茶道流祖_毛利輝元と_西区三滝_誓願寺

茶道流祖 毛利 輝元 の「広島」と 天智天皇「日本」の 誓願寺

被曝75周年の 2020年に 東京オリンピックの開催 が 予定されている

2020年 東京オリンピック は < おもてなし オリンピック > だから< 茶の湯 オリンピック > とも 云えるだろう

最近 日本文化 おもてなし の 理解を 深めるために
茶道(さどう)の < もてなしの心 > について学習している
http://www.omotesenke.com/02.html

室町時代 茶の湯を確立したとされる 村田珠光

一休宗純 と 珠光の茶の湯 < 茶禅一味 ちゃぜんいちみ > に触れる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E7%8F%A0%E5%85%89

珠光の茶の湯から わび茶の 茶の湯文化の 開化 までには
およそ百年の歳月を要した とされている らしい

わび茶の茶の湯文化は 戦国の世に開化した 平和文化である

『信長公記』天正三年十月の条 の記録によれば
信長が 京・堺の茶人十七人を 京都の妙光寺に招いて大茶会を開いている

この茶会は 信長が 加賀・越前の一向一揆の平定と
石山本願寺征伐の戦勝を 祝って 開いたものらしい
http://www.geocities.jp/widetown/otona/otona_1040.htm

この記録は 茶の湯政道の記録である

12年後の 1587(天正15)年に 京都北野天満宮で催した 北野大茶湯
http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/ags/3-1-6-010.pdf

この 北野大茶湯(きたのだいちゃのゆ)をもって

<天下茶禅一味> の 確立 と 視(み)るべきだろう

1590年に天下人になった 茶人の 豊臣秀吉の政権下で 五大老であった
安芸國「広島」の始祖 毛利輝元は
秀吉から 茶の湯に親しむことを許され
千利休や 古田織部とも 交遊があったことや 萩焼文化の功績から 
利休の門弟 といった扱いではなく
茶道流祖 と 称(たた)えられるべきではなかろうか
http://www.hagiyaki-kaikan.com/hagiyaki/index.html

広島毛利文化の 萩焼は
< 一萩二樂三唐津 > などと 謳(うた)われたそうであるが
http://www.geocities.jp/maruti2032/idochawan.html
その語源は 「一井戸二樂三唐津」 であり
井戸茶碗 の 国内生産が 萩焼であった

因みに 聚樂第(じゅらくだい)から命名されたという 樂焼とは
https://www.raku-yaki.or.jp/museum/index.html
狭義には 樂家の歴代当主が制作した作品や 樂家の手法を得た
加賀藩の大樋焼(おおひやき)が含まれる とされる らしいが
樂家の手法を得た 加賀藩の大樋焼は 五大老 前田利家 を 起源とする

加賀國には 加賀一向一揆の拠点で 有名な
浄土真宗の寺院 尾山御坊(おやまごぼう)があった

蓮如の 石山本願寺 大坂(おおざか) と 安芸門徒(あきもんと)等
秀吉の天下統一には 浄土真宗が 大きく寄与していることから
<念仏天下茶禅一味> と 視(み)るべきかもしれない 

ところで 広島市西区三滝の 誓願寺は
井戸茶碗 の 国内生産を命じた 毛利 輝元 公 開基の寺である

もともとは 現在の平和公園の地に 天正18年 (1590) 10月15日に開基
http://www.hiroshima-seiganji.com/about/about.html

輝元は 信長 秀吉 利休等 と並ぶ
詫(わ)び 茶の 茶の湯政道 の 元祖家元 であり
http://www.hiroshima-seiganji.com/about/sakudenan.html
広島三滝 誓願寺は 輝元と 天智(てんぢ)天皇日本の 遺伝子と云える
http://www.fukakusa.or.jp/p012.html
https://www.travel.co.jp/guide/article/27903/

なぜなら 誓願寺は 飛鳥時代の 天智天皇6年(667年)
天智天皇の 勅願により 奈良に創建されたからである
https://note.com/ousamaosamu/n/n2a65025f4b25

南無阿弥陀仏  鯉修

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