茶ばかり楽しんでいた祖母の影響だそうで「少年のわたしも朝茶をのみならひ、また玉露のお茶づけのうまさも身にしみるようになった」という、ませた坊やですね。そして大井川上流の茶もまた素晴らしいと、茶ノ木の育つ秘訣を次のように書いています。
「朝露湧いて昼なお消えやらず、やがて夕霧が早くもかかるといふ、その軽紗を漉して射す日の光が、茶の葉をおもむろに柔らかく育て,駿河・遠江にわたる上・中・下の川根のお茶をあんなにうまくさせるのである」と。
 この自然の得も言われぬ恵み、それを銘茶にまで仕上げた人々の苦労のお陰で、この茶味が育まれてきたのです。一椀の茶のありがたさ、以って瞑すべしであります。

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 さらに日本人の凄いところは、その一椀の茶を「茶の湯」という美的生活の規範にまで高めたことです。作家で文芸評論家の栗田勇氏はこういっています
「イギリス人は必ずテイ―タイムをとり、中国人は年中茶を飲む。喫茶の習慣は世界中にあるけども、それを中心とした生活全体の美学的規範にまで磨き上げた民族は他にあるまい。茶の湯とは美的生き方のようなものであり、一種のウエイ・オブ・ライフといっていい。」
 しかし、夏目漱石は「茶人くさき茶人」をみてこう評しましたね。
「世の中にこんなに勿体ぶった風流人はいない。広い視界をわざとらしく、窮屈に縄張りして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに鞠躬如として、あぶくをのんで嬉しがるのがいわゆる茶人である」と。
 これは痛快!さすがに漱石先生だと思わず喝采したくなります。ところが、それも一面の真理で、もう一つの真実もちゃんと見ておく必要があります。
 茶会ではよく「喫茶去」という掛物を見るでしょう。が、その去は「!」のような符号とみていい、「まあ、一服 おあがり」というくらいの意味ですね。元はある禅僧が,だれかれとなく訪れた客にこういって茶をもてなした故事によるのです。そのもてなしの一椀にいろいろのものがついてきます。まずは、菓子、そして酒と肴、それに懐石料理、それから器、部屋の設え、庭となり、そこに小宇宙が創出されるのです。その洗練されたものが「茶の湯」であり、日本独特の文化に昇華されていくのです。

 茶会にはいろいろの形態がありますが、その神髄は「茶事」にあるといわれます。
 その達人とされる佐々木三昧は「お茶事」という著書で、その要諦をこんな風に述べています。
「一椀の茶を振舞うことによって、茶に対する歓喜が倍加する。人と人が相和し、慈しみ、睦みあう、その媒としてのお茶がある。そして庭があり茶室があり、その床にある掛物によって徳操・文芸・書蹟・絵画を味読する。一輪の花に自然を観照し、料理によって施受の冥加を喜び合い、天与の滋味に感謝する。さらに、点茶、喫茶することで、古今東西の美術工芸品を鑑賞する。それは、人と人、物と物、人と物、さらには自然とが調和融合することであり、それによって醸し出される陶酔境である、それが“お茶事”である」と。
 この陶酔の悦楽ともいうべき宴の主役は、なんといっても食であり酒であり茶なのです。そしてこの日本生まれの「茶の湯」はいろいろの形で日本人の日常の生活にも生かされ、人生を潤しているといえるのです。私たちは、一飯の食、一杯の酒、一椀の茶をいただくとき、これらすべてが、大自然の恵み、先人のご苦労、そして文明の余禄であることに思いを馳せ、深く感謝するとともに、その恩恵を大いに楽しませてもらうべきだ、とつくづく思うのであります。

予告

次号は、現代の住まい「文明満載住宅」?
次々号は、服飾・ファッション・お洒落編の予定です。

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【毎週土曜朝発信】

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